獣人の将
「ハルテシオじゃないか。」
獣人の長達との語らいはやる気に満ち溢れた煌華に引き継ぎ、シロンはヌコの差し出した長剣を嬉しそうに受け取る。
「あの。小刀じゃにゃいんですけど。」
「そうだね。もしかして、ヒールが効いたのかも。」
にこにこと、シロン。
「そんな馬鹿にゃ。大事な剣って、これの事でよかったんですか?」
「うん。取ってきてくれてありがとう。」
上機嫌で気味の悪い剣を右に左に持ち替えて馴染み具合を確かめている。
ヌコはため息をついた。
「何かあった?」
「…コーカさんが、お怒りです。」
「何かされた?」
尻尾を引っ張られたり耳に息を吹きかけられたりセクハラされ放題だったが、にゃんでもするって言っちゃったしな…。
「いえ、何も。」
「じゃあ、何かしちゃった?」
「しにゃい!です。…鞘が無駄になったとお怒りです。」
小刀用に作られた鞘を差し出す。
シロンは息をのむ。
オリハルコンの鞘だ。
もっとも目利きが見なければそれと判らぬほど雑破な作りで、むしろどうやってここまで材の品格を蔑ろに出来たか不思議な程である。
「ハル、オリハルコンだよ。どうする?小刀に戻る?きっと極上の寝心地だよ?」
シロンが真顔で剣に語り出すのでヌコはぞっとする。
まさか、俺のいにゃい間に変にゃ薬物でも飲まされた?
違った。
更にぞっとする事に、剣がもぞもぞ動き。
シロンが鞘を側に置いてやると、小刀に戻って、ちょん、と収まる。
「ま、魔剣?」
「どちらかと言えば駄剣かな。あ痛!」
小刀が鞘ごと向きを変えてシロンの脛を打つ。
それきり、また動かなくなった。
ハルが少しずつ癒されている頃。
ウィラードもまた盛大に癒されていた。
「ヒール、ヒール、ヒール。こんなものか?」
「あ、はい。こんなもので。」
「何で敵の斥候を治さなきゃならないんだ。」
「いやあ、結構しぶとくて、何も吐かないんですよ。」
「尋問が下手なんじゃないか?」
「今日のお当番はリュヘルさんですよ。明日は僕なんですよー。あの人の後だと、もう大体廃人じゃないですか。この人、どえむなんですかね?」
誰がどえむだ、と言い返してやりたい。
それ位の気力は戻った。
うし、今日を乗り切れば明日はこのぼんぼん相手か。
それが冷酷のリュヘルと双璧をなす、非道のナーダルと呼ばれる男である事をウィラードはまだ知らない。
ウィラードが捕らえられた。
その報せを聞いて、シロンが再び気を張る。
「どういう事です?カリオンという方はそんなに話の通じない方なのですか?」
「花畑のような事を言ってきたのはお前か、小僧。」
そこへ。
ぬっそりと、一人の獣人が現れる。
「イヌミミ。」
煌華が嬉しそうに呟くが、犬という可愛らしさは微塵もない。
眼光鋭く兇悪な凄み。
一目見て、シロンは自分の失敗を悟る。
藪をつついて出てきたのは歴戦をくぐり抜けてきた狼であった。
人間達との競り合いの矢面を務めてきた獣人は、他の者達とは異質の精神を持っているらしい。
己がこの地を守る。
確固たる意志で、長として将として君臨してきた男。
「幻獣が手を貸すと、聞いたが。」
「ウィラードを返して下さい。」
「彼奴なら、今頃寝返って尾無し女どもと宜しくやってるだろうさ。」
「森から出したのですか。」
敵陣から出てきた不審な者の境遇が、そんな優しい扱いになる訳が無い。
シロンも、カリオンも当然解っている。
「ウィラードになんと話させるつもりです?」
「話したいように話すだろう。」
「ただ送り出したのですか。」
「当然だ。俺が策まで筒抜けにさせる間抜けに見えるか?」
小僧、と言葉では言ったがカリオンはシロンを侮る事なく対峙する。
試されている、とシロンは思う。
ウィラードに情をかけ、獣人達を蔑ろにするような事を言えばシロンなど歯牙にもかけなくなるだろう。
「それとも、小僧。貴様が何か仕込んでいるのか?」
「貴方がたへ策を弄している最中なのに、あちらまで手はまわりませんよ。」
ああ、そういう事か、とシロンは納得する。
あと数日の猶予があれば、確かにカリオンの想定通りシロンは動いただろう。
南の商都イズールへ抜ける為には、獣人と人間を調停させなければならないのだから。
幻獣を後ろ盾につけた人間に采配されるよりは、南の人間を焚き付けて戦を始め、自分が闘いを掌握しよう。
おそらく、そういう事だ。
「随分性急ですね。ウィラードは優秀ですが、貴方や私のように領民を負っているわけではありません。長くは持ちませんよ?」
「随分と買っているんだな。長くなってはむしろ困る。待ち草臥れるわ。」
戦は確定か、と眉をひそめる。
「起兵済みであられるか。」
「北から人間が抜けて来たと聞いてのんびり茶でも飲んでいろと?」
まさに茶を飲もうとしていた獣人がむせ返る。
この人も友達居なさそうだな、と少しだけシロンはカリオンに同情する。
シロンの同情を感じ取ったか、じろり、と剣呑な顔で睨み。
「幻獣がここに居るということは総じて虚言という訳では無いのだろう。ならば、」
「お待ちを。」
ああ、これは拙い、とシロンは言葉を遮る。
「北の方々を戦に駆り出すことは出来ません。」
空気を読まない煌華が余計な事を言い出さないようにヌコを押し付けながら続ける。
「幻獣の後ろ盾と言うのは嘘か。」
「交易路を見守る、というのなら手を借りられます。しかし、彼らを人間との戦いに巻き込んではなりません。」
「何故だ?」
「…それは、」
シロンは口籠る。
幻獣が本格的に戦力として出れば、容易な殲滅戦となるだろう。
シロンの目的は交易だ。
相手がいなければ成り立たない。
そして何より。
今は人間に無関心な幻獣が、もし、糧としてヒトを見る魔族に覚醒してしまったら。
世は終わりだ。




