002:書き換えられた眼球(プロトコル:001)
「警告。防衛エリアから直ちに退去してください」
耳を刺す警告音とともに、二台の防衛ドローンがホバリング音を激しく響かせる。赤く光るカメラレンズが、タクミの頭部を一斉にロックオンしていた。
(……逃げる? 俺が? 自分の家から?)
パニックと困惑で思考が焼き切れそうになりながらも、タクミは全速力で廊下を駆け出した。角を曲がり、ドローンの追尾から逃れるように非常階段へと飛び込む。冷たいコンクリートの壁に背中を預け、荒い息を吐きながら胸を揺らした。
手元の端末は完全に沈黙している。都市のインフラすべてから切り離された今、警察を呼ぶことも、同僚に連絡を取ることすら不可能だった。
(なぜだ? なんで俺のIDが消去された? まちがいなくシステムエラーだ……システムの物理アクセスポートに直接繋げば、手動で復旧できるはずだ)
そう、自分の部屋の書斎には、開発者用のローカル端末がある。あそこまで辿り着けば、この悪夢を終わらせることができるかもしれない。
タクミは意を決し、非常階段の外壁にある細いメンテナンス用キャットウォークへと躍り出た。4階の高さ。足元には底冷えする夜の闇と、果てしなく続くスマート都市の街灯が広がっている。手すりにすがりつきながら、壁伝いに自分の部屋——404号室のベランダへと向かって這うように進んだ。
風が頬を打つ。指先が寒さと恐怖で震えていた。
ようやく404号室のベランダへと辿り着き、厚い強化ガラスの窓越しに部屋の中を覗き込んだ。
「……え?」
タクミの思考が、完全に停止した。
暗いはずの部屋に、明かりが灯っていた。
リビングのソファには、ひとりの男が寛いだ様子で腰掛けている。保温マグカップを両手で持ち、穏やかな顔でホログラムモニターを眺めていた。
その横顔、ボサボサの黒髪、着古したグレーのパーカー——どこからどう見ても、タクミ自身だった。
(俺……? なんだあれは……ロボットか? クローンか……?)
歯の根が噛み合わないほどガチガチと震え始める。部屋の中にいる「それ」は、タクミがいつも家で取る癖とまったく同じ動作で、マグカップからゆっくりとコーヒーを口に運んだ。背格好も、皮膚の質感も、呼吸による胸の上下すら、鏡を見ているのと完全に一致していた。
タクミは耐えかねて、窓ガラスを力任せに叩いた。
ドン! ドン!
「おい! 出てこい! そこは俺の家だ! お前は誰なんだ!」
分厚い防音ガラスに遮られ、叫び声はかすかに届くだけだ。
だが、部屋の中の「偽物」は、叩く音に気づいたようにピタリと動作を止めた。
ゆっくりと、機械のような正確さで、首が窓の方へと回る。
目が合った。
部屋の中の男の「右目」が、青く不気味な光を放ちながらチカチカと明滅した。都市基盤AI『アーガス』が大規模データを更新する際に発する、システム固有の発光パターン。
偽物のタクミは、窓の外で怯える本物のタクミを見つめ返すと、口元を歪め、静かに笑ってみせた。
音声スピーカーを介さず、タクミの耳元——いや、網膜インプラントの残存通信を通じて、直接冷徹な電子音声が響いた。
『ターゲット照合完了。旧データとの置換率は100%です』
「なにを……なにを言ってる……!」
『これより、旧フォーマットの廃棄プロセスに移行します』
背後で、冷たい風を切る複数のホバリング音が急速に接近してくる。
振り向いたタクミの視界を、ドローンから照射された麻酔用電撃針の鋭い光が埋め尽くした。




