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使いの男

「トンさん、ちょっと知恵を貸してくれないか。」

「ん?何ですか。」

 石壁の僅かな窪みを使ってウォールクライミングをしていたシロンがすとんと床に降りてくる。

「脱獄の練習かい?俺にはいいけど、他の看守の前ではほどほどにな。」

「あはは、アッシュさんには特に、でしょう。一度これを見られてね、」

 ぼう、と鈍く輝く賢者の石を見せてくる。

「おい、」

「随分と悩ませてしまったみたいで、次のお当番でお会いしたら痩せていらしたよ。」

「あの時か!いきなり窶れたから女にでも振られたかと皆で揶揄ったんだが。なんだ、もしかして皆、その石の事は知っているのか?」

「狭い牢だからね。でも皆さん、内密にして下さっているよ。それに、この程度の魔力では暖をとるのがせいぜいかな。」

「よせ、」

 肩をすくめて、魔術を使おうとするシロンをヒースは慌てて止める。

「ごめんなさい。怖がらせた?」

「そうじゃない。」

 少しむっとして、ヒースは言う。

「あんたが俺を攻撃するなんて、そんな心配はしていないさ。そうではなく、魔力は貯めておきたいんだろう?無駄遣いするな。」

「…もう、察していると思うけどぼくは高位魔術師なんです。本来の魔力なら、この牢どころか公爵城を灰燼に帰し得るよ。怖くないの?」

「こんな付き合いではあるけどなあ、トンさん。もう五年もあんたを見ているんだ。今更試すような事を言わないでくれ。」

「…ごめんなさい。いや、そうじゃないね。ありがとう。」

 そう言って、破顔の笑みを向ける。

 天性の人たらしスキル全開だ。

「ああ、うん。わかってくれればいいんだ。」

 自分で言っておきながら思わず赤面の照れようである。

「それで、お悩みは何なのかな?」

「そうだった。帝都から変な手紙が届いたんだ。」

「…。」

 無言で先を促す。

「『日頃のルルリンご贔屓の御礼に、帝都にて行われる極秘握手会へご招待いたします。』そんな文面でウィラード商会から旅費まで添えられて。それだけではなく、ちょうど公爵様が帝都にお出ましになられる時期で普段は近衛が随行するんだが、今回は人手が要るとかで俺たちにも誰か出向くよう声がかかった。これは何かの符丁なんだろうか?行って来た方が良いかな?」

「…何故ぼくに?」

「何故って、」

 互いに確証はない。

 罠、かもしれぬ。

 シロンは迷う。自分は既に虜囚の身、ここで掛けるのはヒースの命だ。

「そうだな、トンさんに相談する事じゃあ無い。行ってきますよ。俺が、勝手にする事です。」

 シロンの躊躇いを認め、ヒースは納得する。

 今回の不思議な帝都行きは、この人に縁がある為に仕組まれた事なのだろう、と。

 シロンもヒースの覚悟に腹をくくる。

「…一連托生と言えば聞こえ良いですけど。何があってもぼくはこのままだろうし、危険な目に会うのは貴方やウィラードですが、それでも手を貸して下さいますか?」

「では、やはりウィラード商会は、」

「ルルリン絡みでは間違う余地もない。商会のウィラードとハルは、多分モナも居るかな、ぼくの仲間です。それと、どういう訳か。」

 賢者の石を眺めて首をかしげる。

「宮廷魔術師長様も、糸をひいておられるようだ。看守が貴方だとは、ハル達が知るはずも無いでしょうから。」



 人手が要る、と言われて駆り出された割に大した仕事もなく帝都滞在の間、暇を与えられる。

 あの黒衣の男の差し金かは分からないが、よほど力のある者が裏にいるのは確かだろう。

 シロンから聞かされた彼の出自も、推測混じりではあるが幽閉の理由も、およそ一介の兵が担うには重すぎる事情だ。

 だけど。

 賽は投げられた。

 一生、詰まらぬ、それも彼のお方を閉じ込めるような恥じ入る仕事を続けるのか?

 物思いに耽りながら、上質の紙のルルリンと握手券なる少し恥ずかしい招待状を手に商会を探す。

「ここ、かな。」

 シロンの話だと、この五年内に出来た商会の筈だが、やけに立派な店構えだ。

「あー、あー。そうくるんだ。」

 何も名乗っていないのに店先でちょろちょろしていた東方人の小男が紙を見るなり爆笑する。

「ふうん、一度会ってみたいなあ。俺も行こうかなあ。ああ、ついて来てくれます?商会主館で皆が待っていますよ。貴方、お名前は?ハウンゼルでは何をしている人?」

 話が早すぎてついていけない。

 シロンが語ったハル、おしゃべり幻獣のイメージそのままなのだが人間だ。

 何か齟齬があったか。一応訊いてみる。

「私はヒースと申します。貴方は、もしかしてハルさん?」

「うぇ?」

「あ。違いますよね。失礼しました。いや、でも。おしゃべり幻獣、では、無いですよねえ。」

 顔色の変わった相手に、何かまずい事を言ってしまったかとしどろもどろになる。

 だが、ウィラード商会はシロンの仲間、の筈だ。

 それとも、彼らはもはやシロンの味方では無いのだろうか。

 急にそれまでの冗舌が嘘のように黙り込んだ男の後を不安になりながらヒースはついて行く。

「ここだ。」

 連れて来られたのも立派な屋敷であった。

 その入り口で。

「帰るなら今のうちだぞ?」

「…あの方は外を走りたいと仰っております。俺はその願いを叶えたい。」

「ああ。…俺は、ハル。」

 扉を潜りながら男の姿が幻獣に変わる。

「おしゃべり幻獣、だって?ひどいなあ、シロは。」

 シロンの話ぶりから想像していたより、随分と子どもの姿のハルに戸惑ってヒースは立ち尽くす。

「何やってんの?こっちだよ、ついて来て。」

 ハルがとことこ戻って来てヒースの手を引く。

 思わずその涙まみれの顔を拭いてやると、幻獣はそのまま大泣きし始めてしまった。

 奥から何ごとかと、ぞろぞろ人が出てくる。

 その者達の尋常ならざる面構えに。

「やっぱり、帰ってもいいかな?」

「だめでずよぉぉお⁉︎」

 ハルにしがみつかれる。

 鼻水を背中に擦り付けられてしまった。

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