第16話 夏のなか、ちーちゃん(2)
時間ができた時にも随時更新します!
ぜひお楽しみに!
それでは、本編をお楽しみください。
部活の男子は、わたしを「鬼神」と呼んだ。
呼ばれるたび、ちょっとだけ笑って返す。
怒るほどじゃない。
でも、嬉しくもない。
道場の師範は、ある日、男子部員全員の前で、こう言った。
「女だから回ってきた席だ。男じゃ、絶対無理だ」
しん、と、部員たちが静まり返る。
わたしも、少し遅れて、黙った。
——褒めてる、つもりなんだろうけど。
その言葉は、けっこう、深く刺さった。
道場は、警察署の近くの少年剣友会。
土日と放課後は、そこで稽古する。
本部から月一で来る、範士のおじいさん。
中学に上がる前の春、そのおじいさんが、わたしに言った。
「お前、もう子供の部じゃ、もったいない。大人の部に入っていいぞ」
「え、いいんですか?」
「俺の責任で、許可する」
——範士の責任って、なんか、重いじゃん。
そんなわけで、中一から、大人に混じって稽古することになった。
身長、百四十ちょっと。
体重、四十前半。
で、即、スランプ。
問題は、体格差じゃ、なかった。
「中一の女の子に、負けてなるか」
「ちょっと本気を見せねぇと、男じゃねえ」
警察のおじさんたちが、本気で突っ込んでくる。
「うおおおお」
——え、ちょ、本気!?
防具の隙間に痣ができて、踏み込みで宙に浮いて、何度も土俵際まで追い詰められた。
師範は、笑いながら言った。
「お前、大人を本気にさせる女だな」
「可愛い顔して、大人をコテンパンにしやがる」
「言い方ァ! 完全に怪獣扱いじゃないですか」
「実際、怪獣だろ」
わたし以外、全員うなずいた。
——いや、最初に本気で来たの、そっちだからね?
それで、わたしは技を磨いた。
間合い。
フェイント。
軸のずらし方。
相手が「打つ」と決めた、その一瞬。
まだ竹刀も、足も、動いていない。
ただ、身体の奥で、筋肉がぴくり、と震える。
その「ぴくり」を、わたしは相手より先に読む。
だから、おじさんが踏み込もうとした時には、もう遅い。
こっちの竹刀が、先に走っている。
「え?」
「あれ? いま、何された?」
気づいたら、警察の控え室で、おじさんたちが、わたしのことをこう呼んでいるらしい。
「神宝町の悪魔」
——いや、内輪で人を化け物扱いしないでくれる?
学校でも、みんなの見る目は、だいたい同じ。
鬼神。
部長。
強い人。
廊下で会うと、なぜか、みんな道を空ける。
——いや、そこまで避けなくていいから。
ときどき、男子が話しかけてくることもある。
「あっ……あの」
「うん?」
「えっと、その」
「うん」
「あ、その……」
しゃべらない。
「す、すみま、せ」
——え、なんで謝るの。
「いっ、いっ、いっ」
——“いっ”の先、なに。
顔は、真っ赤。
手には、なにか握ってる。
よく見えない。
お昼休みは、もう残り三分。
お弁当、まだ半分。
「××ーー! なにやってんだよお前ー!」
後ろから、友達の声。
「行くぞー! サッカーコート取れたー!」
「あ、ご、ごめ……ごめん、呼ばれちゃった」
男子は、逃げるみたいに走っていった。
——え。
なんだったの、いまの。
——お弁当、食べきれなかったんだけど。
名前を呼ばれる前に、消える男子。
用件を言う前に、終わる会話。
それが、クラスでの、わたしへの距離感だった。
でも。
「……そういうとこ、ほんと危なっかしいよね」
慈恩さんが、いつもの糸目で、薄く笑いながら、そう言う。
その顔が、その声が、なぜか、ずっと頭に残る。
たぶん、答えはもう分かってる。
でも、まだ認めたくない。
だって、わたしはまだ十四歳。
慈恩さんは、二十七。
お兄さんと呼ぶには大人すぎて、おじさんと呼ぶには、若すぎる。
そんな、微妙な年齢。
——わたし、おじさん好きなのかもしれない。
そう思った瞬間、自分にちょっと引いた。
——いや、なにそれ。
だめな漫画の導入じゃん。
それでも。
毎日ここへ来て、稽古して、帰り際に、少しだけ話して。
慈恩さんに、会いに来てる。
その結論だけは、もうごまかせない。
「あ……あの、慈恩さん」
わたしは、隣でぐでんぐでんに潰れている人を、おそるおそる指差した。
「だ、誰、この人……?」
「ああ、これですか」
慈恩さんが、糸目のまま、ちらっと隣を見る。
「初対面です」
「は?」
「さっき、ふらっと入ってきて、勝手に隣座って、勝手に飲み始めて、勝手に絡んできました」
「えぇ……」
もう一度、その人を見る。
耳のピアス。
肩から覗く、刺青みたいな柄。
細い指。
全体的に、“近づいちゃダメな大人”オーラが、すごい。
「慈恩さん、その人、ヤバくないですか」
「見た目は、ちょっとね」
「いや、めちゃくちゃヤバそうですけど」
「うん、わかります」
「絡まれてるんじゃ」
「ですね。絡まれてますね」
「逃げないんですか?」
「いやあ、めんどくさいんですよ」
「逃げるのが?」
「こういうの、放置するのが」
——あー。
なるほど。
なんとなく、納得した。
その“めんどくさい”が、ぜんぜん、めんどくさそうじゃない。
むしろ、ちょっと楽しんでる。
慈恩さんは、アースクエイクをちびっと飲んで、グラスを揺らしながら、ぽつりと言った。
「人って、自分から潰れに来る時は、だいたい、守りたいもんが、あるんですよ」
——え。
わたしは、慈恩さんを見る。
でも、もう別の方を向いていた。
何も言ってませんけど?
みたいな顔で。
——なに、いまの。
あの人は、たまに、こういうことを言う。
聞き返すと、絶対「気のせいです」って笑う。
だから、もう聞かない。
その代わり、別のことに気づいてしまった。
これ、近い。
わたしは初めて、その酔っぱらいのすぐ隣に座ってることを意識した。
酒。
汗。
煙草じゃないけど、夜の店の空気みたいな匂い。
そこに、男の人特有の、少し湿った体温が混ざる。
——あ。
これ、一日二日、お風呂入ってない系のやつ。
部活で嗅ぐ男子の防具よりは、マシ。
でも、方向性が違う。
もっと、大人。
——年頃の女子に、これはダメ。
わたしは、そっと椅子を、慈恩さん側に寄せた。
すると。
突っ伏していたおにいさんが、「ううう……」と低く唸って、ゆっくり顔を上げた。
思わず、息を止めた。
目は、半分しか開いていない。
でも、顔、整ってる。
鋭い二重。
通った鼻筋。
痩せた輪郭。
頬には、カウンターの木目の跡。
神経質そうで、近づきにくい顔。
なのに、酔いと涙で、その鋭さが、いまだけ半分くらい崩れていた。
——この人、笑ったら。
たぶん、別人みたいになる。
なぜか、そう思った。
「慈恩……さん……」
「はい」
「俺ぇ……もう、歌ぁ、やめますからぁ……」
「はい」
「ギターもぉ……売ったんでぇ……」
「そう」
「先日ぅ、売りましたぁ……」
「うん、聞いた聞いた」
「生活費ぃ、なくてぇ……」
「うん」
「上京して半年でぇ……こうなりましたぁ……」
「うん」
その人は、ぐしゃぐしゃの顔で笑った。
「名前もぉ、もう、捨てますぅ……」
慈恩さんの糸目が、ほんの少しだけ開いた。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
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