↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
燃えカスの守り人  作者: K3/KASANE
第3話「喫茶店の、けんくん」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

46/154

第72話 喫茶店の、けんくん(2)欲のない目

時間ができた時にも随時更新します!


ぜひお楽しみに!


それでは、本編をお楽しみください。

 翌朝、十時五分前。


 和光市、白子。


 古い住宅街の中にある小さな喫茶店の前で、ぼくはおじいちゃんと並んで立っていた。


 喫茶ベルアミ。


 名前だけ聞くと洒落た店のようだが、実物は地味だった。


 木枠のドア。


 曇ったガラス。


 入口の横に、少し傾いた植木鉢。


「ここか」


「うん」


「えらく地味な店やな」


「うん」


 おじいちゃんは関西なまりだ。


 昭和十年生まれ。


 終戦の時、十歳。


 大阪の堺で育った人だ。


 ぼくはドアを押した。


 ガラン、とベルが鳴る。


 店内には古い木のテーブルが四つ。


 窓辺の席に、慈恩さんが座っていた。


 黒いジャケット。


 黒いシャツ。


 糸目。


 煙草を指先でゆっくり回している。


「けんとくん。おはようございます」


「すみません、お待たせして」


「まだ五分前ですよ」


 慈恩さんは、ぼくの後ろに立つおじいちゃんへ視線を向けた。


「初めまして。慈恩と申します」


「田島信夫や」


「お忙しいところ、ありがとうございます」


「孫が世話になったらしいからな」


 おじいちゃんの目は鋭かった。


 工場の取引先を見る時と同じ目だ。


 相手が信用できるかどうか、じっと測っている。


 慈恩さんは、糸目のまま何も言わない。


 二人は、しばらく無言で向かい合っていた。


「座ってええか」


「どうぞ」


 おじいちゃんが慈恩さんの向かいに座る。


 ぼくは隣に座った。


 マスターが、黙ってコーヒーを三つ運んできた。


 どうも、とだけ言って、奥へ戻る。


「で、なんの話や」


 おじいちゃんが口火を切った。


 慈恩さんはコーヒーを一口飲んだ。


「けんとくんから、どこまで聞いていますか」


「気づかせ屋っちゅう変な肩書きの男に会う、いうことだけや」


「そうですか」


「それで?」


「ぼくは、けんとくんと契約しました」


「契約?」


「貸金契約と、業務委託契約です」


「金、貸したんか」


「はい」


「いくら」


「百万円です」


 おじいちゃんの眉が、ぴくりと動いた。


「なんで、お前が孫に金を貸す」


「けんとくんが、借金を整理するためです」


「借金?」


 空気が止まった。


 ぼくはテーブルの下で拳を握る。


 昨日、慈恩さんには言われていた。


 正直に話してください、と。


 でも、いざおじいちゃんを前にすると、喉が動かなかった。


 慈恩さんが、ぼくを見た。


 糸目のまま。


 けれど、それだけで伝わった。


 いま、自分で言うんだ。


「おじいちゃん」


「ん」


「ぼく、消費者金融からお金を借りていました」


「いくらや」


「三百万です」


 おじいちゃんは何も言わなかった。


 怒鳴らない。


 机も叩かない。


 ただ、ぼくを見ている。


 それが、かえって痛かった。


「就活に失敗して、パチンコに行って、増やしました」


「ふん」


「だから、慈恩さんが百万円を貸してくれて、それで返済を組み直す予定で」


「お前、それ、なんで俺に言わへんかったんや」


 声は低かった。


 でも、怒鳴ってはいなかった。


「言えませんでした」


「なんでや」


「おじいちゃんに、合わせる顔がなかったから」


 沈黙が落ちた。


 窓の外を、車が一台走っていく。


 慈恩さんは煙草を灰皿に置いた。


 それでも、何も言わない。


「健斗」


「はい」


「お前、なんでここに来た」


「え」


「慈恩さんに言われたからか」


「……それも、ある」


「ほんまは?」


 おじいちゃんの目が、まっすぐぼくを見ていた。


 ぼくは答えに詰まった。


 借金を整理したいから。


 契約したから。


 百万円を借りるから。


 どれも間違いではない。


 でも、それだけではない気がした。


「たぶん」


 言葉が、勝手に出た。


「おじいちゃんに、会いたかったから」


 おじいちゃんは動かなかった。


「合わせる顔がないのに、おじいちゃんに会いたかったから、来ました」


 言い終えた瞬間、胸の奥が熱くなった。


 おじいちゃんは、しばらく黙っていた。


 それから、ふっと笑った。


「ええ顔するようになったやないか、健斗」


「え」


「お父さんの顔やない。お前の顔や」


 その一言で、何かが少しだけほどけた。


 慈恩さんは、糸目のまま頷いていた。


「田島さん」


「ん」


「けんとくんは、おじいちゃんの工場を手伝いたいそうです」


「ふん」


「営業、人手、足りないですよね」


 おじいちゃんが、慈恩さんを見た。


「そこまで聞いたんか」


「はい」


「変な男やな」


「よく言われます」


 おじいちゃんはコーヒーを飲んだ。


 それから、ぼくを見る。


「健斗」


「うん」


「工場、来るか」


「え」


「営業、人手、足りひんねん」


「ぼくに、つとまるかな」


「つとまるかどうかは、やってみんとわからん」


「うん」


「やるんやな」


 ぼくは息を吸った。


「やる」


 おじいちゃんは、それだけ聞いて頷いた。


 その顔に、怒りはなかった。


 許した、という顔でもない。


 ただ、受け取ったという顔だった。


「おじいちゃん」


「ん」


「ひとつ聞いていい?」


「ええよ」


「ぼくがパチンコ行ってるの、知ってたんちゃう?」


「知ってたよ」


「なんで言わへんかったん」


「言うても、聞かへんやろ」


「……」


「そういう時はな、健斗。人は、自分で気づくのを待つしかないんや」


 慈恩さんは、何も言わなかった。


 ただ、コーヒーを飲んでいる。


 でも、ぼくにはわかった。


 慈恩さんは、この言葉を待っていた。


「おじいちゃん」


「ん」


「うちの家、戦争で焼けたって聞いたことある」


「そや」


「その時の話、聞いてもええ?」


 おじいちゃんはコーヒーカップを置いた。


 慈恩さんをちらりと見る。


 慈恩さんは軽く頷いた。


「ま、ええわ」


 おじいちゃんは椅子の背にもたれた。


「昭和二十年。八月十五日。終戦の日や」


「うん」


「俺は十歳やった。堺の町の外れに住んどった」


「うん」


「父親は、その年の春に戦死した。南方や。骨も戻ってこんかった」


 ぼくは息をひそめた。


 慈恩さんも煙草を消した。


 おじいちゃんの声は淡々としている。


 けれど、その奥に、何かが沈んでいる。


「終戦の夏、家は焼けとった。空襲やな」


「うん」


「母親と、俺と、妹と、弟。四人で焼け跡の隅に寝とった」


「うん」


「食うもんがなかった」


 おじいちゃんは、窓の外を見た。


「母親が闇市に毎日行きよった。何か買って帰る日もあったし、何もない日もあった」


「うん」


「ある日、卵を一個持って帰ってきたんや」


「一個」


「そや。一個」


「三人で分けたん?」


「いや。母親は、全部俺にくれよった」


 ぼくは言葉を失った。


「妹も弟も腹を減らしとった。でも、俺が一番危なかったらしい。栄養失調でな」


「……」


「俺は、その卵を食えへんかった」


「え」


「母親に返した。妹と弟にあげてくれって」


 おじいちゃんの声が、少しだけ低くなる。


「母親は黙って、卵を両手で握っとった。それから、こう言うた」


 おじいちゃんは、ゆっくり言った。


「お金の使い方が大事や」


 喫茶店の中が、静かになった。


「お金は、自分のためだけに使うと減る。でもな、大切な人のために使うお金は、増えるんや」


 慈恩さんが、糸目のまま頷いた。


「その卵は、どうしたんですか」


「四つに分けた。俺と、妹と、弟と、母親でな」


「お母さんも」


「ほんの一口や。でも笑っとった。これで四人で生きられるな、って」


 おじいちゃんは、そこで息を吐いた。


「母親は、亡くなる前にも俺に言うた。信夫、お前はお金を大切な人に使うんやで、って」


 慈恩さんは、新しい煙草を出した。


 でも、火はつけなかった。


 指先で、ゆっくり回している。


「田島町工場は、何のために続けているんですか」


 慈恩さんが聞いた。


 おじいちゃんは、まっすぐ答えた。


「町の人らが困るんや」


「はい」


「うちが加工しとる部品は、小さい。けど、近所のいくつかの工場にとっては生命線や」


「はい」


「うちが潰れたら、その工場も困る。その社員も困る。家族も困る」


「はい」


「だから、潰せん」


 おじいちゃんは、もう一度言った。


「大切な人のために使うお金は、増える」


 赤字でも続けていた理由。


 父が出ていっても、ひとりで工場を回していた理由。


 それが、初めてわかった気がした。


 慈恩さんは静かに頷いた。


「その言葉、田島町工場で生きているんですね」


「そや」


「ぼくは、それを聞きたかったんです」


「聞いて、どうするんや」


「けんとくんが、それを引き継ぐはずですから」


 おじいちゃんが、ぼくを見た。


 ぼくは頷いた。


「おじいちゃん」


「ん」


「ぼく、工場を手伝う」


「うん」


「すぐにはお金、生まれへんかもしれん」


「うん」


「でも、やる」


「うん」


 おじいちゃんは、それだけ言って、コーヒーを飲み干した。


 ベルアミを出て、和光市駅まで、おじいちゃんと二人で歩いた。


 慈恩さんとは店の前で別れた。


「けんとくん、また連絡してください」


「はい」


「あ、田島さん」


「ん」


「今日はありがとうございました」


 おじいちゃんは、慈恩さんをじっと見た。


「慈恩さん」


「はい」


「ええ顔しとるな、お前も」


 慈恩さんは糸目のまま笑った。


「変ですよ」


 そう言って、煙草に火をつける。


 煙がまっすぐ立ち上った。


 風があるのに、揺れない煙だった。


 おじいちゃんは、その煙をしばらく見ていた。


 それから、駅のほうへ歩き出す。


 ぼくは慈恩さんに頭を下げて、おじいちゃんを追いかけた。


「健斗」


「うん」


「あの人な」


「うん」


「欲のない目をしとった」


「え」


「ああいう目を、戦後の闇市で何回か見たことがある」


「闇市で?」


「なんも欲しがらへん目をしとる人がおった。そういう人は、ええ仕事をしよった」


「……」


「あの人は本物や」


 おじいちゃんは、前を向いたまま言った。


「金、ちゃんと返したれよ」


「うん。返す」


「お前の人生、変えてくれる人やと思う」


「うん」


 駅前で、おじいちゃんがふと立ち止まった。


「健斗」


「ん」


「お父さんのこと、覚えとるか」


「六歳までの記憶しかない」


「そうか」


「おじいちゃん、お父さんの話、いつもしないね」


「する気にならんかった」


「うん」


「でもな、お前、今日、立派やった」


「……」


「お父さんの分まで、頑張れよ」


 おじいちゃんは、それだけ言って改札のほうへ歩き出した。


 背中が少し曲がっている。


 でも、歩き方はまっすぐだった。


 その夜、布団の中で、ぼくは考えていた。


 おじいちゃんの終戦の話。


 卵の話。


 大切な人のために使うお金は、増える。


 ぼくがパチンコでなくしたお金。


 あれは、全部、自分の不安をごまかすために使ったお金だった。


 だから、減ったのだと思った。


 もし、ぼくがおじいちゃんの工場のために働けたら。


 もし、誰かのためにお金を使えたら。


 それは、増えるのだろうか。


 わからない。


 でも、やってみたいと思った。


 外で犬が一声鳴いた。


 ぼくは寝返りを打つ。


 明日から、工場に通う。


 借金を整理する。


 おじいちゃんに合わせる顔が、少しだけできた気がした。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。


notoやってます。

マガジンお仕事物

https://note.com/happy_duck8972/m/m87f735c2539e


感想・ブックマークなど、いただけましたら、励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。