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燃えカスの守り人  作者: K3/KASANE
内定取り消し

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第九話 一年後


 その年、直人は、はじめて教員採用試験を受けた。


 会場になったのは、見覚えのない、大きな高校だった。


 試験当日の朝、直人は、ずいぶん早くに目が覚めた。


 あの内定取り消しの日の朝とは、まるで質のちがう緊張だった。


 どこかへ逃げ出したい緊張ではなく、何かに正面からぶつかりたい緊張だった。


 家を出る前、携帯が、短く鳴った。


 健太からの、メッセージだった。


『今日だろ。がんばれ。終わったら飲むぞ』


 たった、それだけ。


 けれど、その素っ気なさが、いまの直人には、ありがたかった。


 あの夜、くしゃくしゃのメモを差し出してくれた男とは、また、ふつうに連絡を取り合うようになっていた。


 一度は自分の手で遠ざけた友人が、こうして、まだ、隣にいてくれる。


 それだけで、足が、すこし、軽くなった。


 受験番号の貼られた席に座る。まわりは、自分よりずっと若い、大学生ばかりに見えた。


 その若さが、ふと、胸の奥を刺した。


 何ごともなければ、いまごろ自分は、この子たちより二年も早く、社会に出ていたはずだった。


 遠回りをしたぶんだけ、自分は、年を取っていた。それでも、不思議と、引け目は感じなかった。


 まわりの大学生たちは、参考書を、ぱらぱらとめくっている。


 その姿が、かつての自分と、重なった。


 四月のある人と、ない人。あの卒業式の日、自分は、ガラスの向こう側に、いた。


 でも、いまは、ちがう。


 遠回りをして、ようやく、自分の足で、この席に座っている。


 年を取ったぶんだけ、直人には、ここへ来るまでに見てきたものが、あった。


 不採用の通知の、重さも。誰かが、わかった、と顔を上げる、あの一瞬の、軽やかさも。


 それは、参考書のどこにも、書いていない。


 筆記。面接。そして、模擬授業。


 直人は、誰もいない教室で、架空の生徒たちに向かって、二次方程式を教えた。


 後ろで、試験官がひとり、じっとそれを見ている。


 はじめは、声が、すこし上ずった。


 誰もいない机に向かって話すのは、思っていたよりも、ずっと、心もとなかった。


 けれど、チョークを握って、黒板に式を一行書いたとたん、不思議と、落ち着いた。


「ここを、こうして。次は、これをまとめて」


 塾で、何度も繰り返してきた、あの教え方だった。


 架空の生徒に問いかけ、うなずき、わざと、間を置く。


 それでも、直人の頭の中には、あの中学生の顔が浮かんでいた。


(あ、わかった!)と顔を上げる、あの一瞬。その瞬間のために、自分はここにいる。


 手応えは、悪くなかった。


 それから、数週間後。


 結果が、届いた。


 不採用だった。


 また、あの白い封筒。『誠に遺憾ながら』で始まる、見慣れた文面。


 封を切る指は、もう、もたつかなかった。


 二年前、集合ポストの前で、あれほど震えた、あの指が。


 今度は、ためらいなく、その紙を、最後まで、広げた。


 一年前なら――いや、二年前のあの日の自分なら、また足元が、音もなく抜け落ちていただろう。


 部屋の隅で膝を抱えて、動けなくなっていたにちがいない。


 でも。


 今度は、抜けなかった。


 直人は、その通知を、今度はちゃんと、最後まで読むことができた。『誠に遺憾ながら』の、その先まで。


 怖くなかったわけでは、ない。落ちたことは、純粋に、悔しかった。


 ただ、もう、知っていたのだ。


 自分が何を好きで、何をしているときの自分を、好きでいられるのか。


 誰かが、わかった、と顔を上げる、あの一瞬のために、自分はいる。


 それは、試験に受かろうが落ちようが、内定があろうがなかろうが、消えたりはしない。


 紙きれ一枚で、決められてしまうようなものでは、なかった。


 その夜、直人は、健太に、電話をかけた。


 落ちた、と告げると、電話の向こうで、健太は、短く、息を吐いた。


「そっか」


 それから、いつもの調子で、こう言った。


「まあ、飲もう。約束しただろ」


 慰めるでも、はげますでも、なかった。


 落ちようが受かろうが、飲むものは、飲む。


 その変わらなさが、いまの直人には、どんな言葉よりも、力になった。


(もう一度)


 直人は、静かに、そう決めた。


 来年、また受ける。今度は、あのときのような、こわごわとした足取りではなく。


 自分の足で、しっかりと地面を踏んで。


 窓の外には、夏の終わりの空が、高く、広がっていた。


 来年の春。あの子たちのような誰かの前に、自分は、立っているだろうか。


 その絵が、いまの直人には、はっきりと、思い描けた。


 怖さは、まだ、あった。


 けれど、その怖さは、もう、前を向いた、怖さだった。


 まあ、普通に落ちますわな。一年前なら立てなかった場所で、今度は立っていられた。物語としては地味ですが、いちばん書きたかった一話です。決着は、次でつきます。


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