第36話 夏のなか、ちーちゃん(26)
Part 5 —— 2007年・春・神宝町
あれから、四年。
わたしは、高校三年生。
剣道は、もう、続けてる。
高校の剣道部、入部した。
二段、取った。
慈恩・オフィスは、相変わらず。
慈恩さんは糸目で、いつものアースクエイクをちびちび舐めてる。
NAKANOも、相変わらず。
中野のおじさんは、グラスを磨いてる。
裕子さんは、料理を作ってる。
美月は、もう、五歳。
神宝町を、走り回ってる。
——わたしは、毎日、家から学校へ行って、帰りにNAKANOへちょっと寄って、慈恩さんと話して、家に帰る。
ふつうの、毎日。
ある日。
NAKANOのテレビが、ついていた。
ニュース。
「日本人ブルースロック歌手、SHO氏。米グラミー賞、ノミネート」
——え。
SHO?
翔太さん?
中野のおじさんが、笑った。
「お、翔太、やったな」
慈恩さんが、糸目で頷いた。
「よかったですね」
「慈恩、お前、これ、最初から、わかってたんだろ?」
「まあ、そうですね」
「お前、ほんと、目利き、ヤバい」
「めんどくさいの、嫌いなんで。目利きしないと、余計めんどくさいんですよ」
——慈恩さん、いつもの軽口。
でも、嬉しそう。
わたしは、テレビの中のSHOを見ていた。
——翔太さん、もう、世界、行ってる。
わたしの、夏の、はじまりの人。
いま、世界の舞台に立ってる。
——でも。
慈恩さんは、ここに、いる。
わたしの隣に。
アースクエイク、舐めて、糸目で笑ってる。
——変わらない。
いつもの、慈恩さん。
そう思った瞬間、慈恩さんが、わたしを見た。
「ちーちゃん」
「はい?」
「お兄さんの、夏の、はじまりの人。まだ、お兄さんの中に、いますよ」
「え」
「四代の声と、一緒に。ちーちゃんも、お兄さんの中で、いつまでも、います」
——え。
慈恩さん、ぜったい、わたしの心、読んでる。
「慈恩さん、ぜったい、人の心、読まないでください」
「はい。すみません」
中野のおじさんが、ぶはっと、笑った。
「ちーちゃん、慈恩に、心、ぜんぶ、読まれてんだろ?」
「うん、ぜったい、読まれてる」
「ふふふ、慈恩、これ、セクハラ、じゃねえか?」
「はい。すみませんです」
——いつもの、NAKANOの夕方。
美月が、奥で笑ってる。
裕子さんが、料理を運んでる。
中野のおじさんが、わたしをからかってる。
慈恩さんが、糸目で、にこっと笑ってる。
——ふつうの、毎日。
——でも。
わたしの夏は、まだ、続いてる。
——あの、二〇〇三年の夏。
翔太さんが、「歌、やめる」って、二十回、言った夜。
慈恩さんが、ふっと、立ち上がった、あの瞬間。
——あそこから、ぜんぶ、始まった。
そして、それは、まだ、終わらない。
そう、わたしは、感じた。
Part 6 —— 終章・夏の記憶
夜。
家に帰って、布団に入った。
——あの夏、覚えてる。
——わたし、十四歳だった。
——夏期講習、剣道、警察のおじさん、ぎっくり腰、サッカー部の男子、告白未遂。
——お母さんが、ぎゅっと、わたしを抱きしめた、夜。
——お父さんが、出張から、帰ってきた、夕方。
——美月が、抱っこ紐で、すやすや、寝てた。
——中野のおじさんが、グラスを、磨いてた。
——裕子さんが、コーヒーを、淹れてた。
——おじいちゃんが、契約書を、わたしに、見せてた。
——翔太さんが、ぐでんぐでんで、カウンターに突っ伏してた。
——慈恩さんが、糸目で、にこっと、笑ってた。
——ぜんぶ、いまも、心の中で、続いてる。
——夏は、終わらない。
——ううん、ちがう。
——夏は、終わったけど、終わらない。
——終わって、思い出になって、わたしの中で、ずっと、生きてる。
——だから、夏は、終わらない。
そう、わたしは、思った。
外で、虫が鳴いていた。
セミ、じゃ、ない。
四月の、夜の、虫。
——もう、何年も、経った、夜。
——でも、わたしの夏は、ここに、いる。
——慈恩さんと、翔太さんと、中野家と、いっしょに。
そう思いながら、わたしは、目を閉じた。
——おやすみなさい。
——慈恩さん、翔太さん。
——わたしの、最初の、夏の人たち。
そう、心の中で、呟いた。
外の虫の声が、続いていた。
夏は、終わらない。
わたしの、夏は、終わらない。
(第二話「夏のなか、ちーちゃん」完)




