投資という名の裏切り
「素晴らしい。……いや、信じがたい成果だ、リネット」
男爵の執務室。重厚な机の上で、一枚の帳簿が朝日を反射していた。
男爵は、そこに記された「星の雫」の残量と、削減された費用の欄を、愛おしそうに指でなぞっている。リネットの隣では、ドレスを着たエルザが誇らしげに胸を張っていた。
「計、九十九滴。一回の舞踏会ごとに、これだけの雫が手元に残ることになる」
男爵が顔を上げ、リネットに穏やかな、しかし確信に満ちた微笑みを向けた。
「リネット。君が示してくれたこの『数字』は、我がローゼンタール家にとって、単なる節約以上の意味を持っているのだよ」
「喜んでいただけて、光栄です」
リネットは深く頭を下げた。胸の奥で、まだ勝利の余韻が小さく脈打っている。
だが、男爵の次の言葉が、その火を冷酷に踏み消した。
「ああ、心から喜んでいるとも。……おかげで、ついに決心がついた。浮いた雫の代金と、今後の削減見込みを担保にして、先ほど商人と契約を交わしてきた」
「契約……? 絹糸の仕入れですか?」
リネットの問いに、男爵は首を振った。
「いや。黄金の自動織機『アリアドネ』の、永久ライセンスだ」
一瞬、部屋の空気が凝固したように感じられた。
リネットは、自分の耳が捉えた言葉の意味を、脳が拒絶しているのを知った。
「君の工夫によって、雫のコストは激減した。つまり、その浮いた利益をアリアドネの導入資金に充てれば、我が家は追加の負債なしに、帝国の最新技術を手に入れられるというわけだ。君の知恵が、我が家に『機械』を連れてきてくれたのだよ」
男爵はリネットの沈黙を「感動」と受け取ったのか、さらに饒舌に言葉を重ねた。
「これでもう、君が寝る間も惜しんで針を持つ必要はない。君の縫い方は、アリアドネがすべて学習し、再現してくれる。君はこれから、その機械を運用するエンジニアになればいい。おめでとう、リネット。君は自らの手で、この家を新しい時代へと導いたのだ」
「おめでとう、リネット!」
エルザがリネットの手を握る。その掌は温かく、一点の曇りもない喜びで満たされていた。彼女にとって、これはリネットの成功がもたらした、最高の幸福な結末なのだ。
リネットは、エルザの顔を直視することができなかった。
彼女の視線は、机の上の帳簿――自分が心血を注いで削減した、あの「九十九滴」の数字に釘付けになっていた。
(私は、私のために……この機械を呼んだのか)
男爵の笑い声も、エルザの祝福の声も、今のリネットには遠い海の底の音のようにしか聞こえなかった。
視界が歪んだ。




