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燃えカスの守り人  作者: K3
地鎮

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第三話 卒業式


 桜は、間に合った。


 卒業式の日、キャンパスの桜は、まるで申し合わせたように、いっせいに満開を迎えていた。


「みんなのために咲いたみたいだ……」と、直人はぼんやり思った。


 少なくとも、自分のためでは、なかった。


 袴姿の女子も、慣れないスーツに身を包んだ男子も、誰もが晴れやかな顔をしていた。


 校舎の前のあちこちで、胴上げが起きていた。


 空高く放り上げられた誰かが、笑いながら、悲鳴のような歓声をあげている。


 その明るい輪の中に、直人は、どうしても入っていけなかった。


 カメラのシャッターが、ひっきりなしに、軽い音を立てていた。


「撮りますよー。はい、こっち向いて」


 ゼミの集合写真の番が回ってきて、直人も、うながされるまま列に加わった。


 はい、チーズ、の掛け声に合わせて、まわりと同じように笑った。


 頬の筋肉だけを使って、笑った。


 写真の中の自分は、たぶん、ちゃんと笑っているように写るのだろう。


 その笑顔の内側が空っぽなことだけは、レンズには写らない。


 卒業証書を、受け取った。


 筒に収められたその一枚は、手に持つと、ずっしりと重かった。


 四年間ぶんの、重さだった。


 なのに、その先に続いていくはずの道だけが、自分にはぽっかりと、なかった。


 まわりは、どこを見ても、四月の話でもちきりだった。


 大手商社に行く者。役所に入る者。大学院へ進む者。地元に帰って家業を継ぐ者。


 みんな、来月から始まる自分の人生を、ごく当たり前のことのように語り合っていた。


「お前、配属どこになったんだっけ?」


 ふいに、隣にいた誰かに、そう聞かれた。


 直人は、一瞬、言葉に詰まった。


「……ああ、まだ、いろいろこれから決まるんだ」


 とっさに、そうごまかした。


 内定が取り消しになった、という、たったそのひとことが、どうしても口から出てこなかった。


 もし正直に言えば、せっかくの晴れの日に、相手によけいな気をつかわせてしまう。


 めでたい席に、自分の不幸を持ち込むのだけは、したくなかった。


 直人には、その四月が、なかった。


 夜の打ち上げにも、直人はいちおう、顔を出した。


 行かなければ、それはそれで、また誰かに心配をかけてしまう。


 居酒屋の、いちばん奥まった席に座った。


 ジョッキに注がれたビールの、白い泡が、ゆっくり消えていくのを、ただぼんやりと眺めていた。


 乾杯の声。はじけるような笑い声。これからの夢を語る、熱っぽい声。


 そのどれもが、直人の耳には、やけに遠く聞こえた。


 みんなと同じ部屋の、同じ空気の中にいるはずなのに、自分だけが、薄いガラスの向こう側に立たされているようだった。


 そんな直人の隣に、どかりと腰を下ろした男がいた。


 健太だった。


 大学の四年間で、いちばん気のおけなかった友人だ。


 春から、東京の会社で働くことが決まっている。


「お前さ、さっきから一滴も飲んでないだろ」


 健太は、そう言って、勝手に直人のジョッキに、自分のを軽くぶつけた。


 乾杯の作法も、何もあったものではなかった。


「無理して騒がなくていい。けど、飲むくらいはしとけ。せっかくのタダ酒だぞ」


 その軽口に、直人は、ほんの少しだけ、笑った。


 その夜、頬の筋肉ではなく、すこし奥のほうで笑えたのは、たぶん、そのひとことだけだった。


 健太は、それ以上、就職の話も、これからの話も、ふってはこなかった。


 ただ、となりで、くだらない昔話ばかりを、ぽつぽつと続けた。


 一年のときの、しょうもない失敗。サークルの、間抜けだった先輩。


 直人が内定を取り消されたことを、健太が知っているのかどうかは、わからなかった。


 知っていて、あえて触れずにいるのかもしれない。


 どちらでも、よかった。


 ただ、その隣だけが、その夜、ただひとつ、息のつける場所だった。


 反対の隣には、美香がいた。


 はじめのうちは、いつものように、楽しそうに笑っていた。


 けれど、時間がたつにつれて。


 その笑顔が、だんだん、こちらの様子をうかがう笑顔へと、変わっていくのが、直人にはわかった。


(大丈夫? 無理してない?)


 声には出さず、美香の目が、そう問いかけていた。


「だいじょうぶだよ」


 直人のほうから、先に言った。


 聞かれてしまう前に、自分から言ってしまいたかった。


 美香は、小さく、うなずいた。


「……うん」


 その、うん、と言うまでの、ほんの一瞬。


 そこに、これまでのふたりには、なかったはずの間が、できていた。


 その日を境に。


 ふたりの交わす言葉と言葉のあいだに、毎回きまって、その小さな間が、挟まるようになった。


 たがいに、言葉を少しずつ、選ぶようになった。


 相手を傷つけないように。危ういところに、触れないように。


 そのやさしさが、ふたりのあいだに、目に見えない薄い膜を、一枚ずつ張っていった。


 そして、その膜は、近づこうとすればするほど、かえって厚みを増していくように、直人には思えた。


 打ち上げの帰り、健太が、駅まで送ってくれた。


 春の夜の道を、ふたり、並んで歩いた。


 健太は、最後まで、内定のことには、触れなかった。


 別れぎわ、改札の前で、ただ一度だけ、こう言った。


「なんかあったら、連絡しろよ。ほんとに、なんでもいいから」


 うん、と、直人は、うなずいた。


 けれど、そのときの直人には、その「なんでも」を打ち明けるだけの力が、もう、残っていなかった。


 連絡しろよ、と言ってくれた、その手を。


 このあと自分が、そっと振りほどいてしまうことを、まだ、健太は、知らない。


四月のある人と、ない人。卒業式は、その差がいちばん見えてしまう日かもしれません。直人の四月は、もう少し先で見つかります。続きが気になれば、ブックマークだけそっと。


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