表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
燃えカスの守り人  作者: K3
歌う男は、死の淵を歩いた人

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

33/88

第33話 夏のなか、ちーちゃん(23)


 ——「お疲れさま」っていう感じで。


 ふたりとも、こちらには来ない。


 美月が眠っているうちに、静かに帰るつもりなんだろう。


 ——遠くから見守る人たち。


 大人の距離感。


 でも——


 後ろが、なんだか、騒がしい。


 振り向くと、ロビーのあたりに、人があふれていた。


 スーツ姿、革ジャン、眼鏡、スカーフ——男も女もいて、みんな、名刺を片手にしている。


 ——え?


 観客は二十人だったはずなのに。


「ライブ終わってから、外から入ってきた人たちですよ」


 慈恩さんが、穏やかに言った。


「外?」


「ええ。業界の人たち。噂を聞きつけて、来たみたいです」


「噂……もう?」


「お兄さんのライブ、最初の十分で。外で聴いてた誰かが、きっと電話したんですよ」


「えっ?」


「『ヤバい新人出た! いま、すぐ来い!』って」


「えええ!」


 ——ロビーは、百人近い人で、溢れていた。


「あ、お兄さん、こちら来ますね」


 慈恩さんが糸目のまま、翔太さんをそっと前に立たせた。


 群衆の方を向いて、ふわりと笑う。


 ——"いらっしゃい"って感じの笑顔。


「SHOさん、はじめまして、◯◯レコードの……」


「僕、△△エンタテインメントの……」


「すごいライブでした、うちで契約を……」


「あの田舎っぽい感じ、消せば、もっと売れますよ」


「ロック色を強くしたほうがいい」


「いや、Jポップ寄りのメロディにですね」


「海難事故の話は重いので、もっと明るく!」


「ギターも新しいのを買って、映える感じで!」


「全部プロデュースします、こちら契約書です!」


 ——名刺の、洪水。


 翔太さんの両手が、名刺で埋まっていく。


 目が、回りそう。


 翔太さんが、困ったように慈恩さんを見る。


 慈恩さんは、にこっと笑い、


「皆さん」


 声のトーンを、少し落とした。


「お兄さん、ぼくが業務委託で預かってますんで。お話は、ぼくに通してください」


 群衆が、次々に名刺を差し出す。


 慈恩さんはすべて受け取り、静かに、一呼吸おいて——


 笑顔を、消した。


 糸目が、開く。


 獣のような、眼差し。


 一瞬、空気が凍った。


 低い声で、言う。


「お兄さんは、変えません」


 沈黙。


「田舎くささ、消しません」


「ギター、替えません」


「歌詞、変えません」


「メロディ、変えません」


「皆さんの話、聞きません」


 静寂が、落ちた。


「お兄さんは、お兄さんのままで、世界に出ます」


 その一言で、誰も、言葉を続けられなくなった。


「だから、変えようとする契約は、すべて断ります。めんどくさいんで」


 ふたたび糸目に戻り、笑みを浮かべた。


「皆さん、お疲れさまでした」


 群衆がざわめき、引いていった。


「ヤバい、あの人、何者?」


「社長でも勝てないタイプだ」


 そんな声が、遠くに聞こえた。


 ——慈恩さん、百人を、一瞬で抑えた。


 剣道でいえば、大将戦を、一人で制したようなもの。


「お兄さん、大丈夫?」


「あ、はい」


「ぼく、こういうの嫌いなんで、全部、追っ払いました」


「ありがとうございます」


「はい」


 そのとき、最後尾に、ひとりだけ残っている人がいた。


 ——いや、四十代くらいの人じゃ、ない。


 二十代半ばくらい。


 ジーンズに、白シャツ。


 中肉中背、髪はやや長め。


 センスのいい服装。


 関西風の、軽やかな雰囲気。


 静かに佇んで、ステージを見つめている。


「あ、その人だけ、別ですよ」


 慈恩さんが、また笑った。


 ——え。


 別、って。


 慈恩さん、知ってる人なんだ。


 そう思った瞬間、その若い男の人が、ふっと顔を上げた。


 そして、慈恩さんに向かって、軽く手を上げた。


「先輩!」


 ——え。


 「先輩」?


 慈恩さんに、「先輩」って呼ぶ、人?


 慈恩さんが、糸目のまま、ふっと笑った。


(かい)、来てくれましたね」


 ——海。


 その人の名前。


 朝日(あさひ) (かい)、っていうらしい。


 その人は、軽く頭を下げた。


 関西風の、軽やかなお辞儀。


「翔太さん、はじめまして。朝日(あさひ) (かい)、です」


「あ、はじめまして。三浦翔太です」


「Tide Records、っていう、新しいレーベル、立ち上げました」


「Tide……?」


「潮、です。先輩との出会いの場所が、海のある国だったので」


 ——海のある国?


 朝日さんは、ふっと笑った。


「先輩の歌——いや、SHOさんの歌、ね。最初の十秒で、惚れました」


「えええ、十秒?」


「歌、ですから。十秒で、ぜんぶ、わかります」


 ——朝日さんの言い方、慈恩さんに、ちょっとだけ、似ていた。


 ——なんとなく、わかった。


 この人と慈恩さん、似た種類の、本物。


「翔太さん、契約のお話、後日、先輩の事務所で、ね」


「は、はい」


「楽しみに、しております」


 朝日さんは、もう一度、関西風の軽いお辞儀をして、ふらりと出口の方へ歩いていった。


 ——なんか、慈恩さんと違って、軽やかな大人。


 でも、慈恩さんと同じ、ただ者じゃない感じ、する。


 そう、わたしは感じた。


 慈恩さんが、糸目で、にこっと笑った。


「お兄さん、あの人、ぼくの古い友人です」


「は、はい」


「あの人なら、信じても、いいですよ」


「うん」


「後日、ちゃんと、お話、しましょうか」


「はい」


 ——慈恩さん、最初から、あの人を選んでた。


 百人の中の、一人。


 ——でも、それは、後で知ることになる。


 ライブハウスを出ると、夜はもう、深く沈んでいた。


 お盆明けの風は、ほんの少しだけ涼しい。


「ちーちゃん、家まで送ります」


「あ、ありがとうございます」


 慈恩さんと、わたしと、翔太さんは、夜の新宿を並んで歩いた。


 ネオンはまだ明るいのに、どこか、夏の終わりの匂いがしていた。


「ちーちゃん」


「はい?」


「ありがとうございます」


「え?」


「ちーちゃんが来てくれたから、お兄さん、本気の歌を歌えたんだと思いますよ」


「えええ、わたし、全然なにもしてないですよ」


「ちーちゃんがいるってこと、それだけで、お兄さん、力をもらえたんです」


「えええ」


 隣で、翔太さんが、静かに頷いた。


「慈恩さんの言ってること、わかるよ」


「え?」


「俺、ステージで、ちーちゃんの顔見えた瞬間、肩の力、抜けた」


「なんで……?」


「ちーちゃんってさ。俺のこと、全部知ってる人だから」


「うん」


「酔いつぶれた夜も、全部」


「うん」


「俺が吐き出したことも、全部」


「うん」


「ギター取り戻した瞬間も見てたし、契約した夜も立ち会ってた」


「うん」


「ちーちゃん、俺の夏を、全部知ってる人なんだよ」


 翔太さんは、そこで少しだけ、目を潤ませた。


「だから、ちーちゃんが見てる場所で、俺、歌えたんだ」


 ——胸の奥が、ふっと、温かくなる。


「お兄さん、感動してますね」


 慈恩さんが、糸目のまま、にこっと笑った。


「俺、感動してる」


「はい」


「慈恩さん、俺の人生変えてくれた人」


「はい」


「ちーちゃん、俺の夏を見届けてくれた人」


 わたしは、ぐっと頷いた。


 ——翔太さんが、こんなふうに言ってくれるなんて。


 夏は、まだ続いている。


 でも、もう、終わりの気配も見えていた。


 その終わりへ向かいながら、わたしたちは、それぞれの夏を生きている。


 そんな気がした。


 家に着いた。


 神宝町の、どこにでもある、普通の家。


 慈恩さんと翔太さんは、玄関の前まで、送ってくれた。


「あ、ちーちゃん、お疲れさま」


「ありがとうございます」


「明日も夏期講習?」


「うん」


「あんまり、無理しないで」


「うん」


「じゃ、また」


 二人は夜の神宝町を並んで歩き、闇の向こうへ、消えていった。


 わたしは、しばらく、慈恩さんの背中を見つめていた。


 いつものように、だらっと力の抜けた、歩き方。


 でも、わたしは、知っている。


 あの気の抜けた雰囲気の奥で、慈恩さんは、世界を変えている。


 一人ずつ、人生を救いながら。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ