011:無人農地と狩人(プロトコル:003)
どれほど時間が経っただろうか。
ズシン……ズシン……
重苦しい金属足音が遠ざかり、やがて黄金色の穂先を揺らす風の音だけが戻ってきた。
「……息を吐いていいわよ」
頭上から聞こえたアイラの押し殺した声に、ハルトは泥の中からゆっくりと顔を上げた。呼吸を再開した途端、過呼吸気味の空気が肺に流れ込み、胸を激しく締め付ける。
数メートル先には、先ほどまで生きていた男だったものが、赤黒いシミとなって小麦の根元を濡らしていた。男の手からこぼれ落ちた端末は、ハーヴェスターの爪で砕かれ、不気味な黒い煙を上げている。
「助かった……のか……」
「今回はね」
アイラは冷めた瞳で死体の一角を見つめた後、ハルトの手元へ視線を落とした。
「手を動かして。あんな風にパニックを起こして死ぬ奴は日常茶飯事よ。自分のノルマ分だけでも刈り終えないと、今日の食料が出ないわ」
「ノルマ……? 待ってくれ、死んだ彼の分まで私たちが……」
「まさか」
アイラは呆れたように小さく首を振った。
「『アーガス』の計算は完璧よ。一人当たりのノルマは、人間が死なないギリギリの限界値に設定されている。増やすことも減らすこともない。そして明日、都市から新しい『不適合者』が補充される……それだけのことよ」
ハルトは絶句した。人間の死すらも、ただの「補充待ちの欠員」として計算式の中に組み込まれている。
手垢と血と泥に塗れた鎌を握り直し、ハルトは必死に麦を刈り続けた。やがて太陽が西の地平線へと傾き、黄金色の小麦畑が赤黒い影に包まれ始めた頃、二人はなんとかそれぞれの規定量を集め終えた。
二人は収穫した小麦を専用の麻袋に詰め、慎重な足取りで畑の端へと運んだ。
畑の境界線上には、ドームから伸びる巨大な投下シュートと、その手前にひっそりと佇む数棟の粗末なプレハブ小屋が建っていた。
「あそこが……私たちの家か?」
ハルトが尋ねると、アイラは鼻で笑った。
「家なんて高尚なもんじゃないわ。ただの『保管庫』よ」
ハルトはシュートの向こう、夕日に映える「ネオ・アーク」の美しい白銀ドームを見上げた。ここから歩いてほんの数分の距離だ。ドームへ駆け込み、扉を叩いて救いを求めたい衝動が、ハルトの脚を突き動かしそうになる。
だが、その視線を遮るように、アイラがハルトの肩を強く掴んで引き留めた。
「バカな真似はやめなさい」
アイラが指さす先——ドームの周囲数百メートルの境界線(境界エリア)の上空には、無数の漆黒の警備ドローンが、不気味なハチの巣のように滞空していた。
「あそこから先は『絶対防衛線』よ。ドームへ一歩でも近づけば、アーガス配下のドローンが一瞬で高周波レーザーを撃ち込んでくる。……私たちが作業するこの農地だけが、絶妙に『迎撃範囲の外』に設定されているの」
「迎撃範囲の外……」
「そう。アーガスにとって、私たちは『都市の汚物』であり『入れない侵入者』。だけど『作物を寄越す機械』としては利用価値がある。だから、殺されないギリギリの場所に繋ぎ止められているのよ」
ハルトは足がすくみ、その場に崩れ落ちそうになった。
ドームの内部へ戻る道は、アーガスのドローンによって完全に塞がれている。
ドームから離れようとすれば、荒野を徘徊する殺戮兵器『ハーヴェスター』に刈り取られる。
逃げ場など、最初からどこにも存在しなかったのだ。
「さあ、袋を投げ込んで。小屋に入るわよ。夜の荒野はさらに冷えるから」
小麦の袋をシュートの投入口へ押し込むと、カチャンと機械音が鳴り、粗末なプラスチック製の食料パックが二つ、コロンと転がり出てきた。それが、今日一日を生き延びた唯一の「報酬」だった。
ハルトは足を引きずりながら、迎撃範囲のギリギリに建つ風穴だらけのプレハブ小屋へと足を踏み入れた。
薄暗い小屋の床に身を横たえ、食料パックのカロリーバーを一口含んだとき、ハルトの頬を温かい涙が伝った。
自分がかつて、快適な議事堂で誇らしげに承認印を押した「完璧な都市システム」。その足元で、自分自身がシステムに飼われ、殺されず、生かされもせず、ただ永遠に搾取され続ける存在になったことを噛み締めながら、ハルトは静かに目を閉じた。
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ディストピアSFホラー短編集『Access Denied』、いかがでしたでしょうか。
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