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燃えカスの守り人  作者: K3
歌う男は、死の淵を歩いた人

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第25話 夏のなか、ちーちゃん(15)

お読みくださり、ありがとうございます。


最新話はカクヨムにて先行公開中

https://kakuyomu.jp/works/2912051599581287637


第4章 ——兄ちゃんの過去【後編】


 慈恩は、ふっと立ち上がると、奥の小さな流しへ向かった。


 やかんが、静かな音を立てる。


 急須に湯を落として、ゆっくり二人分のお茶を淹れた。


 戻ってきて、翔太の前に、湯呑みを置く。


「お兄さん、お茶、どうぞ」


「……ありがとうございます」


 翔太は両手で受け取り、少し息を吹きかけてから、ひと口飲んだ。


 熱かった。


 でも、その熱さが、妙に落ち着いた。


 慈恩も、自分の湯呑みを持ち上げる。


 それから、静かに言った。


「上京した時の話、聞いてもいいですか?」


「……うん」


 翔太は、もう一度、お茶を飲んだ。


 少し視線を落として、ぽつり、ぽつりと、話し始める。


「俺、高校出てから、一年、地元でバイトしてたんだ。漁港の近くのコンビニ。夜勤で、月二十万くらい。半分は家に入れて、半分は貯金してた」


「ええ」


「兄ちゃんは、もう本格的に漁師やってて。家も、なんとか回ってた。……で、二十歳になる前、お母さんに、言ったんだ」


 翔太は、小さく息を吐いた。


「『俺、東京行きたい』『歌、本気でやりたい』って」


「……」


「お母さん、しばらく、黙ってた」


 部屋の外で、セミが鳴いている。


 遠くで、車の走る音。


 夏の夜の、生活の音。


「で、最後に、こう言ったんだ。『好きにしなさい』『お母さんは、止めない』って」


「ええ」


「『でも、一つだけ、約束して』って」


 翔太の指先が、湯呑みに触れたまま、止まった。


「『じいちゃんと、ひいじいちゃんのギターだけは、絶対に手放さないで』」


「……」


「『何があっても、それだけは、守って』って」


 部屋の空気が、少し静かになる。


「俺、約束した」


 翔太は、かすかに笑った。


 泣きそうな、笑い方だった。


「『絶対、売らない』『これだけは、守る』って」


 慈恩は、何も言わず、湯呑みを口元へ運ぶ。


 翔太は、続けた。


「で、東京、来た。ギター抱えて、新幹線乗って。……最初の三ヶ月は、楽しかったんだ。ライブハウス回って、オーディション受けて。ちょっとだけ、いい話も、来てた」


「ええ」


「でも、ある時、レーベルの人に、言われた」


 翔太の声が、少し低くなる。


「『お前、田舎くさいな』『漁師の息子みたいな匂い、消せ』『もっと軽くしろ、もっと都会っぽくしろ』って。……あと」


 翔太は、苦く、笑った。


「『そのギター、古臭いから、買い替えろ』って」


 慈恩の糸目が、ほんの少し細くなった。


「俺、その時、ほんと、殴りそうになった。……でも、我慢して、『考えます』って言って、出た。その夜、酒飲んで、誰かとケンカして」


 首元に、触れる。


「この痣、できた。金なくて、漫喫泊まって。……そこから、全部、崩れた」


 ぽつり。


 ぽつり。


 言葉が、落ちていく。


「家賃、滞納して。電気、止まって。水道、止まって。……最後、部屋、追い出されそうになった」


「……」


「その時、思ったんだ」


 翔太は、ゆっくり目を閉じた。


「『歌、もう無理だ』って。……でも、ギターだけは、売れなかった。お母さんとの約束、あったから。じいさんとの約束も、あったから。四代続いたもの、俺で、終わらせたく、なかった」


「……」


「でも、限界だった。二日、何も食ってなくて。来週には、追い出されるって時に」


 翔太の喉が、小さく鳴った。


「俺、ギター、売るしか、なくなった」


 慈恩は、黙って聞いている。


「最初の店は、『価値わからないから無理』。二件目は、『扱えない』。……で、三件目」


 翔太の声が、ゆっくり沈んだ。


「店主、ギター見た瞬間、目、変わったんだ。……でも、すぐ、悪態つき始めた。『こんなボロ、売れるわけねえ』『古臭い』『臭い』『邪魔だ』『こんなゴミ、家に置いとけ』って」


「……」


「でも、俺、わかったんだ。この人、価値、わかってるって。わかってて、安く、買い叩こうとしてる」


「ええ」


「でも、俺、もう、頭回らなくて。『お願いします』って、頭、下げた。……そしたら、『三万でいいなら引き取る』『ありがたく思え』って」


 翔太の目から、涙が落ちた。


 ぽつり、と。


「俺、その瞬間」


 声が、震える。


「自分のこと、ほんと、許せなかった。価値、知ってたのに、売った。悪態、聞きながら、売った。……お母さんとの約束、破った。じいさんとの約束も、破った。ひいじいさんも、親父も。家族の声、全部、三万で、売った」


 部屋が、静まり返る。


 セミの声だけが、遠くに響いていた。


 翔太は、かすれた声で、続けた。


「店を出た時、自分の足音しか、聞こえなかった。……家族の声、もう、聞こえなかった」


 慈恩は、静かにお茶を飲んだ。


 氷じゃなく、湯気の立つ茶の香りが、ゆっくり部屋に広がる。


 そして、ぽつりと、言った。


「……そういうこと、だったんですね」


 翔太は、顔を上げる。


 慈恩は糸目のまま、穏やかに続けた。


「ぼく、お兄さんと初めて会った時、思ったんですよ。……この人、自分で自分を、罰してるな、って」


 翔太の呼吸が、止まる。


「『歌、やめる』って、罰なんですよね。……歌が嫌いになったわけじゃない。歌えなくなったわけでもない。自分には、もう歌う資格がない、って、思ってるだけ」


 翔太は、何も言えなかった。


 慈恩は、小さく笑う。


「だって、お兄さん。……鼻歌、出てるじゃないですか」


「あ……」


 翔太は、そこで初めて、自分が最近ずっと、無意識に鼻歌を歌っていたことを、思い出した。


 皿を洗う時。


 店を閉める時。


 ぼーっとしてる時。


 気づけば、メロディが、口から、漏れていた。


「ほんとに辞めた人って」


 慈恩は、湯呑みを回しながら、言う。


「『辞めた』って、何回も、言わないんですよ。……辞められないから、言うんです」


 翔太は、俯いた。


 肩が、震えていた。


 しばらくして。


 慈恩が、ふっと口を開く。


「お兄さん」


「……はい」


「もし、あのギター、戻ってきたら」


 翔太が、顔を上げた。


「また、弾けますか?」


「……え?」


「ぼく、出張中、ちょっと、知り合いに連絡してたんです。……あの店主、業界じゃ結構、評判悪いらしくて。お兄さんのギター、まだ店に、出してないみたいですよ」


 翔太の目が、ゆっくり見開かれる。


「高値で売るつもり、なんでしょうね。……で、ぼくの知り合いが、『面白いギター入ってる』って、教えてくれまして」


「……」


「だから」


 慈恩は、にこっと笑った。


「明日、取り返しに、行きましょうか」


「……え?」


「お兄さんのギター。買い戻して、きます」


 翔太が、完全に固まった。


「……え?」


「え?」


「え?」


 慈恩は、けろっと、している。


「お金は、ぼくが立て替えます」


「いや、でも」


「貸し、ですけど」


「ええ……?」


「ちゃんと、歌で、返してください」


 翔太は、湯呑みを持ったまま、震えていた。


「慈恩さん」


「はい」


「俺……歌って、いいの?」


 慈恩は、少しだけ考える顔をしてから、肩をすくめた。


「歌ってもいいし、歌わなくても、いいですよ。……それ、お兄さんが、決めることです」


「……」


「でも、ギター戻ってきたら」


 慈恩は、やわらかく笑った。


「罰、終わりますからね」


 翔太の目から、また、涙が溢れた。


「そのあとで。……ほんとに歌やめたいのか、まだ歌いたいのか。ゆっくり、自分で、決めればいいんですよ」


 翔太は、両手で顔を覆った。


「う、ぅ……っ」


「はい」


「慈恩さん……」


「はい」


「ありがとう、ございます……」


「どういたしまして」


 翔太は、しばらく、泣いていた。


 慈恩は、何も急かさず、ただ静かに、お茶を飲んでいた。


 窓の外では、セミが鳴いている。


 夏の夜は、ゆっくりと、深くなっていった。


ここまでお読みくださり、ありがとうございました。


次のお話で、またお会いできましたら幸いです。


最新話はカクヨムにて先行公開中

https://kakuyomu.jp/works/2912051599581287637


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