表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
燃えカスの守り人  作者: K3
第3話「喫茶店の、けんくん」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

47/88

第74話 喫茶店の、けんくん(4)

——あなたは、お金を、何のために、使っていますか。


二十六歳、駆け出しの気づかせ屋・ジオンが、絶望した若者と、

七十八歳の町工場の祖父を、繋いだ。


三世代を貫く、ささやかで、深い、物語。


「健斗」


「うん」


「お前、工場、来るか」


「え」


「営業、人手、足りひんねん」


「ぼくに、つとまるかな」


「つとまる、つとまらん、やってみんと、わからん」


「うん」


「やる、んやな」


「やる」


  ◆◇


 慈恩さんは、糸目のまま、頷いていた。


 ぼくは、頭を下げる。


「おじいちゃん」


「ん」


「あの、ひとつ、聞いていい?」


「ええよ」


「おじいちゃん、なんで、ぼくに、なにも、言わへんかったん? ぼくが、パチンコに、行ってるの、知ってたん、ちゃう?」


 おじいちゃんは、すこし、目を伏せた。


「知ってたよ」


「なんで、言わへんかったん」


「言うても、聞かへんやろ」


「……」


「そういう時はな、健斗、人は、自分で、気づくのを、待つしか、ないんや」


  ◆◇


 慈恩さんは、何も言わなかった。


 ただ、コーヒーを飲んでいる。


 糸目のまま。


 でも、ぼくには、わかった。


 慈恩さんは、ずっと、おじいちゃんの言葉を聞いていた。


  ◆◇


「おじいちゃん」


「ん」


「ぼくらの、家、戦争で、焼けたって、聞いたけど」


「そや」


「お父さん、戦死して、お母さんが、三人の子を、育てた、って」


「そや」


「そのときの、話、聞いてもええ?」


 おじいちゃんは、コーヒーを置いた。


 慈恩さんを、ちらっと見る。


 慈恩さんは、糸目のまま、軽く頷いた。


  ◆◇


「ま、ええわ」


 おじいちゃんは、椅子の背にもたれた。


「昭和二十年。八月十五日。終戦の日や」


「うん」


「おれは、十歳やった。堺の、町の外れに、住んでた」


「うん」


「お父さんは、その年の、春に、戦死した。南方や。骨も、戻ってこんかった」


  ◆◇


 ぼくは、息を、ひそめる。


 慈恩さんも、煙草を消した。


 おじいちゃんの声は、淡々としていた。


 しかし、声の奥に、なにかが、混じっている。


「終戦の夏、家、焼けてた。空襲やな」


「うん」


「お母さん、おれ、妹、弟。四人で、焼け跡の、隅に、寝とった」


「うん」


「食うもんが、なかった」


「……」


「お母さんが、闇市に、毎日、行きよった。なんか、買うてくる、いう日もあったし、なんも、無い日もあった」


  ◆◇


「ある日、お母さんが、卵を、一個、持って帰ってきたんや」


 慈恩さんは、目を細めた。


「一個?」


「そや、一個」


「三人で、分けるんですか」


「いや、お母さん、ぜんぶ、おれにくれよった」


  ◆◇


「妹も、弟も、お腹、減ってるのに?」


「そや」


「なんで、ですか」


「おれが、三人のなかで、いちばん、栄養失調で、危なかったらしい」


「……」


「お母さん、自分は、食わへん。妹も、弟も、ちょっとだけ。卵は、おれが、ぜんぶ、もうた」


  ◆◇


 おじいちゃんの声は、しずかだ。


「おれ、その卵、食えへんかった」


「え」


「お母さんに、返した。妹と、弟に、あげてくれ、いうて」


「お母さんは、どう、しました」


「黙って、卵、両手で、握っとった」


「……」


「それから、お母さん、こう、言いよった」


  ◆◇


「『お金の使い方が、大事や』」


「『お金は、自分のために、使うと、減る』」


「『でもな、大切な人のために、使うお金は、増えるんや』」


  ◆◇


 おじいちゃんは、そこで、言葉を切った。


 窓の外を、見ている。


 慈恩さんは、糸目のまま、頷いていた。


 ぼくは、何も、言えなかった。


  ◆◇


「お母さん、その卵、四つに、割って、おれら三人と、自分とで、分けた」


「四つに?」


「そや、四人で、ちょっとずつ。お母さん、ほんまに、一口だけや」


「……」


「でも、お母さん、笑とった。『これで、四人で、生きられるな』いうて」


  ◆◇


「お母さん、最後まで、その言葉、覚えとった」


「お母さん、亡くなる前にな、おれに、言うた。『信夫、お前は、お金を、大切な人に、使うんやで』、って」


  ◆◇


 慈恩さんは、新しい煙草を出した。


 しかし、火は、つけなかった。


 ただ、指先で、回している。


「で、信夫さん」


「ん」


「いまの、田島町工場、あれ、何のために、続けてるんですか」


 おじいちゃんは、慈恩さんを見た。


「うちの工場、もう、五年、赤字や」


「ええ」


「でも、潰せん」


「なぜです」


「町の、人らが、困るんや。うちが、加工してた、部品、ちっこいもんやけど、近所の、いくつかの工場の、生命線、いうやつでな」


「ええ」


「うちが、潰れたら、その工場も、潰れる」


「ええ」


「その工場の、社員も、潰れる」


「ええ」


「だから、潰せん」


  ◆◇


「『大切な人のために、使うお金は、増える』」


 おじいちゃんは、もう一度、その言葉を口にした。


「赤字でも、続けるのは、それや。町の、人らのため」


 慈恩さんは、しずかに、頷いた。


「信夫さんのお母さんの、言葉、田島町工場で、生きてるんですね」


「そや」


「ぼくね、これ、聞きたかったんですよ」


「聞いて、どうするんや」


「けんとくんが、ね、これを、引き継ぐ、はずですから」


  ◆◇


 おじいちゃんは、ぼくを見た。


 ぼくは、頷く。


「おじいちゃん」


「ん」


「ぼく、工場、手伝う」


「うん」


「すぐには、お金、生まれへんかも、しれん」


「うん」


「でも、ぼく、やる」


「うん」


 おじいちゃんは、それだけ、言って、コーヒーを飲み干した。


——帰り道


 ベルアミを出て、和光市駅まで、おじいちゃんと二人で歩いた。


 慈恩さんは、店の前で別れた。


「ぼく、神宝町に戻ります」


「気をつけて」


「けんとくん、また、連絡してください」


「はい」


「あ、田島さん」


「ん」


「今日は、ありがとうございました」


「ジオンさん、いや、慈恩さん」


「はい」


「ええ顔、しとるな、お前も」


 慈恩さんは、糸目のまま、軽く笑った。


「変、ですよ」


 そう言って、煙草に火をつけた。


 煙が、まっすぐ、立ち上る。


 風があるのに、揺れない煙だった。


  ◆◇


 おじいちゃんは、その煙をしばらく見ていた。


 それから、駅の方へ歩き出した。


 ぼくは、慈恩さんに、頭を下げて、おじいちゃんを追いかける。


  ◆◇


「健斗」


「うん」


「あの人な」


「うん」


「欲のない目、しとった」


「え」


「あの人の目、おれは、何回か、見たことがある」


「どこで」


「戦後、堺の闇市でや。たまに、おった。なんも、欲しがらへん目、しとる人。そういう人は、ええ仕事、しよった」


  ◆◇


「あの人は、本物や」


「うん」


「金、ちゃんと、返したれよ」


「うん、返す」


「お前の人生、変えてくれる人、やと、思う」


「うん」


  ◆◇


 駅前で、おじいちゃんが、ふと、立ち止まった。


「健斗」


「ん」


「お父さんのこと、覚えとるか」


「……六歳、までの記憶、しか、ない」


「そうか」


「おじいちゃん、お父さんの話、いつも、しないね」


「うん、する気に、ならんかった」


「うん」


「でもな、お前、今日、立派やった」


「うん」


「お父さんの分まで、頑張れよ」


 おじいちゃんは、それだけ、言って、改札の方へ歩き出した。


 ぼくは、しばらく、その背中を見ていた。


 背中が、すこし、曲がっている。


 しかし、歩き方は、まっすぐ。


  ◆◇


 夜、布団の中で、ぼくは考えていた。


 おじいちゃんの、終戦の話。


 お母さんの、卵の話。


「大切な人のために、使うお金は、増える」。


 ぼくが、パチンコで、なくしたお金。


 あれは、ぜんぶ、自分のために使ったお金だった。


 だから、減ったんだ。


  ◆◇


 もし、ぼくがおじいちゃんの工場のために、お金を使えたら。


 もし、ぼくがおじいちゃんのために、働けたら。


 その「お金」と「働き」は、増えるんだろうか。


 わからなかった。


 でも、やってみたい、と思った。


  ◆◇


 ぼくは、目を閉じた。


 慈恩さんの揺れない煙が、頭の中で立ち上っている。


 欲のない目、と、おじいちゃんは言った。


 あの人は、何を、見ていたんだろう。


 ぼくの、何を、見たんだろう。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。


月曜・木曜の定期更新に限らず、時間ができたときにはいつでも更新いたします。ぜひ楽しみにお待ちください。


★感想・評価をいただけると、執筆の励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ