Ep.42 対価
商人ギルドがセキトフ辺境伯領へ依頼の品を納入する隊は、三日後に出立することが決まった。
ギルド長室からの去り際、狐はふと思い出したかのように、辺境伯の来訪があったことを告げた。
「そういえば昨日、辺境伯閣下がお見えになりましたよ」
「あら、新当主の情報でも聞き出しに来たのかしら?」
まるで天気の話題でも振るように、主は軽く言葉を返した。
「ええ。ですが、閣下は商人というものを何も分かっておられない……」
狐は糸目を僅かに開いた。
その瞳には、冷たく鋭い光が宿っている。
「我々商人は、タダでは動かない。それは金さえ払えばいいという話でもない。その情報に見合う『対価』を示さねば、話の場にすら上がれない。たかが情報とお思いなのかは知りませんが、閣下は私に何一つ『対価』を示すことが出来なかった」
……それは、そうだ。
金で済む話なら、主もあんなに取引材料に悩んだりはしない。
辺境伯は、商人ギルドが情報を持っていることを予測していただろうが、それに見合う『対価』を持ち合わせていなかった。
狐は金では動かない。
『情報』『利権』『人脈』
⸺⸺支払われる対価によってのみ、狐は取引を重ね、それと共に信頼と信用を積み上げていく。
『所詮は商人だから』
『平民ごときが』
そんな考えで彼らを侮れば、財産を根こそぎ奪われることになる。
そういう点では、この狐はまだ良心的な方だろう。
商人の世界は、素人が思うよりずっとシビアな世界なのだ。
三日後、私と主は冒険者の装いで商隊の護衛任務に就いた。
律儀にも、狐は冒険者ギルドに話を通したようだ。
「リアさん。今日はくれぐれも、くれぐれも!よろしくお願いしますね」
見送りに来た狐は、主に『危険なことだけはしてくれるな』と念を押しに来た。
ちなみに『リア』というのは、冒険者としての主の名前である。
そして、私のことも『ノイン』ではなく、冒険者用の偽名である『ノーヴィ』と呼ぶよう徹底させていた。
「はい、任せてください。無事に商隊をセキトフ辺境伯領へ送り届けますよ」
主はあえて狐の真意をはぐらかし、にっこりと微笑む。
「そういうことじゃない!」と、いつも通りの糸目と胡散臭い笑顔の下で狐が頭を抱えているのが目に浮かぶ。
諦めろ、何事も諦めが肝心なのだ。
先導する護衛の「出立!!」という掛け声と共に、私と主はそれぞれ馬に跨り進み始めた。
別に危険だろうとセキトフ辺境伯領へ行くことに、特に問題はないのだ。
ドラゴンを単独で仕留める主に敵う者など、そうはいない。
では、なぜ私たちが商隊に交ざっているのか?
それは、国境の検問所を抜ける為だ。
トレヴァント辺境伯領内で主がS級冒険者であることは知られている。
個人で国境を越えようとすれば、間違いなく辺境伯の耳に入るだろう。
そうなれば検問所で足止めされ、通行許可を出さない可能性が高い。
セキトフ辺境伯家で内輪揉めがあったことで通行の手続きは厳しくなっただろうが、商人ギルドの護衛としての雇用契約書があれば、個別の子細な調査からは免れる。
検問所に到着すると、商人ギルドから派遣された職員が手続きを始めた。
周りにいる他の商隊や、冒険者たちの噂話に耳を澄ませば、やはり情勢不安により審査が厳しく、いつも以上に時間がかかっているようだった。
主は荷馬車の傍らで周囲を警戒するフリを装っているが、実際は風魔法を使い、検問所内の会話を盗み聞きしているはずだ。
「……ノーヴィ」
「リア、どうした?」
主は私の顔を見上げ、無言のまま唇だけを動かした。
『明後日、閣下が新当主と面会する』
……明後日か。さすがにこの状況を考えると間に合わない。
もっとも、主は今回、新当主と面会するつもりはない。
逆にセキトフ領にいない事で、鉢合わせないのは好都合だ。
問題は辺境伯だ。
交渉事が全く出来ないほど無能ではないだろうが、今回は今までとは状況が違う。
主は、「自分たちの行いが返ってきただけだわ」と言っていたが、当の彼らは、まさか自分たちの過去の行いがこんな事になるとは思いも寄らなかっただろう。
⸺⸺⸺
ついに、新セキトフ辺境伯⸺⸺グリゴリーとの会談が明日に迫った。
会談は国境にある関所で行われる。
屋敷から連れて来た使用人たちに、部屋の準備をさせている。
だがそれよりも、グリゴリーが何を考えているのかが読めない……
どんなに調べても、得られたのは『本家当主とは違い、堅実な人物』という程度の情報だった。
ヴァルガルド公国は爵位を持つ者に全権がある以上、実務を担う分家は他国との交戦でもない限り表に名前が出ることは、ほぼない。
ここ数十年、『不可侵協定』のおかげで平穏だった為、戦場で相見える機会など一度もなかった。
その『堅実な男』が、なぜ今になってその協定を破棄しようとするのか……
こんな時、セシリアならどうするだろうか?
弱気になった心が、今まで目を逸らしていた存在へ救いの手を求めようとする。
彼女ならグリゴリーの思惑を見抜き、穏便に済ませることが出来るのではないだろうか?
そんな淡い期待が胸をよぎる。
要塞の執務室の机の上で強く拳を握り締め、俺は胸に詰まった物を吐き出すかのようにハンスに問いかけた。
「……ハンス……セシリアは、今……」
「旦那様、お忘れですか?以前、こっぴどくお断りされたでしょう。奥様は『辺境伯夫人』として、一度でも何かをされたことなど一切ございません」
……そうだ。ハインリヒの婚約パーティーの時に『トレヴァント』の名を許容していたのは、この婚姻があくまで『王命』だったからだ。
セシリアは王家の顔を立ててやったに過ぎない。
それ以外で彼女が自ら『トレヴァント』の名を名乗ったことも、辺境伯夫人として社交すらしたこともないのだ。
「……そうだな。すまない。忘れてくれ……」
俺は握り締めていた拳を緩め、項垂れた。
どんなに剣を極めようと、どんなに戦いで強かろうと、交渉の場では意味をなさない。
これが交戦状態ならまだしも、俺は一騎士としてではなく領主として、今はこのトレヴァント辺境伯領を守らねばならない。
「……ユーリ。騎士たちに警戒を緩めるなと伝えろ。何が起きても対応出来るようにしておかねばならん」
椅子の背もたれに体を預け、天井を見上げる。
ユーリが案じるような視線を送っているのは、見ずとも分かった。
⸺⸺人の上に立つ者として、不安を露わにしてはならない。
亡き父上の言葉を思い出し、俺は無理やり気持ちを切り替えた。
自分が……いや、自分たちが何を見落としていたのか……
そんなことにすら、その時の俺は
全く気が付いていなかった⸺⸺
誤字報告ありがとうございます┏○ペコッ




