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燃えカスの守り人  作者: K3/KASANE
キャリアコンサルタント

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第3話「相談屋」


 二〇〇一年。


 ぼくは、二十五になっていた。


 十三から続いた、修行のような十何年かが、その年、一端落ち着いた。


 長く勤めるつもりだった会社を、逃げるように辞めたのが、その前の春だ。


 二十時間働かされて、また体の奥から、あの十三歳の記憶が込み上がってきた。


 これは、また壊れる前触れだ。


 そう分かったから、誕生日の前に辞めた。


 リーマンむり、と口では言った。


 本当は、命が惜しかっただけだ。


 それから半年、雇用保険をもらいながら、初めて何もしない時間を過ごした。


 何年ぶりか分からないくらい、ゆっくり眠った。


 別に、使う用途の無かった、なけなしの貯金でアジアを歩いた。


 安宿を泊まり歩いて、寺で座って、知らない言葉の中で、ぼんやりとした。


 旅の途中、ネパールの小さな寺で、朝日を待ったことがある。


 隣に、白人のバックパッカーが座っていて、片言の英語で、なんで旅してるんだ、と聞かれた。


 ぼくは、うまく答えられなかった。


 自分でも、分かっていなかったからだ。


 ただ、その朝の光の中で、一つだけ、はっきりさせた。


 どこの寺にも、どの神さまにも、僕は属さない。


 祖母の信心にも、ここの祈りにも、属さない。


 ぼくは、ぼくのやり方で、やる。


 旅のあいだに決めたことの、それが、一つ目だった。


 帰ってくるころには、腹が決まっていた。


 ぼくは、人の相談にのって生きていく。


 会社の名札の下ではなく、自分のやり方で。


 帰ってきて、四畳一間の安アパートを借りた。


 事務所なんて持てないから、相談は近所の喫茶店でやる。


 コーヒー一杯で、何時間でも人の話を聞いた。


 マスターには嫌がられたけれど、客が一人分のケーキを頼むと、見逃してくれた。


 いちばん最初の客は、たしか、髪の薄い、くたびれた中年の男だった。


 男は、名刺を出してから座った。


 会社の名前と、課の名前が、先に机に載った。


 会社を辞めたい、と言いながら、二時間、辞められない理由ばかり並べていた。


 ローンがある。


 歳をとった。


 家族がいる。


 ぼくは、口を挟まずに、ただ聞いた。


 最後に、ひとことだけ言った。


 お客さん、辞めたいんじゃないんです。


 辞めてもいいと、誰かに言ってほしいだけでしょう。


 男は、しばらく黙って、それから、冷めたコーヒーを飲み干して、帰った。


 三日後、また来た。


 今度は、名刺を出さなかった。


 名前だけ言って、座った。


 顔が、少しだけ、軽くなっていた。


 ああ、これでいいんだな、と、ぼくは思った。


 看板も、資格も、いらない。


 この一杯分の時間で、人は、ちゃんと、変われる。


 いろんな人が来た。


 会社員も来たし、学生も来た。


 子育ての合間の主婦、潰れかけた会社の社長。


 辞めたいのに辞められない人、辞めたあとで途方に暮れた人。


 今夜死のうと思っている、という人まで来た。


 来る人に、共通点はなかった。


 あるとすれば、みんな、自分では決められなくなっている、ということくらいだ。


 決めていい、と思えなくなっている。


 誰かに、決めてもらいたがっている。


 ぼくは、決めてやらなかった。


 かわりに、その人が自分で決められる場所まで、そっと連れていく。


 決めるのはいつも、その人自身にさせた。


 ぼくは、きっかけだけを置く。


 だから、ぼくが手を引いた、という感じは、相手には残らない。


 それでよかった。


 看板は、出さなかった。


 広告も打たず、呼び込みもしない。


 表に名前を掲げると、いらない人まで寄ってくる。


 ぼくを食い物にしようとする人も、寄ってくる。


 十五のとき、頼まれもしないのに、同級生へ占いのようなことを押しつけて、ひどく気味悪がられたことがあった。


 よかれと思ってやった。


 だからこそ、こたえた。


 あれで、ぼくは決めた。


 こちらから行かない。


 必要な人だけが、たどり着けばいい。


 それでも、名刺だけは作った。


 喫茶店で、初対面の相手に「あなた、何者ですか」と聞かれたとき、渡すものがないと困る。


 祓い屋です、拝み屋です、とは言えなかった。


 言えば、大抵の人は半歩下がる。


 相談の前に、壁ができてしまう。


 だから、当たり障りのない、まっとうな肩書きが要った。


 キャリアコンサルタント 佐藤士恩。


 駅裏の小さな印刷屋で刷ってもらった、飾りのない名刺だった。


 刷り上がった一箱を抱えて、その足で、ぼくは祖母のところへ向かった。


 誰よりも先に、祖母に見せたかった。


 祖母は、それを両手で受け取って、何度も読んだ。


 老眼鏡を少しずらして、近づけたり、離したり。


 読めない外国語みたいに、ゆっくり、一文字ずつ。


「キャリア……なんとかって、何なの、これは」


「人の相談にのる仕事ですよ」


「相談」


「はい。会社辞めたいとか、この先どうしようとか。そういうのを、まあ、聞いて、整理して」


 祖母は、うなずいた。


 それから、もう一度、名刺を読んだ。


「ちゃんとした仕事なのねぇ」


 ぼくは、少し困った。


 ちゃんとしているのかは、自分でも分からなかったからだ。


 喫茶店でコーヒー一杯、看板もなく、資格もなく、ただ人の話を聞いているだけの男を、ちゃんとした仕事、と呼んでいいのか。


 分からなかった。


 でも、祖母には、その肩書きが、すっと通じたのだ。


 もし、名刺に「祓い屋」と書いてあったら、祖母はまた、あの悲しい顔をしたと思う。


 変な宗教に嵌った孫の顔を、そこに見たと思う。


 でも「キャリアコンサルタント」は、違った。


 人の相談にのる、真っ当な仕事。


 信仰とは何の縁のない、真っ当な仕事。


 だから祖母は、笑えた。


 祖母は、その一枚を、仏壇の引き出しにしまった。


 上に湯呑みを、重石みたいに置いて。


 訪ねてくる近所の人に、あとで見せるつもりだったんだと思う。


 うちの孫は、こういう仕事をしているの、と。


 ぼくが本当にやっていることは、その名刺には、一文字も書いていない。


 表向きの名刺だ。


 祓いも、拝みも、封じることも書いていない。


 書けるわけがなかった。


 祖母を悲しい顔にさせるものは、全部、名刺の裏側に隠した。


 表に出せるのは、この一枚だけだ。


 だからぼくは、この肩書きだけは、持ち続けた。


 二十五から四十まで、ずっと。


 祖母に渡せた、たった一つの「普通」だったから。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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