表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
燃えカスの守り人  作者: K3
第3話「喫茶店の、けんくん」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

45/87

第72話 喫茶店の、けんくん(2)

——あなたは、お金を、何のために、使っていますか。


二十六歳、駆け出しの気づかせ屋・ジオンが、絶望した若者と、

七十八歳の町工場の祖父を、繋いだ。


三世代を貫く、ささやかで、深い、物語。

AIはGoogleで調べものしてます。


第一話「ともだちのお母さん」——モラハラに苦しむ友達のお母さんを救いたい、

中学生リサの小さな勇気の物語。


第二話「夏のなか、ちーちゃん」——人気絶頂の若手歌手・三浦翔太と、

神宝町で出会った14歳の不思議な少女、ちーちゃんとの夏。


「壊れたまま生きる」という選択を、肯定する物語。

30〜50代の読者に贈る、現代ファンタジー人情ドラマ・ライトノベル文芸。なろうでも投稿してます。


 慈恩さんが、糸目のまま煙草を灰皿に置いた。


 しばらく、何も言わない。


 ぼくも、何も、言わなかった。


 窓の外を見る。


 すると、夕陽が線路の向こうに傾いていた。


  ◆◇


「電話で、おじいちゃんの工場、って話、出てましたよね」


「あ、はい」


「教えてもらえます?」


 ぼくは、姿勢を戻す。


「ぼくの祖父の工場です」


「ええ」


「田島町工場」


「ええ」


「和光市、白子にあります」


「ええ」


「金属加工の町工場です」


「ええ」


  ◆◇


「おじいちゃん、お一人で?」


「はい」


「お年は」


「六十七歳です」


「六十七」


「ええ、来年六十八」


「一人で、工場、回してるんですか」


「はい」


「働き手は」


「おじいちゃんだけです」


 慈恩さんの糸目が、ほんのすこし開いた。


 爪の半分くらい、だろう。


 ぼくは、気づかない。


 しかし、空気がほんのすこし変わった気がする。


  ◆◇


「お父さんが継ぐはずだったんですけど」


「ええ」


「家を出ていって……」


 言葉が、そこで止まる。


 いつもの止まり方だ。


 ぼくはいつも、ここで止まる。


 その先を、誰にも、話したことがない。


  ◆◇


 慈恩さんは、待っている。


 急かさない。


 助け舟も、出さない。


 ただ、糸目のままぼくを見ているだけ。


 待つ、ということが、ぼくに伝わってくる。


「父が家を出たのは、ぼくが六歳のときです」


「ええ」


「それから、一度も会っていません」


「ええ」


「おじいちゃんは、父のことを話しません」


「ええ」


 慈恩さんは、煙草の灰を灰皿に落とした。


 ぼくの言葉に、何も付け足さない。


 ただ、聞いている。


「母も、父のことを話しません」


「ええ」


  ◆◇


「ぼくも、父のことを考えないようにして、生きてきました」


「ええ」


「でも、おじいちゃんが工場を一人で回してるの見ると、ね」


「ええ」


「ぼくが、なんとかしないといけない気がして」


「ええ」


 ぼくは、コーヒーカップの縁を、指でなぞった。


 慈恩さんは、その指先を、見ていない。


 糸目のまま、ぼくの声だけを聞いている。


「就活、頑張ったのも、たぶん、それで」


「ええ」


「でも、ぜんぶダメで」


「ええ」


「パチンコに行ったときも、頭の隅で、おじいちゃんのことがありました」


「ええ」


 窓の外の夕陽が、もう、線路の向こうに沈みかけていた。


 慈恩さんは、それでも、なにも、急がない。


 水のコップを、ぼくの方に、ほんのすこし押した。


「ぼくは、おじいちゃんを助けたかったはずでした」


「ええ」


「でも、いまのぼくは、おじいちゃんに合わせる顔がありません」


  ◆◇


 言い終えて、ぼくは深く息を吐いた。


 話し過ぎたな、と思う。


 初対面の相手に、ぼくの全部を渡しすぎた。


 しかし、止まらなかった。


 慈恩さんが、ずっと「ええ」と相槌を打ち続けたからだ。


 その「ええ」は、慰めではない。


 評価でも、なかった。


 判断でも、なかった。


 つまり、ただ、聞いている、という合図だった。


  ◆◇


 慈恩さんが、コーヒーを最後の一口飲んだ。


「けんとくん」


「はい」


「明日、おじいちゃんを連れてきてもらえますか」


「え」


「ここじゃなくて、和光市の白子に『喫茶 ベルアミ』って店、ありますよね」


「あ、はい」


「そこで」


「おじいちゃん、なんて誘えばいいですか」


「『慈恩さんって人と話してきた』って、ふつうに言ってください」


「説明しないんですか」


「説明すると、来てくれない人ですね、たぶん」


 ぼくは頷く。


 たぶん、その通りだ。


 §5 ——契約と、「気になったから」


 慈恩さんは、契約書の空欄にペンで書き込み始めた。


「業務委託契約」


「貸金契約」


「ぼくが、けんとくんに、百万、貸します」


「無利息」


「返済期限、五年後」


 ぼくは、契約書を覗き込んだ。


 慈恩さんの字は、丁寧だった。


 四角い、まっすぐな字。


「期限内に返済できれば、終わり」


「期限内に返済できなければ、ぼくはけんとくんに、損害賠償、請求できる」


「えええ……」


「冗談ですよ」


「冗談?」


「ええ、冗談です」


「冗談?」


「ぼく、損害賠償しません」


「じゃあ、なんで書くんですか」


「書いとかないと、契約書として効力、薄いんで」


「は、はい」


  ◆◇


 慈恩さんは、糸目のまま、ペンを走らせる。


 慣れた手つきだ。


 契約書の書き方を、ふつう、知っている人なのだろう。


「成功報酬」


「四割」


「五年間」


「けんとくんが稼いだお金、月の収入の四割」


「ぼくに支払う」


「失敗時」


「ゼロ」


  ◆◇


「あの」


「はい」


「失敗、って、誰が判定するんですか」


「けんとくん、です」


「ぼく?」


「ええ」


 慈恩さんは、ペンを置いた。


 ぼくの目を、見ている。


 糸目の、向こう側から。


「ぼくが、五年後『あ、人生、変わってないな』って思ったら」


「ええ」


「四割、払わなくていいんですか」


「いいです」


「えええ」


「つまり、ぼくが五年後にけんとくんから四割もらえるかは、けんとくんの判定しだいです」


  ◆◇


 ぼくは、その説明をしばらく咀嚼した。


 頭の警報は、もう鳴っていない。


 しかし、わからない。


 なんで、この人、こんな相手有利の契約を結ぶのか。


 ぼくの、なにを、信じているのか。


  ◆◇


「もう一度、聞いていいですか」


「はい」


「なんで、ぼくと会う気になったんですか」


 慈恩さんは、煙草をもう一本出した。


 ライターをつける。


 ジッ、と紙の燃える音。


 ゆっくり煙を吐いた。


 答えは、決まっている。


「気になったから、ですよ」


「気になった」


「ええ」


「何が気になったか、聞いていいですか」


「明日、おじいちゃんに会って、答えますよ」


  ◆◇


 ぼくはペンを握った。


 契約書の署名欄。


『田島 健斗』


 まっすぐ書いたつもりだ。


 でも、字は震えている。


 慈恩さんは、それを見て、糸目のまま頷く。


「ありがとうございます」


  ◆◇


 会計は、慈恩さんがした。


 ぼくは止めようとする。


「いいんです、ぼくが呼んだので」


「あ、はい」


 ぼくの財布には、千円札が二枚しか入っていない。


 止めようとして、止め切れない自分が情けない。


 しかし、慈恩さんは、その情けなさにも、何も言わなかった。


 §6 ——帰り道の、六歳の、夜


 店を出た。


 夕方の五時半に入ったのに、もう、夜の八時近い。


 ぼくは、二時間半、しゃべっていたらしい。


  ◆◇


 慈恩さんは、駅までぼくと、いっしょに歩いた。


 商店街の街灯が、ぽつぽつ、ついている。


「けんとくん」


「はい」


「明日、十時です」


「はい」


「『ベルアミ』、東武東上線、和光市駅から徒歩十二分です」


「あ、はい」


「迷ったら、電話してください」


「はい」


  ◆◇


 駅の改札の前で、慈恩さんは止まった。


「ぼくね、神宝町に住んでます」


「神宝町」


「ええ」


「古い本屋の街の、ところですね」


「あ、はい」


「明日、ベルアミにぼくが行きますんで」


「すみません、わざわざ」


「謝らなくていいですよ」


「あの」


「はい」


「ありがとうございます」


「まだ、何もしてないですよ」


「でも」


「ええ、ええ」


 慈恩さんは、糸目のまま頷く。


  ◆◇


 ぼくは改札を通った。


 振り返ったら、慈恩さんは、もう、いない。


  ◆◇


 電車に乗った。


 和光市行き。


 成増駅のホームから、和光市まで、一駅。


 窓の外を見ていた。


 夜の線路。


 黒い家々。


 ぽつ、ぽつ、と灯る窓の明かり。


  ◆◇


 頭の中が、ぐちゃぐちゃだ。


 契約書にサインした。


 借金整理のお金は明日、渡される。


 明日、おじいちゃんを連れてベルアミに、行く。


 ぜんぶ、決まった。


 しかし、ぜんぶ決まったのに、ぼくの頭の中は別のことを考えている。


  ◆◇


 父のことだ。


 慈恩さんに、初めて、話した。


 ぼくが、六歳のときに、出ていった人。


 ぼくの中で、もう、いない人。


 話したくない人。


 でも、話してしまった、人。


  ◆◇


 電車の窓に、自分の顔が映っている。


最後までお読みくださり、ありがとうございました。


二十六歳の、駆け出しの気づかせ屋・ジオン。

七十八歳の、町工場のおじいちゃん・信夫さん。

二十二歳から二十七歳へと、成長していく、けんと。


三世代を貫く、「お金の使い方」「託された使命」「壊れたまま生きる」

という、三層のテーマを、四万字に込めました。


信夫さんのお母様が、戦後、女手一つで四人の子を育てた時に言った言葉——

「お金は、本当に大切な人のために使うと、増える」——

これが、本作の核です。


五十年後、その言葉が、孫のけんとに、ジオンを介して、届いた。


揺れない煙、刀印、託された使命、——

ジオンの世界の符牒は、第二話・第三話・第四話で、より深くお楽しみいただけます。


特に、第二話「夏のなか、ちーちゃん」では、

本作で「孫の命の恩人」と呼ばれていたジオンが、

神宝町の一階を「事務所」と名乗るようになった、

その続きの物語が描かれています。


揺れない煙の下で、ジオンは、次の誰かを、待っています。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ