第35話 夏のなか、ちーちゃん(25)
エピローグ【前半】—— 数年後・SHO
Part 1 —— 2005年・初春・ラジオの声
二〇〇五年、二月の終わり。
夜の自分の部屋。
わたしは、高校一年生になっていた。
剣道は、続けている。
去年の夏、関東大会で初優勝した。
制服のまま、神宝町のビルへ走った、あの日。
十階の事務所は——もぬけの殻だった。
おじいちゃんが、亡くなって。
ビルに、知らない大人たちが出入りするようになって。
慈恩さんは、神宝町から消えた。
電話も、繋がらない。
手紙の宛先も、ない。
翔太さんの居場所も、事務所といっしょに、わからなくなった。
——音信不通、という、やつ。
わたしの夏は、あの夏のまま、止まっていた。
その夜。
宿題をしながら、つけっぱなしの深夜ラジオから——
低い声が、流れてきた。
「磯の匂いが まだする夜に——」
シャープペンが、止まった。
——え。
——この声。
——この歌。
日本語のブルース。
夜の海みたいな、声。
——翔太さんだ。
DJが、曲名を読み上げた。
『Blues from the Harbor Town』。
SHO。
「いま、カナダで、話題の、日本人シンガーです」
「モントリオールの、老舗ライブハウス『La Voix du Port』——『港の声』っていう、意味だそうです。満員の、三百人が、総立ちだったとか」
——三百人。
——初めての、海外で。
——っていうか、『港の声』。
——そんな名前の、ライブハウス、選んで、ブッキングする人、ひとりしか、いない。
——海さんだ。
わたしは、ラジオにかじりついた。
DJの声の向こうに。
あの夏の、NAKANOのカウンターが、見えた気がした。
——翔太さん、世界、出たんだ。
——本当に、出たんだ。
そして、思った。
——慈恩さん、きっと、そこに、いる。
——ステージの、袖の、暗がりに。
——糸目のまま。
連絡は、つかない。
でも、ラジオの電波の向こうに、確かにいる。
——生きてる。
それが、わかっただけで。
わたしは、その夜、すこしだけ泣いた。
Part 2 —— 2005年・夏・壁の切り抜き
NAKANOは、いまも、神宝町の裏路地で営業している。
慈恩さんのいない、神宝町で。
わたしは、いまも、たまに寄る。
「いらっしゃ——あ、ちーちゃん」
裕子さんの声は、変わらない。
美月は、三歳になった。
店の中を、走り回ってる。
そして、カウンターの奥の壁に——
切り抜きが、増えていた。
音楽雑誌の記事。
『アジアから来た、本物のブルースロックの男』
『彼の歌は、海の声がする』
トロント。
Lee's Palace。
ロックの聖地。
二週間、連続出演。
最初の夜は、五十人。
五日目には、入りきれない列ができた——って、書いてある。
「裕子さん、これ」
「うん。海さんがね、送ってきてくれるの」
——海さん。
——朝日海さん。
「……慈恩さんの、ことは」
「ううん。なんにも」
裕子さんは、首を振った。
「あの人、ふらっと、消えちゃったから」
「うん」
「でもね、ちーちゃん」
「うん」
「翔太くんが、世界で、歌ってる」
「うん」
「それが、答えみたいなもんよ」
——うん。
——翔太さんの、歌が、響いてる、かぎり。
——あの人の、仕事は、続いてる。
その夏、わたしは、また、勝った。
新聞の地方面に、小さく、名前が載った。
——慈恩さん。
——どこかで、新聞、読んでますか。
——わたし、勝ち続けてますよ。
それが、わたしの——
出せない手紙の、代わりだった。
Part 3 —— 2005年・秋・英語の記事
秋。
学校の図書室のパソコンで。
わたしは、英語の記事を開いていた。
ローリング・ストーン誌、Web版。
『The Real Deal from Japan: SHO and the Blues from the Harbor Town』
——「日本から来た、本物。SHOと、港のブルース」。
辞書を、引き引き、読んだ。
ニューヨーク、ブルックリン。
伝説の、ジャズクラブ『The Salt Pier』——「塩の桟橋」。
——また、海の、名前。
——海さん、ぜったい、こういう場所、選んでる。
記事には、写真が載っていた。
長い髪の、SHO。
抱えているのは、あの、ES-150。
四代のギター。
売られて、取り返された、ギター。
英語の文章のなかに、ひとつだけ、辞書を引かなくてもわかる一文が、あった。
《His team never lets anyone change him.》
——彼の、チームは、誰にも、彼を、変えさせない。
——あ。
——慈恩さんの、約束だ。
——「ぜんぶ、無視で、お願いします」。
——生きてる。
——あの夏の、約束、まだ、生きてる。
わたしは、図書室で泣きそうになって、
あわてて、画面を閉じた。
エピローグ【後半】—— 数年後・SHO
Part 4 —— 2006年・春・五千人と、再会の年
二〇〇六年、三月。
高校二年の、終わり。
お茶の間のテレビの、ニュースが言った。
「アメリカ、テキサス州オースティンの、音楽フェスティバル、SXSW。日本人シンガーSHOの、ステージに、五千人の、観客が——」
——五千人。
画面のなかで、翔太さんが歌っていた。
ES-150を、抱えて。
髪も、切らずに。
歌詞も、変えずに。
磯の匂いの、まま。
数日後の、音楽誌が書いた。
『メジャーレーベル五社の、オファーを、すべて断る』
『「Tide Recordsが、自分で、世界を、回す」——朝日海代表』
——海さん、メジャー、断った。
——自分の、レーベルで、世界、攻めるんだ。
——海さん、本当に、あの人の、後輩だ。
わたしは、雑誌を閉じて、
窓の外の、春の神宝町を見た。
慈恩さんのいない神宝町。
でも、もう、わかっていた。
——翔太さんの、歌が、世界の、どこかで、鳴ってる。
——その、ステージの、袖に、あの人が、いる。
——わたしの、剣道が、新聞の、どこかに、載ってる。
——それを、あの人が、どこかで、読んでる。
会えない。
でも、繋がってる。
——だから、わたしは、勝ち続ける。
——あの人に、届く、ように。
そして——
その年の終わりに。
わたしは、慈恩さんと再会する。
三年ぶりに。
神宝町のビルの前で。
——でも、その話は、また、いつか。
いまは、まだ、二〇〇六年の春。
わたしは、竹刀袋を背負って、
春の神宝町を、歩き出した。
——夏は、終わらない。
——わたしの、夏は、まだ、終わらない。




