第93話 365日のスポットライト(10)
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それでは、本編をお楽しみください。
わたしが、いちばん、自分でいられたのは、誰にも決められずに、声を出している時だった。
歌でも、MCでも。
形は、どっちでも、よかった。
大事なのは、誰にも決められていない、ということ。
それが、歌という形を、していただけ。
お湯から、出た。
からだが、軽かった。
考えたあとの頭は、占いのあとより、ずっと、すっきりしていた。
次の日、わたしは、また、あの会場へ行った。
占いのイベントは、その日が、最終日だった。
次に、いつ開かれるかは、わからない。
慈恩に会えるのも、これが、最後かもしれなかった。
今度こそ、言いたいことが、あった。
「わたし、アイドルを、やめて」
座るなり、言った。
「歌の方に、進みたいと、思ってるんです。歌って、喋る、仕事に。これって、正しいですか」
言いながら、気づいた。
正しいですか。
また、聞いている。
あんなに、お風呂で、考えたのに。
また、誰かに、決めてもらおうと、している。
顔が、熱くなった。
慈恩は、いつものように、答えなかった。
タロットを、一枚、わたしに、めくらせた。
「これ、何に、見えますか」
わたしは、カードを、見た。
今度は、借り物の言葉では、答えなかった。
今までの先生の口癖でも、ない。
自分の、言葉で。
「……前に、進む、人に、見えます」
ゆっくり、言った。
「ひとりで。誰にも、手を、引かれずに」
慈恩は、頷いた。
「じゃあ、そうなんでしょう」
それだけ、言った。
「僕が、どう思うかは、関係ありません」
わたしは、その言葉を、聞いて、やっと、わかった。
あの人は、最初から、何も、決めてくれていなかった。
やめろ、とも、続けろ、とも。
正しい、とも、間違っている、とも。
一度も。
考えて、考えて、考えてください、と。
それだけを、ずっと、置いていた。
決めさせようと、していた。
わたしに。
ずっと。
「あなたって」
わたしは、言った。
「占い師として、たぶん、向いてないですよね」
「……よく、言われます」
「でも」
わたしは、千円を、机に置いた。
「わたしには、あなたの占いが、よかったです」
慈恩は、釣りも、出さなかった。
石も、お札も、出さなかった。
次の予約も、取らなかった。
「お疲れさまでした」
いつもの、言葉だった。
それが、わたしにとって、最後の千円になる気が、した。
振り返らなかった。
いつもは、振り返った。
先生のところへ行く時も、夜の約束へ行く時も、何かから逃げる時も、わたしは、いつも、振り返っていた。
その日は、振り返らなかった。
シーンC「自分で、決める」
次の練習の日。
わたしは、いつもより、早く、楽屋に着いた。
鏡が三つ。
ちかちかと点滅する、蛍光灯。
半年前と、何も、変わっていない部屋。
でも、わたしは、変わろうとしていた。
昨日の夜、決めたことを、口に出すために、来た。
言おうと思うと、心臓が、鳴った。
今まで、自分から、何かを切り出したことなんて、なかった。
いつも、誰かが決めたことに、頷くだけだった。
自分の口で、自分の選択を、告げる。
たったそれだけのことが、ステージに立つより、ずっと、こわかった。
二人が、そろうのを、待った。
綾子さんが、鏡の前に座る。
恵美さんが、荷物を置く。
いつもの、夕方。
いつもの、楽屋。
わたしは、息を、吸った。
「わたし、グループ、抜けます」
言えた。
声は、少し、震えていた。
でも、言えた。
誰かに、やめろ、と言われたからじゃ、ない。
占いに、いい日だと、言われたからでも、ない。
先生にも、慈恩にも、聞いていない。
誰にも、決めてもらって、いない。
自分で、決めた。
たぶん、生まれて初めての、大きな選択だった。
言ったあと、こわくて、二人の顔を、見られなかった。
何か言われる前の、あの一瞬が、長かった。
やっぱりやめろ、と言われたら。
考えが甘い、と言われたら。
半年前のわたしなら、その一言で、ぜんぶ、引っ込めていただろう。
恵美さんは、穏やかに、頷いた。
来月、抜ける人の、顔だった。
もう、ここにいない人の、やわらかさで。
「そう。いいと思う」
それだけ、言った。
理由も、聞かなかった。
引き止めも、しなかった。
ただ、いいと思う、と。
わたしの選択を、わたしのものとして、そのまま、受け取ってくれた。
綾子さんは、少し、驚いた顔をした。
眉を描く手を、止めて、鏡ごしに、わたしを見た。
それから、ふっと、笑った。
今度は、口元だけじゃ、なかった。
目も、笑っていた。
あの、占いに連れて行ってくれた日と、同じ笑い方だった。
「あんたが、いちばん、アイドルしてたのにね」
それは、皮肉でも、嫌味でも、なかった。
たぶん、本当のことだった。
十三人のお客の前で、深く頭を下げていたのは、いつも、わたしだった。
物販の布を、何度もたたみ直していたのも。
値札を、マジックで書いていたのも。
誰よりも、アイドルを、やっていた。
誰よりも、決められたことを、決められたとおりに、やっていた。
だから、皮肉に聞こえても、おかしくなかった。
なのに、綾子さんの声には、とげが、なかった。
むしろ、どこか、まぶしそうな響きが、あった。
「綾子さん」
「なに」
「今まで、ありがとうございました」
綾子さんは、ちょっと、肩を、すくめた。
「やめてよ。湿っぽいの、苦手なの」
でも、その声は、少し、湿っていた。
わたしは、歌と、喋りの方へ、進もうと、決めた。
ツテも、保証も、なかった。
事務所も、後ろ盾も、ない。
うまくいくかどうか、誰も、教えてくれない。
占い師なら「いい流れが来てる」と言うだろう。
でも、もう、その言葉は、いらなかった。
間違えるかも、しれない。
たぶん、間違える。
何度も。
でも、今度は、自分で、選んだ道だ。
間違えるとしても、それも、わたしの、選択だ。
誰かに決められて間違えるのと、自分で決めて間違えるのは、違う。
前は、間違える重さを、知りたくなかった。
今は、その重さごと、自分で、背負ってみたかった。
背負える気が、した。
占いには、もう、行かない。
いい日を、待つのを、やめる。
いい日は、自分で、決める。
楽屋を出ると、冬の終わりの、少しだけ緩んだ空気が、あった。
風の匂いが、前より、やわらかかった。
もうすぐ、春が、来る。
手首には、もう、ブレスレットが、なかった。
今朝、自分で、外した。
引き出しに、しまった。
捨ては、しなかった。
あれも、わたしが、選んで、歩いてきた道の、一部だから。
なかったことには、しない。
カモだった半年も、わたしの半年だ。
それも、抱えて、進む。
駅のホームで、電車を待ちながら。
わたしは、ふと、あの主題歌を、小さく、口ずさんだ。
子どもの頃、ひとりで歌っていた、あの歌を。
誰の、許可も、いらなかった。
いい日かどうかも、関係なかった。
ただ、歌いたいから、歌った。
ホームに、わたしの声だけが、小さく、流れた。
誰も、聞いていなかった。
でも、わたしは、ちゃんと、自分の声を、聞いていた。
第6章「余韻」
シーンA「考えて、考えて、考える」
グループを抜けてから、しばらくは、ふわふわしていた。
「いい日」を、教えてくれる人がいない。
次に何をすればいいか、誰も、決めてくれない。
朝、起きても、今日が何をする日なのか、自分で、決めなければならなかった。
何かを決めるたびに、足元が、ぐらついた。
占いに、行きたくなる夜も、あった。
手帳の、空白を見ると、不安が、せり上がってくる。
誰かに「これでいい」と言ってほしくなる。
先生のところへ行けば、また、決めてくれる。
いい日を、教えてくれる。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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