第8話「午前七時」
時間ができた時にも随時更新します!
ぜひお楽しみに!
それでは、本編をお楽しみください。
季節が、初夏から、秋に変わった。
うちには、訪問介護の人が、入るようになった。
お父さんは、今でも、支援員さんに、文句を言う。わたしと、口げんかをすることもある。お父さんと、わたしの関係は、前より、ぎくしゃくしている。
でも、前の、あの、何も言えなかった関係には、戻っていない。ぎくしゃくできるのは、きっと、少し、ましになったということだ。
この前も、支援員さんのことで、わたしとお父さんは、大げんかをした。声を荒らげて、言いたいことを、ぶつけあった。終わったあとは、少しだけ、すっきりしていた。前は、けんかも、できなかった。言いたいことを、のみこんで、しっかりした子の顔で、笑っていた。ぶつかれるようになったのは、たぶん、少しだけ、ほんとうの家族に、戻れたということだ。
◇
お父さんは、通所リハビリに、行きはじめた。
気が進まない、という顔で。それでも、同じように、身体に後遺症のある男の人と、将棋を、指すようになった。
わたし以外の、つながりが、一つ、できた。
お父さんが、急に、やさしい父親に、なったわけじゃない。あいかわらず、気むずかしい。ただ、わたししかいない、という場所から、ほんの少しだけ、離れはじめた。
◇
わたしは、藤田さんに、うちのことを、話した。
ぜんぶじゃない。お父さんの介護を、していたこと。だから、誘いを、断っていたこと。それだけ。
藤田さんは、少し泣いて、責めるような言い方をして、ごめん、と言った。わたしも、ごめん、と言った。
今度こそ、あの新しい本屋に、二人で行こう、と、約束した。
田辺先生にも、支援の人から、事情が伝わったらしい。先生は、何か言おうとして、うまく、言葉にできずにいた。わたしは、先生を、許すとも、責めるとも、言わなかった。ただ、進学の相談だけを、はじめた。
◇
ある朝。
わたしは、自然に、目を覚ました。
窓から、光が、入っている。
時計を見た。午前七時。
一瞬、血の気が、引いた。薬。朝ごはん。洗濯。ぜんぶ、遅れている。わたしは、飛び起きた。
台所へ、走る。
でも、そこには、支援員さんがいて、朝ごはんを、作っていた。お父さんも、もう、椅子に座っている。不機嫌そうだけど、困っては、いなかった。
「遅刻するぞ」
お父さんが、言った。
わたしは、その場に、立ちつくした。
わたしが、午前四時に、起きなくても。ちゃんと、朝は、来ていた。
わたしがいなくても、朝は、来る。世界は、回る。それは、さびしいことのようで、ほんとうは、救いだった。朝は、わたしのおかげで、来ていたわけじゃ、なかったのだ。わたしが、ぜんぶを、背負わなくても、よかった。
◇
台所の壁に、お母さんのエプロンが、掛かっている。ずっと、そこに掛けたままの、色のあせたエプロン。
風は、ない。
なのに、その裾が、ほんの少しだけ、揺れた気がした。
お母さんの声は、しなかった。
わたしは、エプロンの前で、立ち止まった。
あやまらなかった。お父さんをお願いね、と言われた、あの約束も、繰り返さなかった。
ただ、言った。
「行ってきます」
声に出すと、胸の奥が、少しだけ、軽くなった。お母さんに、お願いされたことを、わたしは、果たせなかった。約束を、破った。それでも、お母さんは、もう、怒らなかった。何も、言わなかった。その静けさは、責めているのではなく、見送ってくれている静けさのように、思えた。そう思えたのは、たぶん、わたしが、そう思いたかったからだ。それでも、いい気がした。
玄関へ、向かう。
今日、持っていくのは、自分のお弁当だけ。お父さんのお昼は、配食サービスが、届けてくれる。
◇
神宝町の、古いビルの一室。
「あの子は、大学を、目指すそうですよ」
大原が、そう報告した。青木が、書類をめくりながら、続ける。
「お父さまも、ようやく、支援の契約に、署名されました」
慈恩は、眠そうに、煙草を、くわえた。
「そうですかぁ」
大原が、ふと、聞いた。
「なあ、慈恩さん。あのお母さん……ほんまに、おったん?」
慈恩は、窓の外を、見た。
「いましたよ」
少し、間を置いて、続ける。
「どっちの意味かは、知りませんけどねぇ」
◇
朝の、通学路。
紗季が、歩いている。
誰かの、母親でもない。誰かを、支えるためだけの、人間でもない。ただの、十六歳の高校生として、学校へ、向かっている。
午前七時の朝は、思っていたより、ずっと、明るかった。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
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