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燃えカスの守り人  作者: K3/KASANE
三人がかりで、運ばれた

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第2話 持てるから


 朝、目が覚めた時点で、少しおかしかった。


 寝汗をかいたのに、喉が渇いていない。


 飯が半分しか入らない。


 それだけだ。


 熱はない。


 頭も痛くない。


 言わなかった。


 言えば、誰かが代わりに持つ。


 おれの分を、二人でやることになる。


 人手は足りていない。


 だから、言うことじゃない。


 現場のエレベーターには、工事中の紙が貼ってあった。


「岩城さん、これマジで階段っすか」


 日野が首を反らして、上を見ている。


「そうだよ」


「四往復くらいします?」


「もっとだろ」


 施主は若い夫婦だった。


 旦那のほうが、トラックから降ろした冷蔵庫を見て言った。


「え、これ運べるんですか」


「はい」


「すごい身体ですねえ」


 昨日と同じ言葉だ。


 おれは頭を下げる。


 三階と四階のあいだの踊り場で、汗が止まった。


 肌が乾いていく。


 分かる。


 ここから先は、時間の問題だ。


 あと十段。


 十段なら、いける。


 九段。


 八段。


 視界の端から、白が入ってきた。


 上のほうから、粉みたいに落ちてくる。


 冷蔵庫は、まだおれの肩にある。


 離せば、下へ行く。


 下には、日野がいる。


 だから、離せない。


「岩城さん、代わります」


 下から手が伸びてきた。


 やめろ、と言おうとして、声にならなかった。


 膝が、抜けた。


 音を、二つ聞いた。


 一つは、金属が壁を削っていく音。


 もう一つは、短い、人の声だった。


 気がつくと、床にいた。


 天井の蛍光灯が、ゆっくり回っている。


 頭が割れる。


 腹の底から、何かがせり上がってくる。


 起きようとして、腕が言うことを聞かなかった。


 水を、と誰かが言った。


 口元に何か当てられて、飲めなかった。


 飲めない、という感覚を、生まれて初めて知った。


 運ばれた。


 階段を、三人で。


 肩と、腰と、脚を、別々の人間が持っていた。


 踊り場ごとに、持ち替えるために止まった。


 せーの、と誰かが言った。


 さっきまで、おれが一人で上げていた階段だった。


 病院のカーテンの外で、母が看護師に頭を下げているのが聞こえた。


「すみません、この子、暑いところがだめで」


 二十九だ。


 この子、と言われる歳ではない。


 おれは目を閉じたままでいた。


 日野は、右手だった。


 冷蔵庫と手すりのあいだに、指が入った。


 骨と、腱。


 全治二か月と聞いた。


 三日後、事務所へ呼ばれた。


 所長と班長が待っていた。


「岩城。まず、お前を辞めさせる話じゃないからな」


「はい」


「これは会社の管理の問題だ。署にも出す。お前の責任にはしない」


「はい」


「治ったら戻ってこい」


 おれは頭を下げた。


 そのあとに、続きがあった。


「ただ、重い物を一人で持つのは、もうなしだ」


「はい」


「重量物は複数人。組み方を変える。暑い日は、お前は配置から外す」


「……はい」


「様子を見ながら、戻していこう」


 まともな話だった。


 どこにも、おかしいところがない。


 おれのために、現場の組み方が変わる。


 おれのために、人を余分に入れる。


 おれのために、みんなのやり方が変わる。


「所長」


「ん」


「じゃあ、おれ、何するんですか」


 所長は、少し黙ってから言った。


「何って、仕事だよ」


 おれは頷いた。


 帰り道は、日陰を選んで歩いた。


 持てば、日野みたいなことになる。


 持たなければ、おれは、ただ図体のでかい人間だ。


 どちらへ足を出しても、床がない。


 辞表は、一度目は受け取ってもらえなかった。


 二度目に持っていったとき、所長は封筒を見たまま、しばらく何も言わなかった。


 それから、机の端に置いた。


「もったいないな」


 最後に、そう言われた。


 その言葉も、ほめ言葉だった。


 外に出ると、まだ日が高かった。


 トラックが一台、駐車場を出ていく。


 荷台側に、二人乗っている。


 おれは、それを見送った。


 何も持っていない手だった。


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