第79話 喫茶店の、けんくん(9)
「……それが、全部だったと思います」
慈恩さんは、ふっと、笑った。
それだけだった。
◆◇
シャッターの前で、煙草に、火をつけた。
煙が、細く、立ち上る。
揺れない。
ぼくは、その煙を、見ながら、五年前の成増の夕暮れを、思い出していた。
◆◇
「けんとくんには、ね、ぼくのような人が、まだ何人か、来ると思いますよ」
「え?」
「困っている人が、ね」
「うん」
「そういう人を、助けて、あげてください」
「なんで、ぼくが……」
「気になったから、ですよ」
◆◇
それだけ言って、慈恩さんは、路地を、歩いていった。
黒いジャケットの後ろ姿。
煙草の煙が、夕暮れの中に、細く立ち上っていた。
揺れない。
◆◇
「慈恩さん」
ぼくは、思わず、声を、かけた。
慈恩さんは、振り返らない。
しかし、足を、止めた。
「ぼく、ね、慈恩さんに、教えてもらった、こと、忘れません」
「ええ」
「『気になったから』、で、人と、会うこと」
「ええ」
「『めんどくさい仕事のほうが、だいたい、効く』」
「ええ」
「ぼく、これから、ね、誰かに、それを、伝えます」
「ええ」
「ありがとう、ございました」
◆◇
慈恩さんは、振り返らなかった。
しかし、手を、軽く、上げた。
そのまま、路地を、歩いていく。
ぼくは、その背中を、見ていた。
黒いジャケット。
揺れない煙。
夕暮れの、商店街に、慈恩さんの姿が、溶けていった。
——白子の、夜
夜、仏壇の前に、座った。
おじいちゃんの写真が、飾られている。
黒字の夜の、笑顔。
ぼくが、撮った写真だ。
帳簿を見ながら、すこし、目が赤かった、あの夜の、おじいちゃん。
お線香を、一本、立てた。
煙が、上がる。
揺れる煙。
慈恩さんの煙草のように、揺れない煙では、なかった。
ふつうの、揺れる煙。
でも、温かい、煙だ。
◆◇
「おじいちゃん」
心の中で、声をかけた。
「今日も、働いたで」
「うん」
「託された、使命、果たす」
「うん」
「おじいちゃん、見ててな」
「うん、見てる」
「いつも、見てる」
仏壇のおじいちゃんは、変わらず、笑っている。
◆◇
窓の外、空に、星が、ひとつ。
その星、たぶん、おじいちゃん。
たぶん、慈恩さんも、どこかで、その星を、見ている。
揺れない、煙を、立ち上らせながら。
「めんどくせぇ」、と、つぶやきながら。
◆◇
ぼくは、窓から目を離した。
居間の電気を、つけた。
明るくなる。
一人の夜の居間。
しかし、一人じゃない、夜の居間。
仏壇のおじいちゃんと、いっしょの夜。
遠くの東京の、揺れない煙と、いっしょの夜。
◆◇
明日も、工場に行く。
田中と、青木さんと、三人で、回す。
川田さんに、納品する。
ぼくの、託された、使命。
大切な人のために、使うお金は、増える。
大切な人のために、使う時間も、たぶん、増える。
ぼくは、それを、これから、誰かに、伝えていく。
◆◇
夜が、白子の町に、降りてきた。
「……それが、全部だったと思います」
慈恩さんは、ふっと、笑った。
それだけだった。
◆◇
シャッターの前で、煙草に、火をつけた。
煙が、細く、立ち上る。
揺れない。
ぼくは、その煙を見ながら、五年前の成増の夕暮れを思い出していた。
◆◇
「けんとくんには、ね、ぼくのような人が、まだ何人か、来ると思いますよ」
「え?」
「困っている人が、ね」
「うん」
「そういう人を、助けて、あげてください」
「なんで、ぼくが……」
「気になったから、ですよ」
◆◇
それだけ言って、慈恩さんは、路地を歩いていった。
黒いジャケットの後ろ姿。
煙草の煙が、夕暮れの中に、細く立ち上っていた。
揺れない。
◆◇
「慈恩さん」
ぼくは、思わず、声をかけた。
慈恩さんは、振り返らない。
しかし、足を、止めた。
「ぼく、ね、慈恩さんに、教えてもらった、こと、忘れません」
「ええ」
「『気になったから』、で、人と、会うこと」
「ええ」
「『めんどくさい仕事のほうが、だいたい、効く』」
「ええ」
「ぼく、これから、ね、誰かに、それを、伝えます」
「ええ」
「ありがとう、ございました」
◆◇
慈恩さんは、振り返らなかった。
しかし、手を、軽く上げた。
そのまま、路地を、歩いていく。
ぼくは、その背中を、見ていた。
黒いジャケット。
揺れない煙。
夕暮れの商店街に、慈恩さんの姿が、溶けていった。
——白子の、夜
夜、仏壇の前に、座った。
おじいちゃんの写真が、飾られている。
黒字の夜の、笑顔。
ぼくが、撮った写真だ。
帳簿を見ながら、すこし目が赤かった、あの夜のおじいちゃん。
お線香を、一本、立てた。
煙が、上がる。
揺れる煙。
慈恩さんの煙草のように、揺れない煙では、なかった。
ふつうの、揺れる煙。
でも、温かい、煙だ。
◆◇
「おじいちゃん」
心の中で、声をかけた。
「今日も、働いたで」
「うん」
「託された、使命、果たす」
「うん」
「おじいちゃん、見ててな」
「うん、見てる」
「いつも、見てる」
仏壇のおじいちゃんは、変わらず、笑っている。
◆◇
窓の外、空に、星がひとつ。
その星、たぶん、おじいちゃん。
たぶん、慈恩さんも、どこかでその星を見ている。
揺れない、煙を、立ち上らせながら。
「めんどくせぇ」
、と、つぶやきながら。
◆◇
ぼくは、窓から目を離した。
居間の電気をつけた。
明るくなる。
一人の夜の居間。
しかし、一人じゃない、夜の居間。
仏壇のおじいちゃんと、いっしょの夜。
遠くの東京の、揺れない煙と、いっしょの夜。
◆◇
明日も、工場に行く。
田中と、青木さんと、三人で回す。
川田さんに、納品する。
ぼくの、託された、使命。
大切な人のために、使うお金は、増える。
大切な人のために、使う時間も、たぶん増える。
ぼくは、それを、これから誰かに伝えていく。
◆◇
夜が、白子の町に、降りてきた。
*主題:壊れたまま生きるという選択*
*副題:お金の、使い方*




