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燃えカスの守り人  作者: K3/KASANE
歌う男は、死の淵を歩いた人

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第21話 夏のなか、ちーちゃん(7)

時間ができた時にも随時更新します!


ぜひお楽しみに!


それでは、本編をお楽しみください。

 慈恩が、にこっと笑った。


 こうして、また、ひとり、増えていく。


 二年前の最初の依頼者は、私たち中野夫婦。


 同じ年に、十二歳の、ちーちゃん。


 そして今、目の前の、若い男の子。


 そのうち誰かに、「化け物集団」って呼ばれるかもね。


 私は、新しいコーヒーを淹れに立った。


 慈恩のそばにいれば、誰ももう、ひとりじゃない。


 午後の稽古は、いつもより軽く感じた。


 竹刀を振っても、汗をかいても、心臓が軽い。


 ——なんだろう、これ。


 今日のお昼の、翔太さん。


 あの、笑った顔。


 ぼんやりした目で、こっちを見た瞬間が、ずっと頭の隅に残っていた。


「ちょっと集中しろ」


 師範の声が飛ぶ。


「あ、はい!」


 だめだ。


 ぼーっとしてる。


 竹刀を握り直す。


 でも、また、ふと思う。


 慈恩さんの事務所に、住むって言ってたけど。


 慈恩さんの事務所には、何度も行ったことがある。


 書類を届けに行く時とか。


 四畳半くらいの、奥の部屋。


 布団と本とコーヒーセットだけ置いてある、不思議な場所。


 家っぽくない、家。


 仕事場っぽくない、仕事場。


 あそこに、男の人がひとり住むんだ。


 慈恩さんと、翔太さんが、一緒に寝起きする。


 あの狭い部屋で。


 朝、二人で布団を畳んでるところまで、想像してしまった。


 じゃあ、慈恩さん、どこで寝るの?


 そう思った瞬間。


 胸が、もやっとした。


 慈恩さんの隣に、誰かがいる。


 それが自分じゃなくて。


 その人が名前を呼ばれて、笑う。


 想像した瞬間、胸の奥に小さな火がついた。


 ——え。


 わたし、ヤキモチ?


 竹刀を握る手に、力が入りすぎた。


 次の稽古試合で、相手の面に思いきり当ててしまう。


「部長、強すぎ!」


「ご、ごめん!」


 慌てて謝った。


 その夜。


 帰りの電車で、わたしはぼんやり窓の外を見ていた。


 夏の夕方。


 窓に映る、自分の顔。


 汗でぐしゃぐしゃの髪。


 目の下に、うっすら隈。


 乾いた唇。


 翔太さん。


「いい名前」


 って言ってくれた人に、こんな顔を見られた。


 思わず「ぐえっ」と変な声が出そうになって、慌てて口を押さえる。


 向かいのおばあさんが、ちょっとこっちを見た。


 違うんです、おばあさん。


 わたし、ただの思春期こじらせた中学生で。


 変質者じゃないんです。


 いやあああ。


 最悪の状態で、会っちゃった。


 汗だく。


 ジャージ。


 竹刀袋。


 髪ぼさぼさ。


 なんで、もう少し女子っぽくして行かなかったんだろ。


 そう考えた瞬間、自分で自分に引いた。


 わたし、何考えてるの。


 翔太さんは、ぐでんぐでんに酔った、知らない男の人で。


 歌をやめるって泣いてた人で。


 拾われた猫みたいに、慈恩さんに引き取られた人。


 わたしには、関係ない人。


 なのに。


 もうちょっと可愛い服、着ていけばよかった、とか思ってる。


 馬鹿だ。


 電車が、ガタンと揺れた。


 つり革を握る手が、震えている。


 それが稽古疲れじゃないことくらい、自分でも分かっていた。


 好きじゃない。


 そう言い聞かせる。


 好きじゃない。


 好きじゃない。


 だって、まだ二日目だし。


 でも、ふと気づいた。


 慈恩さんへの「好きじゃない」と、翔太さんへの「好きじゃない」。


 なんか、種類が違う。


 慈恩さんへの気持ちは、ふんわりした、お守りみたい。


 でも、翔太さんへの気持ちは、胸をぎゅっと握られる感じ。


 え、なにこれ。


 中学三年の夏。


 わたしは初めて、その違いを知った。


 そして知った瞬間、思った。


 わたし、ちょっとヤバいかもしれない。


 電車を降りて、家まで歩く途中。


 ふと、振り返った。


 神宝町の方向。


 ビルのある方向。


 あの灯り、まだついてる。


 十階の窓に、かすかに光が見えた気がした。


 慈恩さんが、まだ起きている。


 翔太さんも、たぶん、あの中にいる。


 何してるんだろう。


 聞けるわけもないし、知る必要もない。


 わたしは前を向いて、歩き続けた。


 セミの声が、夜の東京に、まだ鳴いていた。


 翌日。


 朝の稽古を終えて、お昼前に家に戻った。


 冷蔵庫を開けると、また書き置き。


『冷やし中華、温めないでね』


 うん、温めない。


 ふと、思った。


 きょうは、行かないぞ。


 昨日、変なヤキモチを感じた自分が恥ずかしくて。


 翔太さんと慈恩さんが、コーヒーを飲んでる想像が、まだ嫌で。


 心の整理が、ついていなかった。


 今日は、家でゆっくりする。


 そう決めた、はずだった。


 冷やし中華を食べた。


 お風呂に入った。


 夏休みの宿題を、ちょっと開いた。


 うん、開いただけ。


 そして、午後三時。


 ……行こうかな。


 そう呟いた瞬間、わたしはもう、Tシャツを着替えていた。


 ジャージじゃない、半袖のワンピース。


 髪も、ちゃんと結んだ。


 高い位置の、ポニーテール。


 鏡を見て、お母さんのリップを、こっそり塗った。


 わたし、なにしてるんだ。


 そう思いながら、玄関を出る。


 夏の午後。


 セミが、ジリジリ鳴いていた。


 行こう。


 決めた自分が、ちょっと嫌だった。


 でも、もう止められなかった。


 電車に乗って、神宝町へ。


 きょう、翔太さん、なにしてるんだろう。


 そう思いながら、わたしは夏の午後の東京を揺られていった。


 NAKANOのガラス越しに、店内を覗く。


 ——え。


 目を見開いた。


 翔太さんが、エプロンをつけて、お皿を洗っていた。


 くしゃくしゃの髪を後ろでまとめて、汗をかきながら、コップを拭いている。


 その隣で、裕子さんが、にこにこ何か説明していた。


 え、なに、これ。


 ガラスのドアを押す。


「いらっしゃ——あ、ちーちゃん」


 裕子さんが、振り返った。


「裕子さん、これ、どういうことですか」


「ちーちゃん、知らない?」


「え?」


「翔太くん、今日からここで、バイトよ」


「ええええええ」


「慈恩が、家賃なしで事務所に置いてあげる代わりに、お皿洗いしなさいって」


「え、なに、その契約」


「いいでしょ、お互い得じゃない?」


 裕子さんが、にやりと笑った。


 翔太さんが、振り返って、エプロン姿で手を振る。


「あ、ちーちゃん、こんにちは」


 ちーちゃん、って。


 もう覚えてる。


 慈恩さんから聞いたのか、自分で覚えたのか。


「こ、こんにちは」


 慌てて、頭を下げた。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。


notoやってます。

マガジンお仕事物

https://note.com/happy_duck8972/m/m87f735c2539e


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