第108話 地鎮(10)
第十章「礎」
それからのことは地味だった。
怪異の話は、たいてい最後が地味だ。
派手なのは途中だけ。
片がついたあとに残るのは、面倒な手続きと、現実の重みばかりだった。
高瀬建設は、社長の死を公にした。
三年遅れの訃報に、街はすこしざわついた。
銀行は渋い顔をした。
施主は再開発から手を引いた。
違約金の話も出たらしい。
会社はずいぶん小さくなるだろう。
これから何年も、その後始末が続く。
社員のなかには、辞めていく人もいる。
残る人もいる。
けれど、これからは、生きた人間が決めて、生きた人間がその結果を背負う。
死んだ人に押しつけたりはしない。
それはたぶん前よりずっとしんどい。
しんどいけれど、まっとうだ。
それでも潰れはしなかった。
佐藤さんが頭を下げて回ったからだ。
死んだ社長の名前ではなく、自分の名前で。
すみませんでした、と。
これからはわたしが責任を持ちます、と。
生きた人間が生きた名前で詫びると、人はもう一度だけ話を聞いてくれる。
死者の名では、そうはいかない。
三年かけて佐藤さんは、それをようやく学んだのだ。
◆◇
地下の壕は、ちゃんと掘り返された。
弔ってから、だ。
出された骨は、六十年ぶりに陽の光を見た。
ひとつずつ数えられた。
名のない者は名のないまま、きちんと供養された。
寺へ移され、土へ還された。
空襲の夜から、ずっと待たされた帰り道を、ようやく歩かせてもらえたのだ。
そのあと、空洞は埋め戻された。
わたしは最後にもう一度、そこを確かめた。
もう、何も引かない。
何も囁かない。
ただの古い、静かな土に戻っていた。
穴は、まだそこにある。
世界の薄いところは消せない。
けれど、弔われた土の上では、それはただ眠るだけだ。
暴れる理由を、もう持っていない。
礎、という言葉を、わたしは思った。
会社の礎は、隠した骨ではなかった。
隠したものは礎にならない。
いつか足元から崩してくる。
本当の礎は、ちゃんと送って、頭を下げて、その上におそるおそる建てるものだ。
建物も、街も、人の暮らしも、そうやってしか立たない。
隠して踏み固めた土の上に建てたものは、いつか必ず傾く。
この会社が六十年かけて、それを教えてくれた。
◆◇
川村さんは、もとに戻った。
目の焦点が合うようになった。
受け答えの半拍の遅れも消えた。
本人は、何も覚えていない。
地下で何があったのかも、自分の半分がどこへ行っていたのかも。
それでいい。
覚えていないほうがいい。
戻ってきたのなら、それでじゅうぶんだ。
帰り支度をしていると、現場のおっちゃんが寄ってきた。
最初に、わたしを舐めてかかった、あの人だ。
「嬢ちゃん。あんた、本物だったんだなあ」
決まりが悪そうに、頭をかいている。
「最初は悪かったな。こんな若い娘に、何ができるんだと」
「いいんです。慣れてますから」
「いやあ、見直したよ。お嬢さんは、たいしたもんだ」
お嬢さん。
その言葉に、なぜか、むっとした。
「お嬢さん、ではありません」
気づいたら、声がとがっていた。
「わたくしは、大津家の——失礼ですわね!」
言ってしまってから、口をおさえた。
おっちゃんが、きょとんとしている。
顔が熱い。
二十歳にもなって、何を言っているのか。
せっかく封じていたのに。
いちばん出してはいけないところで、出た。
修行が足りない。
お父様に知られたら、ひと月は説教の種だ。
お嬢さん、と呼ばれるのが昔からいやだった。
中身はこんなに子どもっぽいのに。
外側だけ立派に飾られて。
あの呼び方は、わたしのいちばん薄いところを撫でてくる。
だから、つい地が出る。
——まだまだ、ですわね。
いえ。
まだまだ、だ。
◆◇
逃げるように、わたしは現場を離れた。
門のところで、佐藤さんが見送りに立っていた。
やつれてはいるが、背筋がまっすぐになっていた。
借り物の柱を下ろした人の立ち方だった。
最後に、礼を言わなければ。
わたしは振り返って、その人を呼んだ。
「佐藤さん」
すると。
佐藤さんが、振り返った。
それと同時に、もう一人——道の向こうの空き地で、車に荷物を積んでいたひげの男もぴたりと振り返った。
二人の佐藤が、きょとんと顔を見合わせる。
——あ。
そういえば。
あの人も、佐藤さん。
いえ、佐藤さんだった。
佐藤士恩。
さんざん、ジオンさん、ジオンさんと呼び分けてきたのに。
最後の最後で、うっかり、地のほうで呼んでしまった。
日本に、佐藤さんは、多すぎませんこと。
いえ。
多すぎる。
◆◇
ひげの男は、わたしと目が合うと、何も言わなかった。
ただ、煙草を一本くわえて車に乗り込む。
やるのは、あなたです。
今度は、それも言わなかった。
言う必要が、もう、なかったからだ。
エンジンの音。
空き地から、よれた車がゆっくりと出ていく。
別の町の、別の誰かのところへ。
あの人はいつもそうだ。
気づかせるだけ気づかせて、自分は消える。
礼を言う隙も、くれない。
二年前、わたしは救われる側だった。
あの人に、視てもらう側だった。
いまは、わたしが、視て、納める側にいる。
ふしぎな気分だった。
すこし誇らしくて、すこしさびしい。
たぶんあの人も昔、こんな気分を味わったのだろう。
誰かを送り出して、ひとりで車に戻る気分を。
——あの人、やっぱり、ひげは剃ったほうがいいですわ。
いえ。
いい。
剃ったほうが、いい。
車の影が角を曲がって、見えなくなった。
◆◇
京都へ帰る新幹線の中。
窓の外を、夏のはじめの景色が流れていく。
わたしはガラスに映った自分の顔を見た。
まだ、子どもみたいな顔だ。
お父様に報告したら、なんと言われるだろう。
眠ってしまったことも、最後に素が出たことも、ぜんぶばれる気がする。
それでもひとりぶんは戻した。
ひとつの会社の足元を、すこし軽くした。
死んだ人を、ひとりちゃんと休ませた。
生きた人の魂も、半分、引き戻した。
川村さん。
あの人は、わたしのことなんて覚えていない。
それでいい。
助けたことを、覚えていてもらう必要はない。
お父様も、あの拝み屋も、たぶんずっとそうしてきた。
名乗らず、消えて、相手の人生だけを置いて帰る。
わたしもすこしだけ、その仲間になれた気がした。
まだまだ、だ。
でも、はじまりとしては、悪くない。
——次は、もう少し、上手くやりますわ。
いえ。
やる。
わたしは胸の内で、そう言い直した。
窓の外で、街が遠ざかっていった。




