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燃えカスの守り人  作者: K3
歌う男は、死の淵を歩いた人

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第28話 夏のなか、ちーちゃん(18)

お読みくださり、ありがとうございます。



最新話はカクヨムにて先行公開中


https://kakuyomu.jp/works/2912051599581287637

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 裕子さんが、くすっと笑う。


「あなた、めんどくさがりなのに、めんどくさいことばっかり、するのよね」


「はい。人生最大の矛盾です」


 ——このやり取り、なんか、安心する。


 そう思った、時だった。


「あ、そういえば」


 慈恩さんが、思い出したみたいに、言った。


「お兄さん、あの店主に、『イカくせえギター』って言われたんでしたっけ」


「あー……うん」


「あれ、ですね」


 慈恩さんは、糸目で、笑った。


「もしかしたら、本当に、磯の匂い、感じてたのかもしれませんね」


「……え?」


「だって、漁港のギター、ですから」


 店の空気が、一瞬、止まった。


「いや、さすがにそれは」


 中野のおじさんが、吹き出した。


「ヴィンテージギターに、『イカくせえ』は、普通言わねえだろ」


「ですよね」


 慈恩さんが、頷く。


「『ホコリくせえ』とかなら、わかるんですけど」


「……たしかに」


 翔太さんも、ちょっと笑った。


「『イカくせえ』って、かなり、限定的ですよね」


「ええ。だから」


 慈恩さんは、アースクエイクをちびっと飲んだ。


「あの店主、ちょっと、霊感ある人、なのかもしれませんね」


「ええええ」


 わたし、思わず笑ってしまった。


「店主、霊感持ち説」


「慈恩、お前、勝手に霊能者、増やすな」


「でも、夢、見てましたよ、あの人」


「うわ、やめろやめろ」


「これからは、磯の夕陽の夢、とかに、なると思います」


「なんだよ、その優しい呪い」


 店の空気が、どっと、笑いに包まれた。


 ——でも。


 慈恩さん、半分くらい、本気で言ってる気がする。


 そう、思った。


 翔太さんは、笑いながら、ハードケースを開けた。


 ギターを取り出して、肩にかける。


 夜のNAKANOで。


 ギターを抱えて立つ、その姿。


 ——やっぱり、絵になる。


 翔太さんは、静かにコードを鳴らした。


 ジャラーン。


 そして、歌い始める。


 まだ歌詞のない、メロディだけの歌。


 低くて、深い声。


 ——夜の海みたいな歌。


 でも、もう、悲しいだけの海じゃない。


 朝焼けに向かう、海の音だ。


 中野のおじさんが、酒を飲む手を止めた。


 裕子さんも、料理を運ぶ手を止めた。


 お客さんたちも、自然と、会話をやめる。


 NAKANOの空気が、ふっと、変わった。


 ——最初の夜と、似てる。


 でも、違う。


 あの時の歌は、沈んでいく歌だった。


 いまの歌は、戻ってくる歌だ。


 翔太さんの声が、夏の夜に、溶けていく。


 ガラス越しに、ぬるい夜風。


 遠くで、まだ、セミが鳴いている。


 ——翔太さんの夏は、いま、本当に、始まったんだ。


 そう、思った。


 慈恩さんは、糸目で、静かに聞いていた。


 ——その糸目の奥で。


 ほんの少しだけ、何かが光った気がした。


 でも、わたしは、見なかったふりをした。


 この人は、たぶん、人前で感情を見せる人じゃない。


 そう思ったから。


 だから、わたしも黙って、翔太さんの歌を聞いていた。


 セミの声。


 グラスの氷の音。


 古いギターの響き。


 そして、夏の夜に伸びていく、歌声。


 ——歌、また聴かせて。


 これから、何回でも。


 そう、心の中で、思った。


 夏は、まだ終わらない。


 翔太さんの歌も。


 わたしの夏も。


 まだ、始まったばかりだった。


第6章 ——契約と、約束


 数日後。


 夏期講習が終わり、町には、お盆の空気が流れはじめていた。


 神宝町の商店街も、いつもより少し静かだった。


 東京は、お盆になると急に人が減る。


 みんな、帰省してしまうからだ。


 けれど、うちは代々この町に住んでいる。


 お盆だからって、特別どこかへ行くこともない。


 朝の稽古を終えたあと、わたしは汗だくの胴着を脱いで、シャワーを浴びた。


 髪を乾かしながら、鏡の前で、ぼんやり考える。


 ——今日、翔太さんと慈恩さん、契約するんだ。


 また、「立ち会い」に来てほしい、って言われた。


 慈恩さんは、いつも説明が足りない。


 「来てー」とだけ言って、人を巻き込む。


 でも、不思議と、断る気にはならない。


 理由がわからなくても、「行ったほうがいい気がする」——そう思わせる人だった。


 わたしは白いTシャツに着替えて、NAKANOへ向かった。


 店の扉を開けると、昼前の薄いジャズが流れていた。


「いらっしゃ——あ、ちーちゃん」


 カウンターの奥から、裕子さんが笑う。


「こんにちは」


「慈恩さんと翔太くんなら、あそこ」


 視線を向けると、カウンター席に、二人が並んでいた。


 中野のおじさんは、その向こうで、グラスを磨いている。


 翔太さんは、黒いTシャツにジーンズ。


 それだけなのに、前よりずっと"ちゃんとして"見えた。


 髪を後ろで結んで、背筋を伸ばして、座っている。


 前みたいな、どこか沈んだ空気が、ない。


 ——あ。


 翔太さん、戻ってきたんだ。


 ちゃんと、自分の芯のところに。


 慈恩さんは、相変わらずだった。


 糸みたいに細い目。


 だるそうな姿勢。


 アースクエイクをちびちび舐めるみたいに飲んでいる。


 けれど、その前には、きっちり書類が並べられていた。


「あ、ちーちゃん、来ましたね」


「こんにちは、慈恩さん」


「お兄さんの隣、座って」


「はい」


 少し高いカウンター椅子に、よじ登る。


 すると慈恩さんが、ふっと笑った。


「十四歳でカウンター席って、ちょっと不良っぽいですね」


「ええっ」


「冗談、冗談です」


 中野のおじさんが、わたしの前にオレンジジュースを置いた。


「ほら、未成年はこっちな」


「ありがとうございます」


 グラスが、カラン、と小さく鳴った。


 それから、わたしは、カウンターの書類に目を落とした。


 きっちりした文字で、こう書かれていた。


『業務委託契約書』


 そして、もう一枚。


『金銭消費貸借契約書』


 ——貸借契約。


 あ、これ、おじいちゃんのところで見たことある。


 うちのおじいちゃんは、昔から変な教育をする。


「契約書は、大人になってから急に読むな。子どものうちから、見慣れろ」


 そう言って、テナント契約だの管理契約だのを、たまにわたしに見せていた。


 だから、なんとなく、わかる。


「契約、二本なんですね」


 わたしが言うと、慈恩さんが、少し眉を上げた。


「ちーちゃん、ほんと、変な中学生ですね」


「褒めてます?」


「褒めてます」


 翔太さんが、小さく笑った。


 その笑い方も、前より自然だった。


 慈恩さんは、書類を軽く叩いた。


「こっちは、ぼくとお兄さんの仕事の契約。で、もう一個は、この前の五十万の、貸し付けですね」


 翔太さんが、真剣な顔で頷く。


「必ず、返します」


「はい。焦らなくて、いいですよ」


 軽い声。


 でも、その軽さが、逆に翔太さんを安心させているのが、わかった。


 慈恩さんは、続ける。


「で、当面、お兄さんには、事務所の奥、使ってもらいます」


「……家賃、払います」


「いらないですよ」


「いや、でも」


「立て替え扱いで、いいです。細かいこと気にしてると、歌う前に、疲れちゃいますから」


 翔太さんは、言葉を失ったみたいに、黙った。


 慈恩さんは、さらっと続ける。


「お食事も、NAKANOで、まあ、ある程度安く出してもらえます」


「ええええ」


「で、お仕事は、ぼくが、ぜんぶ回します」


「お仕事?」


「はい。ライブの出演とか、レコーディングとか、まあ、いろいろ」


「慈恩さん、それ、できるんですか」


「まあ、ぼく、たまに、業界に足、突っ込んでますんで」


 ——慈恩さん、また、軽くヤバいこと言ってる。


 ——「業界に足、突っ込んでます」って。


 ふつうの二十七歳の台詞じゃ、ない。


 そして。


 慈恩さんが、ふっと、翔太さんを見た。


「お兄さん」


「はい」


「ぼく、お兄さんの歌、ありきたりな出し方、したくないんですよ」


 翔太さんが、瞬きをした。


「……ありきたりな、出し方?」


「ええ」


 慈恩さんは、グラスを指先で回した。


う~ん。女の子の成長は早い。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

次のお話で、またお会いできましたら幸いです。



最新話はカクヨムにて先行公開中


https://kakuyomu.jp/works/2912051599581287637



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