表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
燃えカスの守り人  作者: K3
第3話「喫茶店の、けんくん」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

46/87

第73話 喫茶店の、けんくん(3)

——あなたは、お金を、何のために、使っていますか。


二十六歳、駆け出しの気づかせ屋・ジオンが、絶望した若者と、

七十八歳の町工場の祖父を、繋いだ。


三世代を貫く、ささやかで、深い、物語。


 二十二歳の顔。


 目の下に、隈。


 頬の肉が、すこし、削げている。


 しかし、ぼくの中で、その顔は二十二歳には見えない。


 六歳のときのぼくの顔が、映っている気がする。


  ◆◇


 さて、ぼくが六歳のとき。


 夏の終わりの、夜。


 台所で、父が一人でビールを飲んでいた。


 母は、寝室のドアを、閉めていた。


 父は、何も、言わなかった。


  ◆◇


 ぼくは、廊下の向こうから、台所を覗いている。


 寝間着だ。


 水を、飲みたかっただけ。


 父は、ぼくに気づかない。


 いや、たぶん、気づいていた。


 しかし、何も、言わなかった。


 ぼくは、水を飲まずに、布団に戻った。


  ◆◇


 翌朝、ぼくは、父がいないことに気づいた。


 母は、いつも通り、朝ごはんを作っている。


「お父さん、いない」


「うん」


「どこ、行った?」


「出かけた」


「いつ、帰ってくる?」


 母は、答えない。


 目玉焼きを、ぼくの皿にのせる。


 手が、震えていた。


  ◆◇


 それから、十六年。


 母は、一度も、父のことを話さない。


 おじいちゃんも、一度も、父のことを話さない。


 ぼくも、一度も、父のことを話さなかった。


 三人で、ずっと、その夏の終わりの夜の続きを生きている。


  ◆◇


 電車が和光市駅に着いた。


 ぼくは降りる。


 家まで、徒歩、十二分。


 夜の住宅街を、歩く。


  ◆◇


 頭の中で、慈恩さんの声が、響いた。


「明日、おじいちゃんを連れてきてもらえますか」


 明日、おじいちゃんを、ベルアミに連れていく。


 ぼくは初めて、おじいちゃんと、第三者を引き合わせる。


 大丈夫かな、と、ぼくは思った。


  ◆◇


 家の玄関を開けた。


 台所に、母の姿がある。


 お皿を、洗っている。


「ただいま」


「おかえり」


「お母さん」


「うん」


「明日、おじいちゃんと、和光市駅行くことになった」


「ふーん」


「相談したい人がいるんだ」


「ふーん」


 母は振り返らない。


 ただ、ひたすら、お皿を洗っていた。


 ぼくは、それ以上、何も言わなかった。


  ◆◇


 自分の部屋に入る。


 借金の督促状の束を、机から引き出しに押し込んだ。


 明日、慈恩さんが、整理してくれる。


 今夜は、その紙、見たくない。


  ◆◇


 布団を敷いた。


 電気を消す。


 暗闇の中で、目を、開けていた。


  ◆◇


 気になったから、ですよ、と、慈恩さんの声が頭の中で響いた。


 何が、気になったんだろう。


 ぼくの、何が。


 借金?


 就活、失敗?


 パチンコ?


 ぜんぶ、ちがう、気がする。


  ◆◇


 ぼくは、目を、閉じた。


 明日の十時、ベルアミ。


 おじいちゃんと、慈恩さん。


 ぼくの知らない、何かが明日、始まる。


  ◆◇


 その夜、ぼくは、夢を見た。


 六歳の、夏の終わりの、夜の夢。


 父が、台所で、ビールを飲んでいる。


 ぼくが、廊下から、覗いていた。


 父は、振り返らない。


 ぼくは、水を、飲まずに、布団に戻る。


 いつもの、夢だ。


 しかし、その夜の夢は、すこし違う。


 ぼくが布団に戻る前に、父が、ふっと振り返った。


 でも、顔は、見えない。


 黒い影だった。


 ぼくは、目が覚めた。


 夜中の三時だ。


第2章 ——欲のない目


——けんとの視点


 翌朝、十時、五分前。


 和光市、白子。


 古い住宅街の中の、小さな喫茶店。


「喫茶 ベルアミ」。


 ぼくは、おじいちゃんと、店の前に立っていた。


「ここか」


「うん」


「えらく地味な店やな」


「うん」


 おじいちゃんは、関西なまりだ。


 昭和十年生まれ。


 終戦時、十歳。


 大阪、堺の出身。


  ◆◇


 ぼくは、ドアを押した。


 ガラン、と、ベルが鳴る。


 店内は、ベルアミの名前に似合わず、地味な内装だった。


 古い木のテーブルが、四つ。


 窓辺の席に、慈恩さんが座っている。


 黒いジャケット。


 黒いシャツ。


 糸目。


 煙草を、指先でゆっくり回している。


「慈恩さん」


「あ、けんとくん。おはようございます」


「すみません、お待たせして」


「いえ、まだ五分前、ですよ」


  ◆◇


 おじいちゃんが、ぼくの後ろに立っている。


 じっと、慈恩さんを見ていた。


 慈恩さんは、糸目のまま、軽く頭を下げた。


「初めまして。慈恩、と申します」


「田島 信夫や」


「お忙しいところ、来ていただいて、ありがとうございます」


「いや、ま、孫がな、世話んなったらしいから」


 おじいちゃんの目は、鋭い。


 ぼくは知っている。


 おじいちゃんは、人を観察するとき、目を細める。


 工場の取引先と話すときも、こうだった。


 慈恩さんは、糸目のまま、何も言わない。


 二人は、しばらく、無言で向かい合っていた。


  ◆◇


「座って、ええか」


「どうぞ」


 おじいちゃんは、慈恩さんの向かいに座った。


 ぼくは、おじいちゃんの隣に座る。


 マスターが、コーヒーを三つ、運んできた。


 マスターは、無口だ。


「どうも」


 と一言だけ言って、奥に戻る。


  ◆◇


「で、なんの話や」


 おじいちゃんが、口火を切った。


 慈恩さんは、コーヒーを一口飲む。


「けんとくんから、聞いてますか」


「気づかせ屋、っちゅう、変な肩書きの男に会うって」


「ええ」


「それだけや」


「そうですか」


 慈恩さんは、糸目のまま、頷いた。


  ◆◇


「田島さん」


「ん」


「ぼく、けんとくんと、契約をしました」


「契約?」


「貸金契約と、業務委託契約です」


「金、貸したんか」


「ええ」


「いくら」


「百万、です」


 おじいちゃんの眉が、ぴくり、と動いた。


「なんで、お前が、孫に金、貸すんや」


「けんとくんが、借金を整理するためです」


「ふん」


「無利息です。期限は五年」


「五年で、百万、返せると、本当に思てんのか」


「ええ、思ってます」


  ◆◇


 おじいちゃんは、しばらく、慈恩さんを見ていた。


 ぼくは、テーブルの下で、拳を握っていた。


 おじいちゃんに、ぼくの借金のことを、まだ、ちゃんと話していなかった。


 昨日、慈恩さんから「正直に話してください」と言われていた。


 しかし、口に出せていない。


 慈恩さんが、ぼくの方を見た。


 糸目のまま。


 でも、ぼくには、伝わった。


 いま、話せ、と。


  ◆◇


「おじいちゃん」


「ん」


「ぼく、消費者金融から、お金を借りていました」


「いくらや」


「三百万、です」


 おじいちゃんは、何も言わなかった。


 慈恩さんも、何も言わない。


 ぼくは、続けた。


「就活で失敗して、パチンコに行って、増やしました」


「ふん」


「だから、慈恩さんが、百万、貸してくれて、それで返済を組み直す予定で」


「お前、それ、なんで、おれに、言わへんかったんや」


 声は、低かった。


 しかし、怒鳴ってはいなかった。


「言えませんでした」


「なんでや」


「おじいちゃんに、合わせる顔が、なかったから」


  ◆◇


 しばらく、沈黙が続いた。


 窓の外で、車が一台、走っていった。


 慈恩さんは、煙草を灰皿に置いた。


  ◆◇


「健斗」


「はい」


「お前、なんで、ここに来た」


「え」


「ぼくが、誘ったから、やろ。けんと自身は、なんで来たんや」


 おじいちゃんの目は、まっすぐ、ぼくを見ていた。


 ぼくは、答えに、詰まる。


 なんで、来たんだろう。


 慈恩さんに言われたから。


 契約したから。


 借金を整理したいから。


 でも、ちがう、気がした。


「……たぶん、おじいちゃんに、会いたかったから」


 言葉が、勝手に、口から出た。


「合わせる顔がないのに、おじいちゃんに、会いたかったから、来ました」


  ◆◇


 おじいちゃんは、しばらく、黙っていた。


 それから、ふっと、笑った。


「ええ顔、するようになったやないか、健斗」


「え」


「お父さんの顔やない。お前の顔や」


 ぼくの胸が、すこし、熱くなる。


  ◆◇


「ジオンさん、やったか」


「慈恩、です」


「慈恩さん、お前、ええ人やな」


「いや、めんどくさいだけです」


「めんどくさい?」


「ええ、ぼく、めんどくさい仕事しか、しないんですよ」


「ふん。そうかい」


 おじいちゃんは、コーヒーを一口飲む。


 関西なまりが、ふと、やわらいだ。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


月曜・木曜の定期更新に加え、時間ができた時にも随時更新します!

ぜひお楽しみに!


★感想・評価をいただけると、執筆の励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ