5.縁談
黒猫の衝撃的な正体発覚と、私の「無防備着替えパニック」から数日。
相変わらず私は日中、無表情な『人形令嬢』として過酷な雑用をこなし、夜は物置小屋で猫の姿のルカ(ノワール)と秘密のお喋りを楽しむ、という二重生活を送っていた。
そんなある日の昼下がり。
私が裏庭で重いバケツを運び終え、息を整えていた時のことだ。
「おい、エリーゼ様!
旦那様がお呼びだ。早く執務室へ向かえ」
年配の男性使用人が、心底面倒そうに私を呼びに来た。
伯爵令嬢に対する敬称など形ばかりで、その目は完全に下に置いた者を見る蔑みに満ちている。
(……お父様が私を呼ぶなんて、絶対ロクな用じゃなさそうなんだけど)
嫌な予感をヒシヒシと感じつつ、私は表面上「かしこまりました」と無表情で応じ、泥のついた作業着のまま執務室へと向かった。
執務室のドアをノックして入ると、そこには優雅に紅茶を飲む継母と、ソファーに腰かけて勝ち誇ったような笑みを浮かべるアメリア、そして父親であるオルセン伯爵の姿があった。
父親は私の前に一枚の書類を叩きつけるように置いた。
「お前の婚約が決まった。
相手はヘンリー・ボールドウィン男爵だ。
感謝するんだな、お前のような不気味な人形を引き取ってくださる物好きな方なんだから」
「……ボールドウィン男爵……様、ですか」
声には出さなかったが、私の脳内ではアラートが爆音で鳴り響いていた。
ヘンリー・ボールドウィン男爵。
元々は平民の商人だったが、平民向けの大衆紙や劇の興行で大成功を収め、その莫大な財力で男爵位を買い取ったという『成金男爵』だ。
風の噂では、かなり強面で豪快、貴族社会の格式やマナーなど知ったことかという態度の持ち主らしい。
年齢は釣書によれば35才。私より20も年上だ。
(成金男爵に、伯爵家の『本妻の娘』である私を差し出して、見返りに多額の結納金や援助を得ようって寸法ね。
……わかりやすすぎる!)
私の脳内分析も知らず、アメリアが待ってましたとばかりにソファーから立ち上がり、私を指さして甲高い声で笑った。
「ふふっ、良かったわねお姉様!
お父様とお母様が、あんたみたいな気味が悪い人形の行き先を親切に探してくださったのよ?
ふん、本当はあんたには成金男爵でももったいないくらいだわ!
せいぜい買い取られた先で、平民臭く暮らしなさい!」
「アメリア、言葉が過ぎますよ。
……まあ、事実ですけれどね」
継母がクスクスと品のない笑いを漏らし、父親はふんと鼻を鳴らして吐き捨てた。
「当日はその薄汚い服を脱いで、物置に転がっている古着でも着ていけ。
さあ、用がすんだらさっさと出ていけ」
────────────
「――絶対に許せない!!」
その夜。
物置小屋の窓を突き破らんばかりの勢いで叫んだのは、少年の姿に戻ったルカだった。
拳を握り締め、琥珀色の瞳には怒りの涙が浮かんでいる。
「35歳の成金男爵だなんて……!
伯爵様たちは君を売るつもりなんだ!
そんなの、そんなのあんまりだ……っ!」
「ルカ、落ち着いて。
屋敷まで聞こえちゃうよ」
「落ち着いていられるわけないよ!
エリーゼ、今すぐここから逃げよう!
僕が……僕の魔術で君を連れ出すから、どこか遠くの街で隠れて暮らそう!
僕、君を養えるくらい働くから!」
ルカは私の両手を強く握り締め、必死の面持ちで訴えかけてきた。
気弱だった彼が、私のために必死に逃亡を提案してくれている。
その健気さと優しさに胸が熱くなる。
(……可愛い。相変わらず天使かな?)
だが、前世で短いとはいえ社会人として苦労してきた私は、冷静だった。
「ルカ、気持ちはすっごく嬉しいよ。
でもね、このまま逃げ出したら、私達もお母様と同じように貴族の責任を投げ出すことになるわ。
きっと伯爵家からは追手がかかるし、シルヴァン家にも迷惑がかかる。
それに、魔法が使えるとはいえ、15歳の私たちが逃げ隠れて暮らすなんて、絶対にどこかで破綻するよ」
現実的な課題を淡々と突きつけると、ルカは「う……」と声を詰まらせた。
「じゃあ……じゃあどうするの!?
このままエリーゼがあの男爵のもとに嫁ぐなんて、絶対に嫌だ!」
「嫌だよ。だからね――」
私はフッと口元を吊り上げ、悪い顔で笑ってみせた。
「逃げるんじゃなくて、この縁談、利用させてもらうことにしたの」
「り、利用……!?」
「そう。
ボールドウィン男爵は、商人から成り上がって貴族になった人でしょう?
聞いた噂では、名誉や誇りよりも実利を重視するタイプのように思えるわ。
だから単に伯爵令嬢を嫁にするよりももっと、彼の利益になるような提案をすることができたら、もしかしたら私たちの味方になってくれるかもしれない。
彼とうまく取引できれば、この劣悪な伯爵家から合法的に脱出できるチャンスよ!」
目を丸くして固まるルカを余所に、私の脳内では前世の広報部で鍛えた「起死回生の大逆転プラン」が、猛スピードで組み上げられていく。
そんな私の様子を見たルカが「取引……」とつぶやき、何か考え込んでいたことに、私はちっとも気がつかなかった。




