第88話 365日のスポットライト(5)
月曜・木曜の定期更新に加え、時間ができた時にも随時更新します!
ぜひお楽しみに!
それでは、本編をお楽しみください。
ほんとうに、あの石で、流れは変わるのだろうか。
半年で、四本買って、何が、変わったのだろう。
お客は、まだ、十三人のままだ。
でも。
足は、まだ、止まらなかった。
疑いながら、それでも、明日になれば、また、占いに行く。
そういう自分が、いることも、わかっていた。
一度や二度、誰かに何かを聞いたくらいで、変われるなら、苦労はしない。
わたしは、半年かけて、ここまで、流れてきた。
流れを、止めるのも、たぶん、同じくらい、時間がかかる。
ただ、ひとつだけ。
机のまんなかに置かれた、あの一枚のことを、わたしは、まだ、覚えていた。
自分で、引いた一枚。
その手触りだけが、帰り道のあいだ、ずっと、指の先に残っていた。
手首のブレスレットが、また、かちりと、鳴った。
今夜は、いつもより、大きく聞こえた気がした。
第3章「二重の原因」
シーンA「二人の出口」
あの夜から、何かが、少しだけ違った。
占いには、まだ行っていた。
けれど、先生の言葉を、前ほど、すんなり飲み込めなくなっていた。
「方向性の、何ですか」。
あの人の声が、ときどき、頭の中で、邪魔をした。
先生が「これを買えば流れが変わる」と言うたびに、頭の隅で、別の声がする。
それは、何の流れですか。
どこから、どこへ、流れるんですか。
声は、いつも、途中で消えた。
わたしには、その問いに、答える言葉が、なかったから。
練習の後の、楽屋でのことだった。
狭い部屋に、鏡が三つ。
蛍光灯のひとつが、さっきから、ちかちかと点滅している。
誰も、直そうとしない。
わたしたちは、いつも、この明滅の下で、顔をつくる。
わたしは、初めて、二人を、見ていた。
観察、というのかもしれない。
今まで、こんなふうに見たことは、なかった。
同じ場所にいるのに、ずっと、見ていなかった。
見る、ということを、わたしは、慈恩に会うまで、してこなかった。
綾子さんは、鏡の前で、メイクを直していた。
眉を、丁寧に、描き足している。
「アイドルなんて、もう、名刺がわりよ」
ふいに、そう言った。
誰に言うでもなく。
鏡の中の、自分に言うように。
「パトロンに会うときに、肩書きがあると、便利なの。元気で、夢があって、若い子。そういう役。占いも、まあ、気休めね」
「気休め……ですか」
「そう。当たるなんて、思ってないわよ。ただ、誰かが背中を押してくれると、動きやすいでしょ。それだけ」
綾子さんは、笑った。
口元だけで。
鏡ごしに、わたしと目が合った。
けれど、すぐに、自分の眉に、視線を戻した。
綾子さんは、占いを、信じていなかった。
わたしは、驚いた。
同じ場所に、同じように通って、同じように石を買って。
それなのに、綾子さんは、最初から、わかって買っていた。
気休めだと、わかったうえで。
石を何本買っても、綾子さんは痛くない。
お金は、自分の財布から出ていないから。
パトロンが、いるから。
わたしとは、違う。
わたしは、夜に、自分で作ったお金で、買っている。
気休めに、二万八千円を、払っている。
わかっていなかったのは、わたしだけだった。
恵美さんは、少し離れて、荷物をまとめていた。
最近、やつれて見える日があった。
でも、今日は、違った。
どこか、穏やかだった。
動きが、ゆっくりしている。
荷物を、ひとつずつ、大事そうに、バッグにしまっている。
「わたし、たぶん、来月で、抜ける」
恵美さんが、言った。
わたしに、だけ。
声を、落として。
「あなたには、言っておこうと、思って」
わたしは、聞き返せなかった。
なぜ、とも、どうして、とも。
恵美さんは、それ以上は、言わなかった。
理由を、話すつもりは、ないようだった。
ただ、もう、決めたのだ、ということだけが、伝わってきた。
やつれていたのに、今日は穏やかな顔。
荷物を、大事そうにしまう手つき。
何かが、恵美さんのなかで、もう、終わっていて、別の何かが、始まろうとしている。
それが、何なのかは、わたしには、わからなかった。
でも、聞いてはいけない気が、した。
「そう、なんですね」
やっと、それだけ言った。
恵美さんは、少しだけ、笑った。
今度は、口元だけじゃなかった。
目も、笑っていた。
ステージの上では、一度も見たことのない、笑い方だった。
その笑い方を見て、わたしは、ああ、この人はもう、ここの人ではないのだ、と思った。
二人には、出口があった。
綾子さんには、割り切る道。
気休めだと知って、利用する道。
恵美さんには、抜ける道。
理由は知らないけれど、たしかに、出ていく道。
わたしにだけ、なかった。
信じきることも、できない。
割り切ることも、できない。
抜ける先も、ない。
わたしは、占いを、半分だけ疑いながら、それでも、すがっている。
どっちつかずのまま、夜にお金を作って、石を増やしている。
出口の、ない場所で。
「沙織ちゃんは、続けるの?」
恵美さんが、聞いた。
沙織ちゃん。
ルナではなく、本当の名前で、呼ばれた。
久しぶりだった。
ステージを降りた、ただの、わたしの名前。
わたしは、答えられなかった。
続けるのか。
やめるのか。
わからなかった。
いつものように、頭の中で、別の誰かを探していた。
この問いに、代わりに答えてくれる、誰かを。
先生でも、占いでも、カードでも、いい。
誰か、決めてください。
続けろ、でも、やめろ、でも、いい。
また、やめた方がいいですか、と。
誰かに、聞きたくなっている自分が、いた。
あの人の前では、出てこなかった台詞が、楽屋の、ちかちかする蛍光灯の下では、まだ、喉まで、せり上がってくる。
わたしは、まだ、出口を、探していなかった。
ただ、誰かが、出口を、指さしてくれるのを、待っていた。
シーンB「パパ活と、占いと」
その夜も、約束があった。
待ち合わせは、ホテルの上の、レストランだった。
夜景が、よく見える席。
相手は、五十くらいの男の人。
何度か会ったことがある。
名前は、たしか、覚えている。
仕事のことは、よく知らない。
聞いても、わたしには、わからない話ばかりだから。
ごはんを食べて、少しだけ笑って、向こうの話を聞く。
難しくない。
アイドルのステージより、ずっと、簡単だった。
笑顔は、決まっている。
相づちも、決まっている。
「すごいですね」「さすがですね」。
三つか四つの言葉を、順番に出していれば、向こうは、機嫌よく喋り続ける。
占い師の前と、よく似ていた。
向こうが話して、わたしは頷く。
決められた役を、演じる。
占いに行くときと、同じ顔を、ここでも、している気がした。
あちらでは「素直ね」と褒められ、こちらでは「いい子だね」と言われる。
どちらも、言われた通りにしている、という意味だった。
帰り際に、いくらか、受け取った。
封筒は、見ないで、バッグにしまう。
金額を、その場で確かめるのは、なんとなく、はしたない気がした。
誰に教わったわけでもないのに、そういう手順だけは、身についていた。
それ以上のことが、ある夜も、あった。
深くは、考えない。
考えると、たぶん、続けられないから。
考えないでいるのは、得意だった。
占いに行くのと、同じだ。
考えるのは、いつも、誰かに任せる。
自分では、ふたを、閉めておく。
これを、悪いこと、だと思っていない。
お金が、いるから。
占いに。
石に。
お札に。
アイドルを、続けるために。
理由は、はっきりしている。
はっきりしているうちは、考えなくて、いい。
帰りの、タクシーの中で、ふと、思った。
窓の外を、街の灯りが、流れていく。
赤、白、青。
信号が、変わる。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
次のお話で、またお会いできましたら幸いです。
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