表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アリアドネの指先  作者: 藤井寺市絵
正解の代償
8/15

投資という名の裏切り

「素晴らしい。……いや、信じがたい成果だ、リネット」


男爵の執務室。重厚な机の上で、一枚の帳簿が朝日を反射していた。

男爵は、そこに記された「星の雫」の残量と、削減された費用の欄を、愛おしそうに指でなぞっている。リネットの隣では、ドレスを着たエルザが誇らしげに胸を張っていた。


「計、九十九滴。一回の舞踏会ごとに、これだけの雫が手元に残ることになる」


男爵が顔を上げ、リネットに穏やかな、しかし確信に満ちた微笑みを向けた。

「リネット。君が示してくれたこの『数字』は、我がローゼンタール家にとって、単なる節約以上の意味を持っているのだよ」


「喜んでいただけて、光栄です」


リネットは深く頭を下げた。胸の奥で、まだ勝利の余韻が小さく脈打っている。

だが、男爵の次の言葉が、その火を冷酷に踏み消した。


「ああ、心から喜んでいるとも。……おかげで、ついに決心がついた。浮いた雫の代金と、今後の削減見込みを担保にして、先ほど商人と契約を交わしてきた」


「契約……? 絹糸の仕入れですか?」


リネットの問いに、男爵は首を振った。

「いや。黄金の自動織機『アリアドネ』の、永久ライセンスだ」


一瞬、部屋の空気が凝固したように感じられた。

リネットは、自分の耳が捉えた言葉の意味を、脳が拒絶しているのを知った。


「君の工夫によって、雫のコストは激減した。つまり、その浮いた利益をアリアドネの導入資金に充てれば、我が家は追加の負債なしに、帝国の最新技術を手に入れられるというわけだ。君の知恵が、我が家に『機械』を連れてきてくれたのだよ」


男爵はリネットの沈黙を「感動」と受け取ったのか、さらに饒舌に言葉を重ねた。

「これでもう、君が寝る間も惜しんで針を持つ必要はない。君の縫い方は、アリアドネがすべて学習し、再現してくれる。君はこれから、その機械を運用するエンジニアになればいい。おめでとう、リネット。君は自らの手で、この家を新しい時代へと導いたのだ」


「おめでとう、リネット!」


エルザがリネットの手を握る。その掌は温かく、一点の曇りもない喜びで満たされていた。彼女にとって、これはリネットの成功がもたらした、最高の幸福な結末なのだ。

リネットは、エルザの顔を直視することができなかった。

彼女の視線は、机の上の帳簿――自分が心血を注いで削減した、あの「九十九滴」の数字に釘付けになっていた。


(私は、私のために……この機械を呼んだのか)


男爵の笑い声も、エルザの祝福の声も、今のリネットには遠い海の底の音のようにしか聞こえなかった。

視界が歪んだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ