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燃えカスの守り人  作者: K3
365日のスポットライト

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第92話 365日のスポットライト(9)

月曜・木曜の定期更新に加え、時間ができた時にも随時更新します!


ぜひお楽しみに!


それでは、本編をお楽しみください。


それだけのことが、わたしには、生まれて初めての、大きな選択だった。


 布団のなかで、手首を、触った。


 何も、巻いていなかった。


 石は、引き出しの中。


 手首は、軽かった。


 軽すぎて、少し、こわかった。


 でも、その夜は、よく、眠れた。


 夢を、見なかった。


 朝、目が覚めたとき、わたしは、初めて、今日が何をする日なのか、自分で、考えようとしていた。


第5章「気づきと選択」


シーンA「好きだったもの」


 占いに行かない日が、ぽつぽつ、増えていった。


 最初は、怖かった。


 今日がいい日か、悪い日か、教えてくれる人が、いない。


 次に何をすればいいか、誰も、決めてくれない。


 何もない一日が、こんなに、心細いとは思わなかった。


 手帳の、予定のない空白を見るたびに、落ち着かなくなった。


 空白は、わたしに、考えることを、迫ってきた。


 でも、その空いた時間で、わたしは、初めて、考えた。


 自分は、何が、好きだったんだろう。


 思い出したのは、アイドルになる前の、ずっと前のことだった。


 小学生の頃。


 家に、誰もいない午後。


 テレビの前で、好きなアニメの主題歌を、ひとりで歌っていた。


 録画したビデオを、巻き戻して、何度も。


 歌詞は、ぜんぶ、覚えていた。


 誰も、聞いていなかった。


 誰の、許可も、いらなかった。


 あれは、わたしが、自分で、選んで歌っていた。


 その記憶を、抱えたまま、わたしは、また、慈恩のところへ、行った。


 占いのイベントは、まだ、続いていた。


 慈恩は、いつもの隅の机に、いた。


 わたしは、座って、ぽつぽつと、思い出したことを、話した。


 小学生の頃のこと。


 ひとりで歌っていたこと。


 誰にも、聞かれていなかったこと。


 慈恩は、聞いていた。


 それから、ぽつりと、聞いた。


「そのアニメは、好きだったんですか」


 簡単な質問だった。


 なのに、わたしは、少し、詰まった。


「……はい。好きでした」


「アニメが、好きだったんですか。それとも、歌が、好きだったんですか」


 わたしは、口を、開けて、閉じた。


 考えたことが、なかった。


 アニメが好きだから、その歌を歌っていた。


 そう、思っていた。


 でも、言われてみると、アニメは、たくさん見たけれど、ぜんぶの歌を、歌ったわけじゃ、なかった。


 歌ったのは、決まった、何曲かだけ。


「……歌、かもしれません」


「歌の、何がですか」


 また、あの聞き方だった。


 初めて会った日と、同じ。


 何がですか、と、慈恩は、いつも、もう一段、奥を、聞く。


 わたしは、考えた。


 今度は、逃げずに、考えた。


「声を、出すこと……だと、思います。あの歌のとき、声が、勝手に、開いて。それが、気持ちよかった」


「ひとりで、ですか」


「はい。ひとりで。誰も、いないところで」


 言いながら、気づいた。


 誰も、いないところで。


 誰の、許可も、いらないところで。


 誰にも、決められないところで。


 わたしは、声を、出していた。


 それが、好きだった。


 慈恩は、少し、黙った。


 それから、もうひとつ、聞いた。


「喋るのは、好きですか」


「喋る?」


「ええ。人と。誰かと、喋るのは」


 わたしは、首を、かしげた。


「……わかりません。人に合わせて喋るのは、得意です。相づちとか。でも、好きかは……」


 そこまで言って、ひとつ、思い出した。


 ライブのMCで、お客さんを、笑わせる時間。


 台本のない、わずかな時間。


 たどたどしくても、わたしが喋ると、客の顔が、ふっと、ほどけた。


 あの瞬間が、好きだった。


 決められた言葉では、なかった。


 わたしの言葉で、誰かが、笑ってくれた。


「……あ。ひとつだけ、ありました」


 わたしは、MCのことを、話した。


 慈恩は、頷いて、聞いていた。


「それは、合わせて喋っているんですか。それとも、あなたの言葉ですか」


「……わたしの、言葉です。あそこだけは」


 言ってから、はっとした。


 歌の、二番のサビの、あの一行。


 MCの、台本のない時間。


 どちらも、誰にも決められていない場所だった。


 わたしが、勝手に、声を出して、勝手に、言葉にする場所。


 死んでいないのは、いつも、そこだけ、だった。


「あなたは、歌が好きなのか」


 慈恩は、静かに、言った。


「それとも、誰にも決められずに、声を出すことが、好きなのか」


 わたしは、答えられなかった。


 大きすぎる問いだった。


 歌が好き、で済むと思っていた。


 でも、慈恩の問いは、その奥を、指していた。


 わたしが本当に好きなのは、歌、という形のものなのか。


 それとも、誰にも決められない、というそのことなのか。


「……それ、どっちなんですか」


 つい、聞いてしまった。


 いつもの癖で。


 教えてください、と。


「わかりません」


 慈恩は、言った。


「それは、僕には、わからない。あなたにしか、わからないことです。だから、考えてみてください。すぐじゃ、なくていいので」


 答えを、くれなかった。


 いつもなら、もやもやした。


 けれど、その日は、違った。


 答えをもらえないことが、こわく、なかった。


 むしろ、その問いを、持って帰れることが、少し、うれしかった。


 考えるための問いを、もらった。


 答えではなく。


 家に帰って、わたしは、机の引き出しを、開けた。


 五本のブレスレットの、となりに、古いセットリストのメモが、あった。


 自分の字で、好きな曲の横に、小さく、書いてあった。


 「歌えて、うれしい」。


 いつの自分が、書いたのか、覚えていない。


 でも、それは、本物だった。


 誰にも、言われずに、書いた言葉だった。


 わたしは、その五文字を、長いあいだ、見ていた。


シーンB「慈恩は、決めてくれない」


 あなたは、歌が好きなのか。


 それとも、誰にも決められずに、声を出すことが、好きなのか。


 慈恩の問いが、ずっと、頭の中に、あった。


 すぐじゃ、なくていい。


 慈恩は、そう言った。


 だから、わたしは、考えた。


 生まれて初めて、答えを、もらわずに、自分で、考えようとした。


 その夜、お風呂に、お湯を、ためた。


 肩まで、浸かる。


 湯気が、立ちのぼる。


 換気扇の、低い音だけが、している。


 ふだんなら、こんなに長くは、入らない。


 からだを洗って、すぐ出る。


 次の予定が、あるから。


 占いか、夜の約束か、何かが、いつも、待っていたから。


 でも、その夜、わたしの胸には、待つべきものなど、なかった。


 わたしは、ぼーっと、お湯に、浸かっていた。


 考えて、考えて、考えてください。


 慈恩の声が、した。


 あの、低い、急がない声。


 考えて。


 わたしは、考えた。


 歌が、好きなのか。


 声を出すことが、好きなのか。


 お湯の中で、指先が、ふやけていく。


 天井の、水滴が、ひとつ、落ちる。


 それを、見ている。


 考えている。


 考えて、考えて。


 アイドルの衣装は、好きじゃ、なかった。


 決められた振り付けも、好きじゃ、なかった。


 十三人のお客も、物販も、握手も。


 好きとか、嫌いとか、考えたことすら、なかった。


 ただ、与えられたから、やっていた。


 でも、二番のサビの、あの一行。


 あそこだけは。


 考えて、考えて、考えてください。


 声が、また、する。


 せかさない。


 責めない。


 ただ、置いてある。


 考えろ、と。


 考えるのは、わたしの仕事だ、と。


 誰も、代わりに、考えてくれない。


 先生も、カードも、慈恩さえも。


 お湯が、少し、ぬるくなってきた。


 わたしは、まだ、浸かっていた。


 指の先が、しわしわになっても、出なかった。


 考えることが、まだ、終わっていなかったから。


 こんなに長く、ひとつのことを、考えたのは、たぶん、初めてだった。


 歌が好きなのか。


 声を出すことが好きなのか。


 答えは、ふたつを、分けられなかった。


 でも、わかったことが、ひとつ、あった。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。


月曜・木曜の定期更新に加え、時間ができた時にも随時更新します!

ぜひお楽しみに!


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