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燃えカスの守り人  作者: K3
歌う男は、死の淵を歩いた人

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第31話 夏のなか、ちーちゃん(21)

月曜・木曜の定期更新に加え、時間ができた時にも随時更新します!


ぜひお楽しみに!


それでは、本編をお楽しみください。


第7章 —— 夏の終わり


 お盆が終わった。


 東京は、いつもの忙しさを、少しずつ取り戻していた。


 神宝町にも人の流れが戻りはじめ、古い書店街の看板が、汗ばんだ風にゆれていた。


 朝、目を覚ますと——


 ——あ、なんか、空が違う。


 あの真夏の空じゃない。


 ほんの少しだけ青が深く、雲の形も、どこか変わっている。


 ——夏の終わり、近づいてる。


 セミの声は、いまだ強く耳に残るけれど、ときどき、ふっと途切れる瞬間がある。


 その合間に、別の虫の声がまじった。


 ——あ、もう、別の虫が出てきてる。


 夏が全部終わるわけじゃない。


 でも、少しずつ、変わっていく。


 そんなふうに感じた、八月後半の朝。


 朝の稽古を終えてシャワーを浴び、Tシャツに着替えると、わたしはNAKANOへ向かった。


 ——きょう、翔太さん、初めてのライブなんだ。


 慈恩さんが手配したらしい。


 小さなライブハウスだけど、ちゃんとしたデビュー戦。


 わたしは、見届けに行く約束。


 きっと、わたしの夏の、最後の大事な用事。


 そんなことを思いながら、歩いた。


 NAKANOに入ると——いない。


 慈恩さんも、翔太さんも、姿がなかった。


 奥で、裕子さんが片付けをしていた。


「あ、ちーちゃん、おはよう」


「こんにちは、裕子さん」


 カウンターの奥で、裕子さんはコーヒーを淹れていた。


 湯気が、まっすぐ立ちのぼる。


 コーヒーの香り。


 ——夏なのに、なぜか少し、秋を思い出させる香りだった。


「ふたり、もうライブハウス行ってるよ」


「あ、そうですか」


「リハーサルっていうのがあるんだって」


「へぇ」


「これ、慈恩さんから。ちーちゃん来たら渡して、って」


 裕子さんが、紙を一枚、手渡してくれた。


 ライブハウスの住所と、地図。


『七時開演。ちーちゃん、来てください 慈恩』


 慈恩さんらしい、ふんわりした字だった。


「行ってあげなさい」


「はい」


「ちーちゃん、翔太さんの最初のライブ、見届ける責任があるんだから」


「責任?」


「あら、ふふ、まあ、そんな感じよ」


 裕子さんが、笑った。


 ——翔太さんの最初のライブを、わたしが見届ける。


 なんで、わたしが責任あるんだろう。


 ——でも、行こう。


 そう思いながら、紙をポケットに入れた。


 カウンター奥の戸が、ふっと開いた。


 ——あ、おじさん。


 中野のおじさんが、奥の居住スペースから出てきた。


 抱っこ紐に、美月を抱いている。


「お、ちーちゃん」


「こんにちは、おじさん」


「裕子、これ、寝かしつけたぞ」


「あら、ありがとー」


 おじさんは、抱っこ紐のなかをのぞき込み、


「こいつ、寝顔、まじでかわいいわ」


 と言った。


「ふふ、あなた毎日それ言ってるわよ」


「だってかわいいんだもん、しょうがねえだろ」


「ふふふ」


 ——おじさんと裕子さんの、いつものやり取り。


 ふつうで、あたたかい。


 おじさんの目が、ほんのり潤んでいる気がした。


 ——大人の男の人って、子どもの寝顔を見ると、ちょっと優しくなるんだ。


「ちーちゃん、コーヒーいる?」


「あ、わたし、まだ苦手で」


「ふふ、じゃあジュース出すわね」


 裕子さんが、オレンジジュースをコップに注いでくれた。


 冷たくて、甘い。


 カウンターの隅に座り、一口飲む。


 ——美月、すやすや寝てる。


 おじさんと裕子さん、ふつうの家族の朝。


 ——わたし、いま、ここにいることが、なんだか嬉しい。


「美月、寝ても抱っこ紐のままなの?」


「ああ、寝かせると起きるんだ」


「あら、不思議ね」


「抱っこ紐、好きなんだろ」


「ふふ、お父さんの心臓の音、聞こえてるのよ、きっと」


「は? お、おい、急にロマンチックなこと言うなよ」


「ふふふ」


 ——おじさん、ちょっと慌ててる。


 裕子さん、それ分かってて、言った。


「ちーちゃん、慈恩、最近、無茶してない?」


 おじさんが言った。


「無茶?」


「うん、あいつ、ぼーっとしてるふりして、無茶するから」


「楽器屋、ちょっと」


「楽器屋?」


「翔太さんのギター買い戻すとき、慈恩さん、ちょっと本気の目、してました」


「あのバカ、また目、出したか」


「うん」


「裕子、あいつまた本気の目、出したらしいぞ」


「あらまぁ、こわい」


 裕子さんが、笑う。


「あいつ本気の目、出すと、あとでぐったりするんだ」


「ふふ、いつものことね」


「ま、SHOくん戻ったから、いいけど」


 ——おじさんと裕子さん、慈恩さんのこと、何もかも分かってるみたい。


 ——こういう人たちに囲まれてる慈恩さんが、なんか、好きだ。


「ちーちゃん」


「はい?」


「あなたね、慈恩さんに似てきた」


「ええ?」


「ふふ、雰囲気、ちょっと似てきた」


「うそー」


「ほんと、ほんと」


 おじさんが、笑った。


「裕子、それ、慈恩の悪影響じゃねえか」


「あら、いいことじゃない」


「ま、そうか」


「ちーちゃん、優しい人になるわよ、きっと」


 ——慈恩さんに似てるって言われるの、なんだか、嬉しい。


 ——ほんとに少しでも似てきたなら、それはきっと、いいこと。


「美月」


 おじさんが、抱っこ紐をのぞき込みながら言った。


「お前も、いつか大人になるんだよな」


「あなた、急にどうしたの」


「いや、ちーちゃん見てたら思ったんだ。ちーちゃんも、こんなちっちゃかったんだろうな、って」


「ふふ、そうね」


 ——おじさん、当たり前のこと言ってるけど、なんだか、深い。


 ——美月も、いつか大人になる。


 わたしも、いつか、もっと大人になる。


 ——いまの夏は終わる。


 でも、いまの夏の全部が、いつか、わたしの中で、思い出になる。


 ——おじさんと裕子さんのこの朝も、美月の寝息も、ぜんぶ、思い出になる。


 カウンターの奥で、裕子さんがコーヒーカップを洗う音がした。


 おじさんは抱っこ紐を軽く揺らしながら、奥の戸を開ける。


「美月、もうちょっと寝かせる」


「あら、はい」


 おじさんは、奥に消えた。


「美月、いいなぁ」


「ふふ、いっぱい寝るのが仕事だからね」


「うん」


 ——美月、いいなぁ。


 人生でいちばん、ふつうの夏を、過ごしてる。


 そんなことを思いながら、わたしはジュースを飲み干し、NAKANOを出た。


 外は、暑い。


 でも、風が、ふっと吹いた。


 ——あ、ちょっとだけ、秋の匂いがある。


 気のせい、かな。


 そう思いながら、家へ帰った。


 夕方までに、宿題を終わらせなきゃ。


 夕方、六時半。


 慈恩さんにもらった地図を見ながら、わたしはライブハウスへ向かった。


 新宿のはずれ。


 古びた雑居ビルの地下。


 階段を降りると、もう、そこは地下だった。


 ライブハウスは、初めてだった。


 ドアの前に、ひとりの男の子が立っていた。


 わたしより、少し年上。


 高校生くらい。


 小さなカウンターのようなテーブルの前で、彼は言った。


「入場の方?」


「あの、SHOさんのライブ……」


「SHOさん?」


 ——え、聞こえなかった?


「あの、SHOさんのライブを、見に来ました」


「SHOさん?」


「うん」


「……だれ?」


 ——え?


 ライブハウスの人なのに、知らない?


 翔太さん、今日出るはずなのに。


「えっと、その……メインバンドの前に出る、SHOさんです」


「ああ! 前座の人?」


「あ、はい」


 ——前座扱い、確定。


「SHOって芸名っぽいね。リストに書いてあったけど、知らなくてさ」


「うん」


「メインバンド目当ての人しか来ないと思ってたから」


「あ、はい」


 ——翔太さん、本当に無名なんだ。


 わかってたつもりだったけど、目の前にすると、少し、現実を感じる。


「ちょっと待ってね、確認する」


 彼が、紙をぺらぺらとめくる。


「あ、あった。SHO。……本名、三浦翔太さん?」


「はい」


「なるほど。で、君、関係者?」


「うん」


「未成年だと、保護者同伴じゃないと、入れないんだよね」


最後までお読みいただき、ありがとうございました。


月曜・木曜の定期更新に加え、時間ができた時にも随時更新します!

ぜひお楽しみに!


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