第6話 お願いします
八階は、文具と雑貨の店だった。
シャッターは半分下りていて、そこを潜って入る。
棚には、ノートと便箋と、季節の飾りが並んでいた。
半分は文具で、あとの半分は、何に使うのかよく分からないものだった。
店の人は、おれの胸くらいの背丈の女の人だった。
年は、見当がつかなかった。
重さなら、持つ前に分かるのに。
「ジオンさんから聞いてます。知り合いのお店が、閉めちゃって」
廊下の突き当たりに、木のカウンターが置いてあるという。
譲ってもらったはいいが、運んできた業者は、廊下までで帰ったらしい。
「あれ、こっちへ入れたいの」
見に行った。
天板の厚いカウンターだった。
奥行きがあって、脚が一体になっている。
長さは、二メートル四十。
持ってみて、九十キロと見当をつけた。
重さは、問題ない。
「一人で大丈夫? 男の人、もう一人呼ぶ?」
「いけます」
言ってから、廊下を見た。
突き当たりで、直角に曲がっている。
幅は一メートル二十あるかどうか。
頭のなかで、長さと角度を置いてみた。
入らない。
正確には、入るが、回らない。
抱えたまま角へ持っていって、先を振る。
壁に当たる。
持ち替えて、角度を変える。
反対の壁に当たる。
腰の位置を落として、天板を斜めにする。
今度は天井に当たった。
汗が出はじめた。
まだ、出ている。
もう一度、角を攻めた。
ぎ、と音がした。
壁紙が、天板の角で削れていた。
白い紙が、ささくれて浮いている。
手が止まった。
金属が壁を削る音を、おれは一度、聞いたことがある。
あのとき、音は二つあった。
カウンターを、廊下に下ろした。
息が上がっている。
九十キロを持ったからではない。
九十キロは、持てる。
持てるのに、通らない。
力の話ではなかった。
引っ越し屋で、長い物は二人と決まっている。
決まりだからではない。
一人では、先が回らないからだ。
ずっとそう教わってきて、ずっと、荷物のほうの都合だと思っていた。
壁のささくれを、指の腹で撫でた。
もう戻らなかった。
「どう?」
店の人が、シャッターのところから顔を出していた。
おれは、口を開いた。
開いて、閉じた。
人に頼めば、その人はこの角に手を入れる。
壁と天板のあいだに、指が入る場所がある。
おれは、それがどこにできるか、はっきり分かっている。
分かっているのに頼むのか。
シャッターの下から、店の人が出てきた。
「重いんでしょう。誰か呼んでくるから」
「あの」
自分の声が、思ったより低く出た。
「……お願いします」
「え」
「先のほう、持ってもらえますか。おれが後ろを下げるんで、そのぶん、先を、そっちの壁側へ振ってください」
店の人は、少し笑った。
「私、力ないよ」
「力は、いらないです」
本当だ。
前を回すのに、力はいらない。
重さは、全部こっちで持てる。
二人で持ち上げた。
「せーの、で下げます。せーの」
角が、抜けた。
白い壁紙のささくれの、二センチ手前で、天板が通った。
店のなかへ入れて、下ろす。
床が鳴った。
「あら」
店の人が、手のひらを見ていた。
「全然、重くなかった」
「持ってないですから」
「持ったよ」
そう言われて、返す言葉が出てこなかった。
十階へ戻った。
「入りましたー?」
「入りました。一人じゃ無理でした」
「あー、そうですかー」
男は、驚かなかった。
「で、どうしたんですかー」
「……頼みました」
「はい、はい」
それだけだった。
よくやった、とも、言わなかった。
男は麦茶を一口飲んで、湯呑みを置いた。
「ぼくね、動けないんでー。ぜんぶ、人に、頼んでるんですよー」
「はあ」
「慣れるとね。……楽ですよー」
軽い言い方だった。
軽い言い方で、たぶん、軽くない話をしていた。
帰り道、駅までの坂で、スマホを出した。
日野の名前は、まだ、いちばん上にある。
――岩城さん、大丈夫でしたか
二か月前の一行が、そのまま残っている。
おれは、その下に、二行だけ打った。
書いては消す、をしなかった。
送った。
既読が、すぐについた。




