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燃えカスの守り人  作者: K3/KASANE
第3話「喫茶店の、けんくん」

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第78話 喫茶店の、けんくん(8)また明日

時間ができた時にも随時更新します!


ぜひお楽しみに!


それでは、本編をお楽しみください。

 夕方六時。


 田島町工場のシャッターを、半分だけ下ろした。


 全部は閉めない。


 まだ、青木さんが奥で機械の点検をしている。


 田中は納品書をまとめている。


 ぼくは事務机の前で、今日の帳簿を閉じた。


 田島健斗、二十七歳。


 田島町工場、代表取締役。


 その肩書きには、まだ慣れない。


 でも、朝シャッターを開けて、夕方帳簿を閉じることには、少しずつ慣れてきた。


 油の匂い。


 鉄の匂い。


 古い旋盤の音。


 電話のベル。


 納品前の段ボール。


 全部、ぼくの日常になった。


 机の引き出しを開ける。


 奥に、白い名刺が入っている。


 慈恩

 気づかせ屋


 住所はない。


 電話番号だけ。


 その下に、手紙もある。


『助ける必要はありません。


 気づく手伝いで十分です。


 めんどくさいですが、めんどくさい仕事のほうが、だいたい効きます。』


 何度も読んだ。


 読むたびに、少し腹が立つ。


 あの人は、いつもこうだ。


 肝心なことを簡単に書く。


 簡単に書くから、こちらが何度も考えることになる。


 たぶん、それも込みなのだろう。


「社長」


 田中が声をかけてきた。


「川田さんの納品、明日九時で大丈夫です」


「ありがとう」


「あと、外にお客さんです」


「客?」


「若い人です。相談があるって」


 ぼくは名刺を引き出しに戻した。


 工場の入口へ行くと、作業着姿の若い男が立っていた。


 二十代前半だろう。


 顔色が悪い。


 髪も少し乱れている。


 両手で帽子を握りしめていた。


「あの、田島さんですか」


「はい」


「川田金属さんから、ここに行ってみろって言われて」


「川田さんが?」


「はい。話だけでも聞いてくれるかもしれないって」


 男は、うつむいた。


「すみません。閉めるところですよね」


「まあ、閉めるところです」


「あ、じゃあ」


「でも、気になったので」


 自分で言って、少し笑いそうになった。


 慈恩さんの声が、どこかで聞こえた気がした。


 気になったから、ですよ。


 男は、驚いた顔をした。


「いいんですか」


「少しなら」


 ぼくは工場の中へ招き入れた。


 事務所の椅子を出す。


 湯呑みを二つ用意する。


 お茶の湯気が、ゆらゆらと上がった。


 慈恩さんの煙草の煙みたいに、まっすぐではない。


 普通に揺れる湯気だ。


 でも、それでいい。


 これは、ぼくの工場の湯気だ。


「名前、聞いてもいいですか」


「森田です」


「森田くん」


「はい」


「何に困っていますか」


 森田くんは、しばらく黙っていた。


 それから、ぽつりぽつりと話し始めた。


 勤め先の工場が危ないこと。


 親方が倒れたこと。


 自分が何をすればいいかわからないこと。


 借金もあること。


 家族には言えていないこと。


 話は、ばらばらだった。


 順番もぐちゃぐちゃだった。


 でも、ぼくは急かさなかった。


 慈恩さんが、そうしてくれたように。


 ただ、聞いた。


「それで?」


「はい」


「それは、誰に言えていますか」


「いえ」


「本当は、何を守りたいんですか」


 その質問をした時、森田くんの手が止まった。


 帽子を握る指が、白くなる。


「親方の工場です」


「うん」


「でも、俺じゃ無理だと思って」


「うん」


「逃げようと思って」


「うん」


「でも、逃げたら、親方に合わせる顔がなくて」


 ぼくは、少しだけ息を吸った。


 昔の自分が、そこに座っていた。


 合わせる顔がない。


 それでも会いたい。


 守りたい。


 でも怖い。


 その気持ちは、よく知っている。


「森田くん」


「はい」


「明日、親方に会いに行けますか」


「えっ」


「一人で無理なら、ぼくも行きます」


「田島さんが?」


「はい」


「なんで、そこまで」


 ぼくは湯呑みを持った。


 温かい。


 おじいちゃんが差し出してくれた湯呑みを思い出す。


「気になったからです」


 森田くんは、泣きそうな顔で笑った。


「変な人ですね」


「それ、昔ぼくも言いました」


 工場の奥から、青木さんが声をかけてきた。


「社長、機械止めました」


「ありがとうございます」


 田中が納品書を持ってくる。


「明日の分、机に置いておきますね」


「うん」


 工場が、一日の終わりに向かって静かになっていく。


 旋盤の音が消える。


 蛍光灯の音だけが残る。


 外では、白子の町に夜が降り始めていた。


 森田くんは、お茶を一口飲んだ。


「明日、親方に会いに行きます」


「うん」


「田島さん、一緒に来てもらえますか」


「行きます」


「ありがとうございます」


「まだ何もしてないですよ」


 そう言ってから、自分で少し笑った。


 どこかの誰かの口癖が、うつっている。


 森田くんが帰ったあと、ぼくは工場を閉めた。


 シャッターを最後まで下ろす。


 鍵をかける。


 夜の空気が、少し冷たかった。


 家に戻り、仏壇の前に座る。


 おじいちゃんの写真がある。


 黒字の夜の笑顔。


 あの時、少し目が赤かったおじいちゃん。


 線香を一本立てた。


 煙が、ゆっくり上がる。


 揺れる煙。


 普通の煙。


 でも、温かい煙。


「おじいちゃん」


 心の中で言う。


「今日、相談に来た人がおった」


 写真のおじいちゃんは笑っている。


「明日、一緒に親方さんのところへ行く」


 笑っている。


「ぼく、ちゃんと聞けたかな」


 笑っている。


「大切な人のために使う時間も、増えるんやろか」


 線香の煙が、少し揺れた。


 返事のように見えた。


 窓の外には、星がひとつ出ている。


 たぶん、おじいちゃんだ。


 たぶん、慈恩さんもどこかでその星を見ている。


 揺れない煙を立ち上らせながら。


 めんどくさい、と呟きながら。


 ぼくは居間の電気を消した。


 明日も工場に行く。


 明日も電話をかける。


 明日も部品を運ぶ。


 そして明日、森田くんと親方さんに会いに行く。


 それだけ。


 でも、それが、ぼくの生きていく道だった。


 玄関の鍵を確認して、布団に入る。


 目を閉じる前に、小さく呟いた。


「また明日」


 誰に言ったのかは、わからない。


 おじいちゃんに。


 工場に。


 慈恩さんに。


 森田くんに。


 それとも、六歳のまま止まっていた自分に。


 全部かもしれない。


 白子の町に、夜が降りていた。


 遠くで、電車の音がした。


 明日は、また来る。


 だから、ぼくは眠ることにした。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。


notoやってます。

マガジンお仕事物

https://note.com/happy_duck8972/m/m87f735c2539e


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