第1話「国家資格になった」
合格通知には、ぼくの本名が印刷されていた。
佐藤士恩。
その下に、登録申請書が一枚、入っていた。
氏名欄は、まだ、白かった。
五文字ぶんの、白だった。
指でなぞると、そこだけ、紙が少し、ざらついていた。
二〇一六年の、秋だった。
封筒は、昼前に届いた。
一階のNAKANOに顔を出した帰り、郵便受けの中で、それだけが、妙に固かった。
差出人は、試験をやっている機関の名前だった。
ぼくは、それを持って、十階まで上がった。
急いだつもりは、なかった。
ないはずだった。
十階の事務所で、ぼくは、その封筒を開けた。
窓のブラインドは、半分、閉めたまま。
角形の、固い封筒だった。
中身は、学科試験の合格と、実技試験の合格。
数字と、受験番号と、明朝体の五文字。
味も素っ気もない字だ。
役所でも、契約書でも、いつもは判子と手書きで済ませてきた名前が、他人の機械の打った活字になっている。
活字の「佐藤士恩」は、なんだか知らない人の名前みたいで、ぼくはそれを、しばらく親指で撫でていた。
民間資格だったものが、今年から国家資格になった。
キャリアコンサルタント。
二〇〇一年からぼくが名乗ってきた肩書きが、国に登録される種類の資格に変わった。
試験があって、登録があって、更新がある。
制度が立派になった。
ぼくのやることは、何も変わらない。
――そのときは、そう思っていた。
相変わらず喫茶店の隅か、看板のない事務所で、来た人の話を聞くだけだ。
それでも、三年の実務経験があれば受けられる試験で、ぼくには、その五倍あった。
申し込んだのは、この春だ。
願書の氏名欄に、佐藤士恩、と自分の手で書いた。
あのとき、ペンは、止まらなかった。
夏の終わりに試験を受けて、秋になって、この封筒が来た。
受かっただけでは、まだ名乗れない。
同封の申請書に氏名を書いて、登録して、国の名簿に載って、初めて「キャリアコンサルタント」になる。
逆に言えば、あとは、この五文字を書くだけだ。
――と言えば、筋は通る。
通るのだけれど、自分でも変だと思う。
ぼくは十五年、看板を出したことがない。
広告も打たないし、呼び込みもしない。
表通りにそれらしい名前を掲げたこともない。
来る人だけを見て、必要な人だけが口伝てにたどり着いてくる。
そういうやり方でやってきた。
それが性に合っていたし、それしかできなかった。
看板を掲げれば、いらない人まで寄ってくる。
ぼくを利用しようとする人も寄ってくる。
だから、ぼくは名簿の外で生きてきた。
その男がいま、国家の名簿に載るための紙を、机の上に広げている。
矛盾しているのは、ぼくがいちばんよく分かっていた。
それでもここまで来た理由は、この封筒のどこにも書いていない。
合格通知にも、申請書にも書いていない。
ぼくの胸の内側にだけあって、それはもう、あんまり口に出したくない種類の理由だった。
ペンを持って、先を、氏名欄の左端にそっと置いた。
置いたまま、動かなかった。
書けばいい。
それだけのことだ。
合格通知に印刷されているのと、同じ五文字。
それを、ここに写せばいい。
書けば、この十五年に国のお墨付きがつく。
書けば、あの約束の、形だけは残る。
指は、動かなかった。
紙の白さが、やけに深く見えた。
その白の底に、遠い日が沈んでいる。
ぼくが十三のときの、あの日だ。
畳の匂いと、仏壇の鈍い金と、湯呑みから立つ湯気。
児童相談所の人に手を引かれて、初めて祖母の家に上がった、あの日。
あの遠い日から、この白い一枚まで、一本の細い糸がつながっている。
その糸をたぐるように、ぼくは、そこから思い出していた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。




