第103話 地鎮(5)
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それでは、本編をお楽しみください。
第五章「創業の礎」
壕の声には、誰かの差し金がある。
そう当たりをつけた。
なら、次に調べるのは、人のほうだ。
霊は、たいてい人のしわざの影として出てくる。
穴を掘り起こそうとしているのは、生きた人間だ。
その人間の事情を知らなければ、先へは進めない。
わたしは会社の沿革を調べさせてもらった。
◆◇
応接室に、古い社史が積まれていた。
背の擦り切れた、分厚い一冊だ。
高瀬建設の創業は、昭和二十一年。
創業者は、高瀬源造。
焼け野原から、一台のトラックで始めたという。
瓦礫を運んだ。
家を建てた。
街を建て直した。
立志伝というやつだ。
どの頁にも、いいことしか書いていない。
巻頭に源造の写真があった。
ごつい、四角い顔。
けれど、笑っていない。
功成り名遂げた創業者の顔なのに、目だけが暗い。
何かに追われている人の目だった。
——うしろめたいことがある人の目ですわね。
いえ。
ある人の目だ。
わたしは、そういう目をたくさん見てきた。
家に来る相談客の半分は、この目をしている。
◆◇
社史は、いいことしか書かない。
だから、書いていないことを訊くしかなかった。
佐藤さんが、定年した古参を一人紹介してくれた。
八十を超えた、痩せた老人だ。
創業期をわずかに覚えている、最後の一人だという。
老人は、わたしを見て鼻で笑った。
「こんな小娘に、昔の何が分かる」
——出ましたわね。
いえ。
出た。
けれど、慣れている。
わたしはつまらなそうに頭を下げて、ただ待った。
年寄りは、見くびった相手にほど、よく喋る。
それも、修行で覚えたことだ。
——いまに見ていなさい。
この小娘が、あなたの会社の地面の下を、すっかり読んでさしあげますわ。
いえ。
読んでやる。
胸の内で言い直して、わたしは神妙な顔を作った。
はたして、老人はぽつぽつと喋りはじめた。
◆◇
「この土地はな。いわく付きだった」
戦争のとき、ここには大きな防空壕があったという。
空襲の夜、大勢が逃げ込んだ。
そして、そのまま蒸し焼きになった。
誰も、まともに数えなかった。
骨は出されないまま、土の下に残った。
「源造さんは、それを承知で、ここを安く買うた」
「安く?」
「誰も欲しがらん土地だからな。死人の溜まった場所だ」
老人は、湯呑みの底を見ていた。
「ふつうの人間は、近寄らん」
源造は、違った。
瓦礫を片づけた。
壕に蓋をした。
その上に、会社を建てた。
「弔いは」
わたしは訊いた。
「せんかった」
老人の声が、低くなった。
「金がない。暇がない。それどころじゃなかった。みんな、そう言うとったよ」
骨を出さなかった。
弔わなかった。
蓋をして、踏み固めて、その上で商売を始めた。
会社の礎は、コンクリートではない。
出されなかった、人の骨だ。
源造は、その上に立志伝を建てた。
弔われない骨は、土に還れない。
行き場をなくして、固まる。
冷たいまま、暗いまま、忘れられたことを恨むでもなく、ただ、そこに在りつづける。
それがいちばん、たちが悪い。
恨んでくれたほうが、まだ救いがあるのに。
◆◇
「ただ、一度だけな」
老人は、声をひそめた。
「源造さんが、流れの拝み屋を呼んだことがある」
わたしの指が、止まった。
「工事が進まん時期があった。事故が続いてな。人が、おかしくなった」
「拝み屋は、何を」
「知らん。地下にこもって、何かをした。それきり、事故は止まった」
老人は、首を振った。
「若い男だったよ。礼も受け取らず、名も告げず、消えた」
——遠縁の、あの人。
壕の奥で読んだ、あの古い封。
手を震わせていた、誰か。
六十年前、この街に来て、穴に蓋をし直して、名乗りもせずに去った。
たぶん、その人だ。
源造は、弔わなかった。
代わりに、封をさせた。
出すのではなく、閉じ込めたまま、見えなくした。
そうやって、見ないことにした。
六十年。
会社ごと、その上に乗って。
◆◇
「いまの社長は」
わたしは、老人に訊いた。
「源造さんの、お孫さんですね」
「ああ。三代目だ」
老人は、ふと顔を曇らせた。
「あれは、源造さんにいちばん似とる。目が、な」
「お元気ですか」
老人は、答えなかった。
湯呑みを置いて、それきり口を閉じてしまった。
ここでも、だ。
社長のことを訊くと、みんな、口が重くなる。
触れてはいけない約束ごとが、この会社じゅうに張りめぐらされている。
そんな感じだった。
◆◇
なぜ、いまも止められないのか。
佐藤さんにもう一度訊いた。
今度は、はぐらかさせなかった。
理由は、いくつもあった。
再開発の違約金。
銀行への連帯保証。
社長個人が、家屋敷ごと判を押している。
降りれば、会社だけでは済まない。
一族まで、裸になる。
社員も、同じだった。
この街には、ほかに大きな勤め先がない。
高瀬建設が潰れれば、何百人が、いっぺんに職を失う。
佐藤さんが土日も出るのは、その何百人の暮らしを、肩で支えているからだ。
来ない社長の代わりに。
たった一人で。
それに、体面だ。
焼け野原から街を建て直した、立志の一族。
その物語の真下に、弔われなかった骨が埋まっている。
表に出れば、六十年の看板が、ただの嘘になる。
だから、掘るしかない。
掘って、ビルを建てて、上から、もっと重い蓋をする。
——蓋の上に、また蓋。
いえ。
蓋の上に、また蓋だ。
この一族は、ずっと、それを繰り返してきた。
骨の上で。
気づかないふりを、しながら。
◆◇
やるべきことは、見えてきた。
穴を閉め直すだけでは、足りない。
六十年前の遠縁がやったのは、応急の蓋だ。
だから、ほどけた。
本当に要るのは、弔いだった。
出されなかった骨を、ちゃんと土に還す。
頭を下げる。
地鎮。
そういう、地味で面倒な仕事だ。
——わたし一人で、できますかしら。
いえ。
できるか、ではない。
やるのだ。
やるのは、あなたです。
また、あの声が背中を押した。
ひげの拝み屋は、ほんとうに勝手な置き土産ばかり残していく。
◆◇
応接室の壁に、歴代の写真が並んでいた。
源造。
二代目。
そして、三代目。
いまの社長だ。
若い頃の一枚で、まだ三十そこそこに見える。
線の細い、神経質そうな男だった。
源造のあの暗い目を、そっくり受け継いでいる。
わたしはその写真を視た。
社長室で視たのと、同じだった。
生きている人の気が、ない。
歴代の、亡くなった先代たちと、もう、同じ側にいる。
「社長さんは」
わたしは、できるだけ何気なく訊いた。
「いま、おいくつですか」
佐藤さんの手が、湯呑みの上で止まった。
「社長は、もう——」
言いかけて、口をつぐむ。
「……いや」
佐藤さんは、目をそらした。
「五十二、だったかと」
もう、なんですか。
わたしはその続きを飲み込んだ。
いまは、まだ訊くときではない。
それでも、たしかに聞こえた。
佐藤さんが言いかけて、慌てて飲み込んだ、その一言が。
——社長は、もう、いない。
そう言いかけたのだと、わたしには分かった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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