表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
燃えカスの守り人  作者: K3/KASANE
午前四時の、家族

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

105/151

第2話「しっかりした子」

時間ができた時にも随時更新します!


ぜひお楽しみに!


それでは、本編をお楽しみください。


 店員さんが、モップを持ってきて、割れた卵を片づけはじめた。


 「すみません。すみません」


 わたしは、何度も頭を下げた。床にひろがった黄身が、自分の失敗そのもののように、いつまでも消えなかった。


 「弁償します」


 「いいですよ、これくらい」


 あの人が、横から言った。財布を出そうとしている。わたしは、あわてて首を振った。


 「けっこうです。知らない人に、払ってもらう理由はありません」


 声が、思ったより硬くなった。それから、さっき口にしてしまった言葉を、打ち消しておきたくなった。


 「母のことも、何かのまちがいです。母は、死んでいます」


 あの人は、言い返さなかった。ただ、ゆっくりとうなずいた。


 「そうですねぇ。亡くなってます」


 その言い方が、なぜか、引っかかった。死んでいる、と、亡くなっている。同じことのはずなのに、その人の口から出ると、まるで、まだどこかにいる人の話をしているみたいに聞こえた。


 あの人は、ポケットから一枚の紙を出した。名刺だった。


 「気が向いたら、どうぞ」


 わたしは、受け取らなかった。かごを持って、レジへ向かう。うしろは、振り返らなかった。


 会計をして、袋に商品を詰める。店員さんが、これ落とされましたよ、と、何かを袋に入れてくれた。家に帰ってから、気づいた。あの、名刺だった。


 帰り道、あの人の言葉が、頭からはなれなかった。亡くなってます、と、あの人は言った。死んでいます、とわたしが言ったのに。まるで、いなくなったわけではない、とでも言うように。


 昔から、わたしは、しっかりした子だと言われてきた。お母さんのお葬式のときも、親戚の人たちが、口々にそう言った。あの子は、しっかりしているから。まだ中学生なのに、えらいわね。ほめられるたびに、わたしは、うまく笑えなくなった。しっかりしていないと、いけない気がした。しっかりしていない自分は、ここにいては、いけないように思えた。


     ◇


 次の日、進路面談があった。


 進路指導室で、田辺先生は、わたしの成績表を見ていた。


 「一年のときは、国立も狙えた。でも、この出席と、最近の点数だと、正直、厳しいな」


 「就職します」


 わたしは言った。


 「大学には、行きません」


 先生は、少し驚いた顔をした。


 「どうして。もったいないだろう」


 本当の理由は、言えない。お父さんを、置いていけない。そのかわりに、用意していた嘘を口にした。


 「勉強が、好きじゃなくなったんです」


 鞄のなかには、あの大学のパンフレットが、まだ入っている。机の奥から、今日は持ち出してしまった。好きじゃなくなった、なんて、嘘だった。


 小さいころ、お母さんは、よく本を読んでくれた。寝る前に、絵本を一冊。声色を変えて、お姫さまや、動物のまねをして。わたしが眠るまで、何度でも読んでくれた。だからわたしは、いつか、子どものための物語を、自分で書いてみたいと思っていた。児童文学、という言葉を知ったのは、あのパンフレットを見つけたときだ。胸の奥で、小さな灯りがついた気がした。今は、その灯りに、ふたをしている。


 「宮下。将来を、投げるなよ」


 先生は、そう言った。悪い人ではない。ただ、わたしの家のことを、何も知らない。


 家族を守るために、あきらめる。それが、どうして、将来を投げることになるのだろう。わたしには、わからなかった。


     ◇


 教室に戻ると、藤田さんがいた。


 「紗季、文化祭の図書委員の企画、一緒にやらない? 前みたいに」


 「ごめん。今回は、いいや」


 藤田さんの顔が、少しこわばった。


 「紗季って、最近ずっと、そうだよね」


 声に、とげがあった。


 「何かあるなら、言えばいいのに」


 わたしは、考えるより先に、言い返していた。


 「言ったって、どうにもならないから」


 言ってしまってから、しまった、と思った。藤田さんの目が、傷ついたように揺れる。あやまりたかった。でも、あやまるための言葉を探しているあいだに、次の授業の予鈴が鳴った。時間は、いつも足りない。


     ◇


 家に帰ると、玄関の鍵が、開いていた。


 「お父さん?」


 返事がない。かわりに、廊下の奥で、かすかな物音がした。


 お父さんは、トイレに行こうとして、廊下で倒れていた。杖が、手の届かないところに転がっている。携帯電話も、居間のテーブルの上だった。どちらにも、手が届かなかったのだ。


 「ずっと、ここにいたの?」


 時計を見ると、わたしが学校を出てから、一時間以上たっていた。


 お父さんを起こそうとした。肩の下に腕を入れて、力をこめる。でも、大人の男の人の身体は、思っていたより、ずっと重かった。腰に、鋭い痛みが走る。それでも、近所の人を呼ぶことは、しなかった。お父さんが、いやがるから。


 壁のむこうに、隣の家の窓明かりが見えた。声をかければ、きっと、手伝ってくれる。でも、お父さんは、それをいちばん、いやがった。他人の世話になることを、自分が惨めになることだと思っている。だから、わたしは、呼ばない。呼べなかった。


 何度も、失敗した。汗が、あごから落ちる。持ち上げては、ずり落ちて、また持ち上げる。ようやくお父さんをベッドまで運んだとき、わたしの腕は、震えていた。息が、うまく吸えなかった。


 お父さんは、こわい顔をしていた。こわがっているときの、あの顔だ。


 「どうして、もっと早く、帰ってこなかった」


 学校にいた、とは、言えなかった。


 「……ごめんなさい」


     ◇


 その夜、わたしは、痛む腰を押さえながら、洗い物をして、洗濯物をたたんだ。


 午前四時。いつものように、お母さんの声がした。


 でも、いつもと、少しちがっていた。低くて、冷たい。


 「遅かったわね」


 わたしは、布団のなかで、身をちぢめた。


 「お父さんに、何かあったら、どうするの」


 「……ごめんなさい」


 「あなたしか、いないのよ」


 「ごめんなさい、お母さん。明日は、もっと早く帰るから」


 制服を、ハンガーにかけようとしたとき、ポケットから、白いものが落ちた。


 あの名刺だった。


 拾おうと、手をのばす。


 「捨てなさい」


 お母さんの声がした。


 わたしは、名刺を持ったまま、動けなくなった。指のあいだで、その紙は、なぜか、少しあたたかい気がした。


最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。


notoやってます。

マガジンお仕事物

https://note.com/happy_duck8972/m/m87f735c2539e


感想・ブックマークなど、いただけましたら、励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ