表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
燃えカスの守り人  作者: K3
海斗日本滞在中

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

40/87

閑話④ できたこと、ひとつ


 日曜の朝、ぼくは、河川敷のグラウンドに立っていた。


 少年団の練習。


 やめる、と言ってから、初めて来た。


 来るのは、こわかった。


 グラウンドの手前で、二十分、立ち止まっていた。


 引き返そう、と、何度も思った。


 でも坂田さんが「覚えた点は、試合の中で使え。でなきゃ、覚えた意味がない」と言ったから、来た。


 それだけだった。


 ぼくが顔を出すと、空気が、すっと、変わった。


 アップしていたみんなが、ちらっと、こっちを見て、それから、目をそらした。


 誰かが、小さく言った。


「なんで、来たんだよ」。


 別の誰かが、笑った。


 コーチも、ぼくを見て、何も言わず、ただ、列のいちばん後ろを、顎で、さした。


 ぼくの目は、いつもの癖で、すっと、足元の芝に落ちた。


 土。


 枯れ草。


 スパイクのつま先。


――胸が、ぎゅっと、苦しくなった。


 あの、すべり台の景色と、おなじ。


 見られている、という、いちばん苦しくなる点。


 下を見たら、心も下を向く。


 坂田さんの声と、慈恩さんの声が、おなじところで、重なった。


 ぼくは、顔を上げた。


 グラウンドの、いちばん遠く。


 河の向こうの、鉄塔のてっぺん。


 その一点を、見た。


 鼻から、いち、に、さん、し。


 口から、ゆっくり、六つ。


 胸の苦しさは、消えなかった。


 でも、ほんの少し、息が、できた。


 それで、じゅうぶんだった。


 逃げずに、列に、並べた。


 アップのあいだ、誰も、ぼくに話しかけなかった。


 パスの相手にも、選ばれなかった。


 ぼくは、ひとりで、壁に向かって、ボールを蹴った。


 顔を上げて。


 一点を見て。


 軸足を決めて。


 誰かに見せるためじゃなく、坂田さんと、ビルでやったのと、おなじように。


 みんなが、ちらちら、こっちを見ているのが、わかった。


 前なら、その視線で、足がすくんだ。


 でも今日は、ぼくは、自分の一点だけを、見ていた。


 紅白戦が、始まった。


 ぼくは、いつもベンチの子と、組まされた。


 弱いほうのチーム。


 誰も、ぼくにパスを出さない。


 出されても困る、という顔を、みんな、していた。


 それでよかった。


 ぼくは、ボールが来ない時間に、立ち方を、確かめていた。


 足の裏の、三点。


 内もも。


 尻の横。


 目は、下げない。


 次にボールが転がりそうな場所を、先に、見ておく。


 坂田さんと、何百回もやった、あの感じで。


 一度だけ、ボールが、ぼくのところに、こぼれてきた。


 昔のぼくなら、あわてて足元を見て、つついて、取られていた。


 でも今日は、違った。


 蹴る前に、もう、顔を上げていた。


 右の前に、いつもベンチの子が、走り出していた。


 その、走り込む先の芝の、一点が、見えていた。


 ぼくは軸足を決めて――足の裏の三点、内もも、尻の横――そこへ、インサイドで、転がした。


 パスは、まっすぐ、走り込んだ子の足に、収まった。


 その子は、止まらずに、運べた。


 振り返って、意外そうな顔で、ぼくを見た。


「お前、今の……」と言いかけて、口を、つぐんだ。


 ぼくの胸の、浅いところが、すこし、あたたかくなった。


 でも、すぐあとだった。


 相手の子が、ぼくに寄せてきた。


 速かった。


 ぼくは、また、足元のボールを見てしまった。


 一瞬で、目の前がボールだけになって――足を引っかけられて、転んだ。


 芝で、肘を、すりむいた。


 ボールは、取られて、そのまま、ゴールまで、運ばれた。


「ほら、やっぱり」声が、笑った。


 さっき、ぼくのパスを受けた子じゃない、別の子だ。


「お前がいると、負けるんだよ」


 その言葉が、まっすぐ、いちばん苦しい点に、刺さった。


 芝が、ぐるっと、回った。


 耳の奥で、体育館の裏の声が、いっせいに、鳴った。


 下手くそ。


 消えろ。


 ぼくの目が、地面に、貼りついた。


 立ち上がれなかった。


 このまま、芝に、溶けて、消えてしまいたい、と思った。


――そのときだった。


 河の向こうの、鉄塔のてっぺんが、視界のすみに、ちらっと、見えた。


 さっき見た、あの一点。


 ぼくは、目を、そこへ、引っぱり上げた。


 歯を、食いしばって。


 鼻から、いち、に、さん、し。


 口から、ゆっくり、六つ。


 ぐるぐる回っていた声が、その一点に、すこしずつ、吸い込まれていった。


 芝が、止まった。


 ぼくは、立ち上がった。


 肘の血を、ユニフォームで、拭いた。


 グラウンドから、走って出て行きたかったけど、出て行かなかった。


 ただ、立って、次のボールを、待った。


 それが、今日の、ぼくの、精いっぱいだった。


 練習のあと、グラウンドのすみに、坂田さんが、立っていた。


 いつから見ていたのか、わからない。


 腕を組んで、河を、見ていた。


「来てたんだ」


「ああ」坂田さんは、それだけ言った。


「言え。今日、できたこと、ひとつ。なおすこと、ひとつ」


 ぼくは、うつむいた。


 できたこと、なんて、ない。


 転んで、笑われて、また、負けの原因に、なった。


 なおすことなら、いくらでも言えた。


 口を開けば、なおすことばかりが、あふれてきた。


「待て」坂田さんが、止めた。


「なおすことは、あとだ。先に、できたこと。一つでいい」


「……できたこと、なんて」


「あるだろう」坂田さんは、ぼくの目を、見た。


 逃がさない目で。


 ぼくは、さっきの試合を、頭の中で、もう一度、見た。


――いつも、なおすことの点ばかり見ていた。


 転んだところばかり、何度も、再生していた。


 だから、できたことの点は、ずっと、暗いままだった。


 見ようと、しなかったから。


 ぼくは、目を、その暗い点に、移した。


 すると、そこに、ちゃんと、あった。


「……パス。一回だけ。顔を上げて、出せた。……取られ、なかった」


「それだ」と坂田さんは言った。


「もう一つ。逃げなかった。転んでも、笑われても、グラウンドから出なかった。二つ、できてる」


 ぼくは、顔を、上げた。


 二つ。


 たしかに、二つ、あった。


 坂田さんは、ポケットから、小さなノートと、鉛筆を、出した。


 表紙の、すり切れた、古いノートだった。


「書け。できたこと、二つ。なおすこと、一つ」


「……一つ、だけ?」


「一つだ。一回の練習で、なおすのは、一つでいい。たくさん直そうとすると、どれも直らん。練習は、質だ。量は、嘘をつく」


 ぼくは、ノートに書いた。


 できたこと――顔を上げて、パスを出せた。


 逃げなかった。


 なおすこと――寄せられたとき、足元を見てしまった。


「いいか」と坂田さんは言った。


「このノートは、お前から、お前への、手紙だ。人の目は、お前を採点しない。あいつらが、なんと言おうと、関係ない。お前を採点するのは、このノートだけだ。お前が、自分で、どの点を見るか。それだけだ」


 どの点を、見るか。


 また、慈恩さんの言葉と、重なった。


 見る場所で、感じることが、変わる。


 ノートに書いた、できたこと、二つ。


 たった二つだけど、それは、ぼくが、自分で、見つけた二つだった。


 誰かに、ほめられたんじゃない。


 ぼくが、自分の試合の中から、暗い点を、かきわけて、見つけ出した、ぼくだけの、二つだった。


 それは、誰にも、消せなかった。


 あいつらが、何を言っても、このノートの二つは、消えない。


「帰れ」と坂田さんは言った。


「今日は、上等だ」


 ぼくは、ノートを、ポケットにしまった。


 肘が、ひりひり、した。


 でも、その痛みは、嫌な痛みじゃ、なかった。


 河川敷を出るとき、もう一度、鉄塔のてっぺんを見た。


 さっき、ぼくを地面から引っぱり上げてくれた、あの一点。


 その点は、ずっと、そこに、あった。


 ぼくが、見ても、見なくても。


 逃げたくなったら、また、あれを見ればいい。


 次の練習が、こわくなったら、また、あの一点を、探せばいい。


 そう思うと、明日が、ほんの少しだけ、こわくなくなった。


「次までに、考えとけ」坂田さんの声が、うしろから、追ってきた。


「その、“なおすこと、一つ”を、どうやって、なおすか。――計画に、しろ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ