第94話 365日のスポットライト(11)
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それでは、本編をお楽しみください。
そう思うと、足が、雑居ビルの方へ、向きそうになった。
何度も。
そういうとき、慈恩の言葉が、よみがえった。
あなたが、選んだカードです。
僕が、どう思うかは、関係ありません。
考えて、考えて、考えてください。
あの、低い、急がない声。
湯気の中で、何度も、聞いた声。
わたしは、その姿勢を、自分の言葉に、してみた。
考えて、考えて、考える。
誰かに聞く前に、まず、自分で。
当たっているかどうかは、わからない。
でも、考えた末に選んだことなら、間違えても、それは、わたしのものだ。
誰かに決めてもらった正解より、自分で選んだ間違いのほうが、たぶん、わたしを、育てる。
昔は、考えなくて済むのが、楽だった。
頷いていれば、よかった。
差し出されたものを、受け取っていれば、よかった。
間違えても、わたしのせいじゃ、なかった。
決めたのは、いつも、誰かだったから。
今は、考えるのが、しんどい。
頭が、疲れる。
決めたあとも、これでよかったのか、と、何度も、揺れる。
スーパーで、どっちの卵を買うか、みたいな、小さなことでも、迷う。
自分で決める、というのは、こんなに、エネルギーのいることだったのか、と、思った。
今まで、それを、ぜんぶ、人に、肩代わりさせていた。
でも、やめなかった。
しんどくても、考えることを、やめなかった。
考えるのをやめたら、また、あの輪の中に、戻ってしまう。
占いと、夜と、石の、ぐるぐる回る輪。
出口のない場所。
あそこには、もう、戻りたくなかった。
わたしは、求人の情報を、自分で、探した。
歌と、喋りを、活かせる場所はないか。
図書館で、雑誌を読んだ。
街の掲示板を、見た。
知り合いに、聞いて回った。
慣れない手つきで、ひとつずつ。
断られることも、あった。
相手にされないことも、あった。
それでも、探した。
受け身だった人間が、初めて、探す、ということを、していた。
探す、というのは、自分が何をほしいのか、わかっていないと、できないことだった。
前のわたしには、できなかった。
何がほしいか、わからなかったから。
でも、今は、ぼんやりとだけど、わかっていた。
歌いたい。
喋りたい。
誰にも決められずに、声を、出していたい。
だから、探せた。
ある日。
わたしは、ひとつの募集を、見つけた。
アニメ専門の、インターネットラジオ。
そのパーソナリティの、オーディション。
歌える人、優遇。
喋れる人、優遇。
その二行を、何度も、読んだ。
歌える人。
喋れる人。
わたしが、子どもの頃から、ひとりで、好きでやってきたこと。
誰にも決められずに、やってきたこと。
それが、そのまま、書いてあった。
まるで、わたしのために、書かれたみたいに。
胸が、鳴った。
占いの「いい日」を聞いたときの、あの、すがるような鳴り方とは、違った。
自分の中から、わいてくる、鳴り方だった。
やってみたい。
応募してみたい。
その気持ちが、誰かに言われたからではなく、自分の奥から、生まれていた。
昔のわたしなら、まず、誰かに聞いていた。
これ、受けていい?
と。
占いに行って、いい日を、聞いていた。
先生に、向いてるかどうか、視てもらっていた。
綾子さんに、どう思うか、聞いていた。
自分で決める前に、必ず、誰かの「いい」を、もらっていた。
今は、聞かなかった。
誰にも、聞かなかった。
あの人にさえ、聞かなかった。
聞きたくなる自分も、いた。
でも、聞かなかった。
これは、わたしが、考えて、考えて、考えて、決めることだから。
受ける。
自分で、決めた。
応募の書類を、自分の字で、書いた。
名前の欄に、少し、迷った。
ルナ、と書くか。
橘沙織、と書くか。
少し考えて、両方、書いた。
ルナ。
それは、ステージの上の、わたし。
橘沙織。
それは、ひとりで歌っていた、わたし。
どちらも、わたしだった。
どちらも、捨てなくて、いい。
ポストに、書類を、入れた。
投函口に、すべり込んでいく封筒を、最後まで、見ていた。
誰かに背中を押されたのではなく、自分の手で、出した一通。
それが、わたしの、初めての応募だった。
ポストは、何も、言わなかった。
それで、よかった。
シーンB「合格通知」
オーディションの日が、来た。
会場は、雑居ビルの、小さなスタジオだった。
占いの先生がいた、あの雑居ビルと、よく似た作りだった。
狭い階段。
古いエレベーター。
同じような場所なのに、向かう気持ちは、まるで、違った。
あのときは、決めてもらいに、行った。
今日は、決めてもらいに、来たのでは、ない。
何人もの応募者が、待機所で、順番を待っていた。
みんな、若くて、きれいで、自信が、ありそうに見えた。
パイプ椅子が、ずらりと並んだ、狭い部屋。
みんな、台本を、口の中で、繰り返している。
わたしは、隅の椅子で、自分の番を、待った。
手が、冷たかった。
昔のわたしなら、ここで、占いに、すがっていた。
今日はいい日ですか、と。
受かりますか、と。
誰かに、大丈夫だと、言ってほしかった。
でも、聞ける相手は、いなかった。
手首にも、もう、何も、巻いていない。
代わりに、わたしは、ポケットから、一枚の紙を、出した。
名刺だった。
最後に、あの会場で、別れぎわに、慈恩が、くれたものだった。
これが、最後かもしれない、と思った日。
慈恩は、めずらしく、自分から、それを、差し出した。
「何か、迷ったとき、誰にも聞けないときは」と言って。
「でも、たぶん、あなたは、もう、聞かなくても、大丈夫です」と。
白い、そっけない、名刺だった。
名前と、肩書きと、携帯電話の番号だけ。
石の絵も、占いの文字も、何も、ない。
あの人の机と、同じだった。
がらんと、している。
肩書きには、横文字で、何か、書いてあった。
キャリアコンサルタント。
わたしには、何の仕事か、わからなかった。
前に、人の仕事の相談に乗る仕事だ、と聞いたけれど、この横文字が、それと、どう繋がるのかも、わからない。
難しそうな言葉だな、と思うだけだった。
でも、意味なんて、どうでも、よかった。
大事なのは、この一枚を、慈恩が、わたしに、くれたこと。
何か迷ったとき、と言いながら、たぶん、握らせたかったのだ。
電話を、かけてほしかったわけじゃ、ない。
ただ、ひとりじゃない、と思える、何かを。
わたしは、その名刺を、ぎゅっと、握った。
両手で、包むように、握りしめた。
背中を、丸めて。
膝の上で、小さく、丸くなって。
お守りみたいに。
子どもが、お気に入りのものを、手放さないみたいに。
考えて、考えて、考えてください。
あの声が、また、した。
握った名刺の、向こうから。
大丈夫。
今日のことは、自分で、考えて、決めて、ここまで、来た。
受かるかどうかは、わからない。
でも、ここに来ると決めたのは、わたしだ。
それだけは、確かだった。
名前が、呼ばれた。
わたしは、名刺を、ポケットに、しまった。
手のひらに、紙の角の感触が、残っていた。
スタジオに入ると、審査員が、三人、座っていた。
マイクが、一本。
わたしは、その前に、立った。
不思議と、マイクの前に立つと、落ち着いた。
ステージの上だけは、十三人のライブハウスの頃から、いつも、本気になれた。
それは、変わっていなかった。
半年前のわたしと、今のわたしで、ひとつだけ、ずっと、変わらなかったもの。
歌った。
あの、二番のサビの、一行。
誰にも教わらず、わたしが、勝手に好きだった、あの一行。
子どもの頃、誰もいない家で、ひとりで歌っていた、あの感覚。
声が、自然に、開いた。
それから、喋った。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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