第89話 365日のスポットライト(6)
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それでは、本編をお楽しみください。
タクシーは、決められた道を、進んでいく。
運転手さんが、決めた道。
わたしは、後ろの席で、ただ、運ばれている。
アイドルを続けるための、お金。
そのお金で、占いに行く。
占いで、アイドルを続けろと、言ってもらう。
その言葉を、聞くために、また、お金がいる。
あれ。
順番が、おかしい。
アイドルを続けたくて、夜の仕事をしているはずだった。
それが、いつのまにか、占いに通うために、アイドルを続けている。
占いに通うために、夜がある。
夜があるから、お金ができて、お金ができるから、また占いに行く。
ぐるぐる、回っていた。
どこかで、ぜんぶ、ひっくり返っていた。
出口のない、輪のなかを、ずっと、回っていた。
回っているあいだは、考えなくていい。
次に何をするかは、いつも、決まっている。
占いの日。
ステージの日。
夜の約束の日。
手帳は、誰かが決めた予定で、埋まっている。
いつから、ひっくり返ったのか、思い出せなかった。
たぶん、ひっくり返った瞬間なんて、なかった。
気づかないくらい、少しずつ、回る向きが、変わっていった。
半年かけて。
一本目の石から、ゆっくりと。
あなたは、何を、占ってほしいんですか。
あの人の声が、また、した。
タクシーの窓に、自分の顔が、うっすら映っていた。
夜景と重なって、知らない女の人みたいに見えた。
その顔に、あの人の声が、もう一度、聞こえた気がした。
何を、占ってほしいんですか。
何を、望んでいるんですか。
わからない。
今も、わからなかった。
望みが、あれば、こんなふうには、回らないのかもしれない。
行きたい場所があれば、輪から、出られるのかもしれない。
でも、わたしには、それが、なかった。
だから、回り続けるしかなかった。
回っていれば、少なくとも、止まらないで、済むから。
その夜、家に帰って、手首のブレスレットを、外した。
机に、並べた。
ひとつ、ふたつ、と、横に置いていく。
四本ではなかった。
五本、あった。
わたしは、手を、止めた。
四本だと、思っていた。
守護の石。
金運の石。
良縁の石。
それから、なんの石だったか、忘れた一本。
たしかに、四本のはずだった。
それなのに、机の上には、五本、並んでいる。
いつ、五本目を買ったのか、覚えていなかった。
最近、買った気もする。
先生に、勧められて。
「これがあれば」と言われて。
たぶん、いつもの夜に、いつものお金で。
でも、いつ、どこで、どの先生から買ったのか、思い出せなかった。
買ったことすら、覚えていない買い物が、わたしの手首に、巻かれていた。
並べてみて、初めて。
多い、と思った。
シーンC「決めた、ことがない」
五本のブレスレットを、前にして、わたしは、考えた。
机の上に、横一列に、並べた。
色の違う石が、蛍光灯の下で、それぞれに、にぶく光っている。
守護。
金運。
良縁。
忘れた一本。
覚えのない、五本目。
どれも、誰かに「これがいい」と言われて、買ったものだった。
慈恩は、言った。
あなたが、選んだカードだ、と。
選ぶ。
その言葉が、ずっと、引っかかっていた。
わたしは、何かを、自分で選んだことが、あるだろうか。
遡ってみる。
記憶を、ひとつずつ、たどってみる。
アイドルを始めたのは、街でスカウトされて、「向いてる」と言われたからだ。
自分から、なりたいと思ったわけではなかった。
声をかけられて、断る理由が、なかった。
グループに入ったのは、誘われたからだ。
占いに行き始めたのは、綾子さんに、連れて行かれたからだ。
いい日も、悪い日も、買うものも、ぜんぶ、先生が決めてくれた。
ステージの曲も、振りも、衣装も、事務所が決めた。
髪の色も、笑い方も、立ち位置も。
わたしは、与えられた場所に立って、与えられた歌を、歌っていた。
わたしは、いつも、頷いていた。
誰かが、「これでいい」と言ってくれるのが、楽だった。
間違えなくて、済むから。
責任を、負わなくて、済むから。
自分で決めて、もし間違えたら、その重さを、わたしは、知らない。
知りたくも、なかった。
決めるというのは、間違えるかもしれない、ということだ。
間違えた重さを、ぜんぶ、自分で背負う、ということだ。
そんなの、こわい。
だから、聞き続けた。
やめた方がいいですか、と。
やめる、という、いちばん大きな決断さえ。
誰かに、してほしかった。
背中を、押してほしかった。
前でも、後ろでも、よかった。
とにかく、自分以外の誰かに、向きを、決めてほしかった。
あの人だけが、それを、くれなかった。
あなたが、選ぶカードだ、と言った。
でも。
選び方を、わたしは、知らない。
ずっと、誰かが選んでくれたから。
自分で選んだことが、一度も、ないから。
選べと言われても、どうやって選ぶのか、わからない。
何を基準に、何を望んで、選べばいいのか。
望みが、ないのだから、選びようが、ない。
そこまで考えて、手が、止まった。
いや。
ひとつだけ。
ひとつだけ、誰にも言われずに、自分から、始めたことが、あった。
子どもの頃。
カラオケでも、ステージでもなく、ただ、好きなアニメの主題歌を、ひとりで歌っていた。
自分の部屋で。
お風呂で。
帰り道で。
誰も、聞いていなかった。
誰の、許可もいらなかった。
上手いとか、下手とか、誰にも、言われなかった。
ただ、歌いたいから、歌っていた。
あれは、わたしが、自分で、選んで歌っていた。
歌うこと。
それだけは、誰にも、決められていなかった。
胸の奥——ふだんは閉ざしている場所が、その記憶のあいだだけ、少しひらいた。
ステージの上で、二番のサビの、あの一行を歌うときと、同じ場所だった。
あそこだけ、声が勝手に開く。
十三人でも、一万人でも、関係なく。
理由は、わからない。
でも、いま、わかった気がした。
あの一行は、たぶん、子どもの頃の、あの歌と、つながっている。
誰にも決められていない、わたしの、ただひとつの場所。
でも、いつのまにか、歌が好きなことと、アイドルでいることは、別のものに、なっていた。
歌は、与えられるものに、なっていた。
事務所が決めた曲を、決められた振りで、歌う。
好きで始めたはずの歌が、いつのまにか、誰かに決められたものに、すり替わっていた。
すり替わったことにも、気づかなかった。
占いと、同じだ。
少しずつ、向きが変わって、気づいたら、ぜんぶ、ひっくり返っていた。
わたしは、五本のブレスレットを、引き出しに、しまった。
捨てはしなかった。
まだ、捨てられなかった。
捨てるのも、ひとつの、決断だから。
わたしには、まだ、それができない。
引き出しに入れて、見えないところに、置くのが、せいいっぱいだった。
机に残ったのは、慈恩が、いや、わたしが、自分でめくった、一枚のタロットの、記憶だけ。
剣を持った、人の絵。
藍色の、裏模様。
あれは、何のカードだったんだろう。
今まで、占いの結果なんて、一度も、覚えていようとしなかった。
先生が言ったことは、その場で頷いて、すぐに忘れた。
どうせ、次の占いで、上書きされるから。
覚える必要が、なかった。
でも、あの一枚だけは、違った。
自分で、引いたから。
あれが、何だったのか。
良い意味か、悪い意味か。
何を、示していたのか。
初めて、自分から、それを、知りたいと思った。
誰かに教えられるのではなく、わたしが、知りたい。
その気持ちが、自分のなかから、わいてきたことに、わたしは、いちばん、驚いていた。
その気持ちが、どこから来たのかを、わたしは、しばらく、探した。
誰かに、言われたわけじゃ、なかった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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