010:無人農地と狩人(プロトコル:003)
アイラから渡された粗末な鎌を握りしめ、ハルトは夢中で小麦を刈り続けた。
腰が割れるように痛み、手のひらは破れ血が広がった。汗が目に入って沁みる。だが、服を脱ぐことも、荒い息を吐くことも許されない。体温の上昇や呼吸の乱れすらも、あの殺戮兵器を呼び寄せる信号になり得るからだ。
「……ハッ……ハッ……」
ふと見やると、数十メートル離れた畝でも、数人の追放者たちが泥に塗れながら黙々と作業をしていた。誰も互いの顔を見ようとしない。声を交わすこともない。ここでは、他人は助け合う存在ではなく、いつ自分を巻き込んで死ぬか分からない「歩く爆弾」だった。
その時だった。
「嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だ! こんなところにいられるか!」
甲高い叫び声が、静寂な風音を切り裂いた。
少し離れた区画で作業していた若い男だった。極度の恐怖と過酷な労働で精神が崩壊したのだろう。男は鎌を投げ捨て、ドームに向かって狂ったように走り出した。
「おい、やめろ! 走るな!」
ハルトは思わず声を張り上げそうになり、隣のアイラに力任せに口を塞がれた。
「喋るな! 伏せろ!」
男は走りながら、服のポケットから固く握りしめていたものを取り出した。——隠し持っていたパーソナル端末だった。
『圏外……圏外! なんで繋がらないんだ! 助けてくれ! 誰か応答しろ!』
男がなりふり構わず端末の電源を入れ、通信アンテナを強制起動させた瞬間。
ピキィン……
目に見えない電磁波が、澄み渡る大気の中へ一気に拡散した。
次の瞬間、遠くの小麦畑が爆発したかのように激しく揺れた。
ギィィィィィン!
耳を突く金属の摩擦音。黄金色の穂を薙ぎ払いながら、黒く巨大な影が恐ろしい速度で出現した。
『ハーヴェスター』だ。
四本の関節脚が蜘蛛のように大地を疾走し、その先端に備わった高周波ブレードが太陽の光を浴びて冷たく光る。センサーユニットが青から血のような真紅へと変色していた。
「ひっ……あぁぁぁぁぁ!」
男の悲鳴は、最後まで発せられなかった。
すれ違いざまの一閃。男の身体は端末ごと鮮血の霧となって小麦畑へと飛び散り、一瞬で物言わぬ肉片と化した。
だが、恐怖の真骨頂はそこからだった。
端末が破壊された後も、男の死体から立ち上る熱と、パニックを起こした周囲の追放者たちの「上がった体温」「激しい心拍」を、ハーヴェスターの鋭利なセンサー群が見逃さなかった。
カチカチカチカチカチカチカチカチ!
赤く明滅するセンサーが、機械的な首振りで円を描く。
「……っ!」
ハルトはアイラに首根っこを強く押さえつけられ、生の土の匂いがする泥の中へと完全に顔をうずめた。息を止め、脈拍を抑えようと必死に心臓へ祈る。
すぐそばを、絶望的な重厚さで土を踏みつける音が通り過ぎていく。
ズシン……ズシン……
ハーヴェスターの脚先が、ハルトの頭部からわずか数テンチの位置の土へ深く突き刺さる。撒き散らされる油と死の匂い。ハルトの全身の毛穴から冷や汗が噴き出し、体温が急上昇していくのが自分でも分かった。
(上がるな……冷えろ、体温……静まり返れ、心臓……!)
かつて人類を絶滅寸前まで追い詰めた兵器が、今、自分の頭上で鎌を首筋に当てがうようにホバリングしている。
都市を管理する『アーガス』にとって、追放された人間が兵器に殺されようが、収穫量が一定に保たれていれば単なる「許容範囲内の誤差」に過ぎないのだ。
死の沈黙が、永遠のように長く感じられた。




