第三話「毎朝、立つ人」
目が覚めるのは、いつも同じころだった。枕元の時計を見なくても分かる。障子の外がまだ何も見えない色をしていて、沢の音だけがはっきり聞こえている。その聞こえ方で、だいたいの時間が知れた。
起き上がるときに、右の膝の内側で、砂を噛むような音がする。もう長いことこの音と一緒に起きている。一度だけ町の医者に見せて、軟骨がどうとか言われた。注射をすれば少しは楽になるとも言われたけれど、その日は朝から降っていて、帰りのバスの時間が気になって、それきりになった。悪くなったのは畑をやめてからだから、順番が逆なのかもしれない。
土間へ下りて水を汲む。顔を洗うと、指の先がしばらく痛い。ご飯は炊かない。前の晩の残りを、湯を張った茶碗に入れて食べる。戸棚の二段目には手を伸ばさない。あれは、食べるための茶碗ではない。
土間で長靴を履く。踵の内側ばかりが先に減る履き方をする者がいて、山の人はそれで誰の履物かが分かる。あの子のが、そうだった。
外へ出ると、白い息が出た。坂を上がる。七分。昔は五分だった気がするけれど、それも、そう思っているだけかもしれない。膝をかばって足の外側から置くように歩くと、七分では利かない日もある。途中で一度、電柱に手をついて息を整える。そこまで来ると、沢の音が遠くなって、代わりに杉の中の風の音になる。
石の脇に立って、前掛けのポケットから帳面を出す。鉛筆は短い。短くなっても、削って使う。
六時前に軽トラが一台。荷台に鋸と燃料の缶が積んであった。少ししてから、籠を提げた二人。六時を過ぎて、上の家のじいさんが柴を取りに入って、四本目になった。七時まで立って、帳面を閉じる。朝のあいだに入ったのは四人。昨日と同じで、その前の日とも同じだった。数えているあいだ、わたしは何も考えていない。考えていたら、たぶん数を間違える。
家に戻って、湯を沸かして、内職の箱を開ける。ビニールの小さい部品を袋に詰めて、口を折る仕事だ。町の業者が月に一度、軽のワゴンで公民館の脇まで持ってくる。いくつでいくら、という勘定だから、指の動くうちは、いくらかにはなる。年金と、それだけだった。
畑は荒れている。三十年、ろくに手を入れていない。秋の終わりに大根を少し埋めるくらいで、あとは草が伸びるままにしてある。上の畑は、もうどこが畝だったのかも分からない。人に貸せばいいと言われたこともあったけれど、貸すと、朝と夕方に人が来る。人が来ると、話をしなければならない。
人付き合いのほうは、いつからか自然に減った。誰かに嫌われたわけではないと思う。ただ、寄り合いの後の茶飲み話に加わらなくなくなって、呼ばれなくなって、呼ばれなくなったころには、こちらから行く用事もなくなっていた。祝儀と不祝儀の付き合いだけは、まだ続いている。それだけは、当番が決まっているから間違えない。
昼を過ぎると、指がうまく動かなくなる。それでも四時までは箱に向かう。四時になると立つ。
軽トラが下りてきた。線を一本。少ししてから、籠を提げた二人が下りてきた。籠の中を見せて、何か言って行った。わたしも笑った顔をしたと思う。線が三本になった。最後に、上の家のじいさんが束を背負って下りてきた。四本目を引こうとして、手が止まった。線は、三本しかなかった。もう驚かない。
それから日が落ちるまで立っていた。五時を過ぎて、道祖神の頭のところがもう見えなくなって、林道の奥が、ただの黒い口になった。誰も出てこなかった。
帳面に、朝の四と、夕方の三を書く。それから、その下に、いつもの数を書く。
休んだ日はあっただろうか、と考えてみたことがある。熱の出た日も行った。雪の日も、途中まで来て道が消えていて、それでも立てるところまでは行った。行かなかった日を、わたしは一日も思い出せない。思い出せないだけかもしれないけれど、帳面のほうには、抜けている日が無い。
その晩、公民館で寄り合いがあった。元は分校だった建物で、床が板のまま冷たい。十六戸のうち、来たのは十一だったと思う。ほとんどが六十を過ぎている。ストーブはまだ出していなくて、みんな上着を着たまま座っていた。
区長さんが、紙を配った。紙の上のほうに、区の会計のことと、防犯灯の球が二つ切れている件が書いてあって、その下に、「ハルさんのこと」と書いてあった。順番でいうと、球のほうが先だった。球は十分ほどで決まった。
「ハルさんのことなんですけどね」
区長さんは、わたしのほうを見ないで言った。見ないでいてくれたのは、たぶん、気を遣ってくれたのだと思う。
「毎朝、あの坂を上がっとるでしょう。膝も悪いのに。この前の雨の日も立っとったって、聞いたもんで」
奥のほうで、そうだねえ、という声がした。
「そろそろ、誰かが病院へ連れて行かんと。うちの車でもいいし。……こういうことは、早いほうがええですから」
悪気がないのは分かっていた。この人は、わたしのことを厄介だと思っているだけではない。冬に一度、うちの雨樋が落ちたときに、脚立を持って来てくれたのもこの人だった。
わたしは、湯呑みの底を見ていた。何も言わなかった。言えば、三十年、いつも同じところへ行き着く。あの子のことを言えば、誰かが困った顔をして、話が別のところへ移る。移らせているのはわたしのほうかもしれない、と思うこともある。
しばらく、誰も何も言わなかった。区長さんが紙をめくろうとした。
そのときに、戸沢さんが湯呑みを置いた。音が思ったより大きかった。
「……おれは、あの人が数えとるのを、悪いとは思わん」
戸沢さんは、わたしより年下だ。若いころは山仕事の頭をしていて、人を使わなくなってからは、自分の山へ軽トラで上がるくらいのことしかしていない。その戸沢さんが、下を向いたまま、それだけ言った。
誰かが、なんでね、と聞いた。戸沢さんは答えなかった。答えないまま、湯呑みをもう一度持ち上げて、もう空になっているのに口をつけた。
誰も、あとを続けなかった。区長さんが紙をめくって、次は道普請の日取りの話になった。わたしは、その話が終わる前に立った。膝が鳴って、何人かがこっちを見た。
外は冷えていた。公民館の窓の明かりが、道の途中まで伸びていた。その先は真っ暗で、懐中電灯の丸いところだけを見ながら帰った。
家に上がって、電気をつけて、押し入れを開けた。みかん箱が二つ。中に、帳面が入っている。一年に一冊で、三十冊ある。今年の一冊は、卓の上に出してある。表紙に年を書いてあるのは、途中からだ。最初の何年かは、書くのを忘れていた。
箱を二つとも茶の間へ引きずり出して、卓の上に積んだ。積むと、思ったより高くならなかった。三十年が、これだけの厚さしかない。紙は、下のほうが茶色くなっていて、押し入れの匂いがした。
台所からマッチを持ってきた。土間で焼けばいい、と思った。この紙を焼いてしまえば、明日の朝、坂を上がる理由がなくなる。上がらなくなれば、誰も、わたしを病院へ連れて行かなくてよくなる。
マッチを一本抜いて、箱の横に当てた。
そのまま、しばらくそうしていた。
焼いてしまえば、この数は、どこにも無くなる。合っていないということも、無くなる。そうしたら、あの朝、山へ入っていったのは、本当にいなかったことになるのではないか。
わたしには、それが正しいのかどうか、もう分からない。三十年、誰にも、それでいいと言われていない。今日、戸沢さんが言ったことだって、わたしのことを言ったのかどうか、確かめたわけではない。
マッチを箱に戻した。
積んだ帳面のいちばん上に手を置いて、それから、三十冊を箱へ戻した。卓の端には、今年の一冊だけが残った。明日の朝の欄が、まだ白いままだった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。




