表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
燃えカスの守り人  作者: K3
第3話「喫茶店の、けんくん」⦅単話完結なので、どこから読んでも大丈夫に作ってます。好きなところから読んでね( *´艸`)⦆

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

51/89

第78話 喫茶店の、けんくん(8)


「……」


「いまは、めんどくさいから、これくらいで収めますけど」


  ◆◇


 父の身体が、すこし揺れた。


 慈恩さんの目は、ほんの、すこしだけ、開いている。


 爪の厚みくらい。


 しかし、その目から、何かが滲み出ていた。


 ぼくには、見えない。

 しかし、父には見えたらしい。


 父は、青ざめる。


  ◆◇


「わ、わかった、わかったから」


 父は、後ずさる。


 膝が、すこし震えていた。


 父は、車に向かって、ふらふらと歩く。


 車のドアを、自分で開けて、乗り込む。


 ドアを閉めた。


  ◆◇


 車が、発進する。


 工場の前を、走り去る。


 ぼくは、車が見えなくなるまで、それを見ている。


  ◆◇


「けんとくん」


 慈恩さんが、ぼくの肩に手を置く。


 冷たい手だ。


「大丈夫ですか」


「……はい」


「びっくりしたでしょう」


「……はい」


「ぼくも、ね、めんどくさかったです」


 慈恩さんは、糸目のまま、すこし笑う。


  ◆◇


「あの、慈恩さん」


「ええ」


「なんで、戻ってきたんですか」


「気になったから、ですよ」


「気になった」


「ええ」


「何が」


「黒いセダン、ね、駅前で見ました」


「あ……」


「ナンバープレート、ぼく、おぼえてました」


「いつから」


「半年前、ぼくが点検に来たとき、ね、ちらっと見たんですよ」


  ◆◇


「父の車、見たんですか」


「ええ。だから戻ってきた」


「半年前から、わかってたんですか」


「いえ、わかってない。気になってた、だけ」


 慈恩さんは、すこし視線を伏せる。


「ぼくね、勘で動いてますんで」


 ぼくは、何も言えない。


 半年前、慈恩さんは点検に来たとき、駐車場の車のナンバーを覚えていたらしい。

 そして半年後、その車を駅前で見て、戻ってきたのだ。


 ぼくには、ありえないこと。


  ◆◇


「慈恩さん」


「ええ」


「ありがとうございました」


「いえ、ぼくは、コーヒー飲みに来ただけですよ」


「コーヒー、飲んでないでしょう」


「あ、まだでしたね」


 慈恩さんは、糸目のまま、すこし笑う。


  ◆◇


 その日の夕方、ぼくは、おじいちゃんに報告した。


 父が来たこと。

 慈恩さんが追い払ってくれたこと。


 おじいちゃんは、しばらく黙っていた。


「健斗」


「うん」


「お父さんのこと、どう思った」


「……」


 ぼくは、答えに迷う。


 「お父さん」と呼ぶのが、しっくり、こない。

 「あの人」、と、心の中で呼んでみる。

 「あの人」も、ちがう。

 もっと、距離のある呼び方。


「あれ」


 ぼくの口から、その言葉が出た。


「あれは、もう、ぼくのお父さんじゃ、ない」


  ◆◇


 おじいちゃんは、すこし目を伏せた。


「そうか」


「うん」


「ええんか、それで」


「うん」


「ええ、ええ」


 おじいちゃんは、それだけ言って、湯呑みをぼくに差し出す。


 ぼくは、湯呑みを両手で受け取る。


 あたたかかった。


  ◆◇


 その夜、ぼくは、慈恩さんに電話した。


 お礼を、言うため。


 慈恩さんは、すぐに出た。


「慈恩さん」


「ええ」


「今日は、ほんとに、ありがとうございました」


「いえ、ぼくは、コーヒーを飲んで、話を聞いただけですよ」


「……飲んでないって、さっき」


「あ、まあ、いまから、飲みますよ」


 慈恩さんは、糸目のまま、すこし笑う。


  ◆◇


「慈恩さん」


「ええ」


「あの、ぼく、お父さんのこと、『あれ』、って呼ぶようになりました」


「ええ」


「変、ですか」


「いえ、ね、それでいいんですよ」


「なんで」


「お父さんは、ね、お父さんの役割を、もう、やってないですから」


「うん」


「役割をやってない人を、『お父さん』と呼ばなくて、いいです」


  ◆◇


「慈恩さん」


「ええ」


「ぼく、まだ変われますか」


「ええ、変われますよ」


「断定するんですか」


「ええ、します」


「なんで」


「気になったから、ですよ」


  ◆◇


 電話を切る。


 ぼくは、しばらく、受話器を見ていた。


 窓の外、夜空に、星がひとつ。


 あの星、揺れない、と思う。


 慈恩さんの煙のように、揺れない星だ。


  ◆◇


 翌朝、工場のシャッターを開ける。


 駐車場には、もう、黒いセダンは停まっていなかった。


 ふつうの朝が、そこにあった。


 ぼくは、長い息を吐く。


 今日も、電話をかける。

 今日も、部品を運ぶ。


 それだけ。


 しかし、それだけが、ぼくの生きていく道だった。


第6章・完 ——託された使命


——けんとの視点


 五年後。


 田島町工場、朝六時半。


 シャッターが、ガラガラ、と、上がった。


 ぼくは、田島 健斗、二十七歳。

 田島町工場、代表取締役。


 おじいちゃんは、この春、逝った。


  ◆◇


「おはようございます」


 田中が、入ってくる。

 二十五歳の社員だ。


「田中、おはよう」


「今日、川田さんとこ、納品でしたよね」


「うん、午前中に、行く」


「お疲れさまです」


  ◆◇


 工場には、三人いる。


 ぼく、田中、青木さん。


 青木さんは、五十代のベテラン。

 もとは別の工場の社員だったが、その工場が潰れて、うちに移ってきた。


 三人体制で、工場を、回している。


  ◆◇


 借金は、慈恩さんの言った通り、一年で、返した。


 貸金契約の百万も、五年の期限内に、すこしずつ、返した。


 成功報酬の、四割も、毎月、払った。


 「人生が、変わらなかったら、ゼロ」。

 払うか、どうかは、ぼくの、判定しだい。

 そういう、契約だった。


 ぼくは、五年間、一度も、迷わなかった。


 ——変わった。


 だから、払う。


 振り込みの、控えだけが、机の、引き出しに、たまっていった。


 督促状の、束が、入っていた、あの、引き出しに。


 慈恩さんからは、特に、連絡が、なかった。

 半年点検も、その後、来なかった。


 ぼくは、自分の足で、立つようになった。


  ◆◇


 おじいちゃんは、この春、亡くなった。


 突然だった。

 工場で、いつものように、旋盤を、回していて、そのまま、倒れた。


 救急車を、呼んだが、間に合わなかった。


 ぼくは、最後の、おじいちゃんの顔を、ずっと、見ていた。


 穏やかな顔だ。

 苦しそうな顔ではなかった。


  ◆◇


「健斗」


 亡くなる、半年前。


 おじいちゃんは、ぼくに、工場の名義変更の書類を、渡した。


「これで、ぼうや、もう、社長やで」


「おじいちゃん、まだ、現役で、ええやん」


「もう、しんどい」


「うん」


「健斗、お前、ちゃんと、やっていけるか」


「うん、やる」


「ありがとうな、健斗」


  ◆◇


 おじいちゃんは、それから半年、ぼくの隣で、工場の、ぜんぶを、教えてくれた。


 帳簿の付け方。

 取引先との、関係性。

 部品の、加工の、コツ。

 古い、旋盤の、扱い方。


 ぼくは、必死で、覚えた。


  ◆◇


 おじいちゃんが、最後に、言ったのは、こうだった。


「健斗」


「うん」


「お母さんは、ね」


「うん」


「『大切な人のために、使うお金は、増える』」


「うん」


「お前、ちゃんと、それ、できとる」


「うん」


「ありがとうな」


  ◆◇


 翌週、おじいちゃんは、逝った。


 葬式には、川田社長も、近所の工場の人たちも、たくさん、来てくれた。


 みんな、おじいちゃんの工場に、お世話になった人たちだった。


 「信夫さん、ほんま、ようやってくれたわ」

 「あの人、おらんかったら、うちも、潰れとった」

 「健斗くん、信夫さんの遺志、継いでな」


 ぼくは、頭を、下げ続けた。


——慈恩、再訪


 その日の夕方、慈恩さんが来た。


 工場のシャッターの前に、ふらり、と、立った。


「あ、けんとくん」


「お久しぶりです」


「五年、経ちましたね」


「はい」


「契約、五年で、終わりですよ。もう、けんとくんは、ひとり立ちです」


 ぼくは、黙っていた。


「おじいちゃんの工場、続いてますね」


「はい」


「信夫さん、喜んでますよ、たぶん」


  ◆◇


 慈恩さんは、糸目のまま、工場を、見渡した。


 三十一歳。


 最初に会ったときから、五年。


 しかし、見た目は、ほとんど、変わっていない。

 糸目。

 黒いジャケット。

 煙草を、指先で回している。


  ◆◇


「ぼくは、コーヒーを飲んで、話を聞いただけですよ」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ