第60話 受験の焦り
文化祭が終わってから、気づけば一ヶ月。
教室では、球技大会の練習をするかどうかで妙な盛り上がりを見せている。……ねえ、私たちって受験生だよね?
英単語チェックを終えた途端、隣の席のミカがギュンッ!と距離を詰めてきた。
「来週球技大会じゃん!? 最後じゃん!? 葉月も練習……を……」
ミカの視線は私のノートに落ちる。
「……やっぱ、しんどいよね」
「え? うーん……」
正直、それどころじゃない。やるべきことは、まだまだ残ってる。
「適度な運動も大事らしいぜ」
ミカと二人、微妙な空気が流れる中、元野球部の田中が刈り立ての坊主頭で話に入って来る。
「……田中ってさ、髪伸ばさないの?」
「受験が終わったら伸ばそうかなぁ、とは思ってんだけど面倒臭いんだよな」
「何が?」
「散髪行くのが。坊主なら家で親父にやってもらえるだろ?」
「面倒って言っても、月一回くらいでしょ? それくらい――」
「田中の頭はどうでも良いと思わん?」
ミカはそう言うと、不満げな顔で田中の頭を叩いた。
よっこいせ、と椅子を持ってきた田中は私とミカの顔を交互に見る。
「で、話戻すんだけど。適度な運動はした方が良いらしいぜ」
真面目な顔をして語り出す田中に、何故かちょっとだけイラっとする。どうでもいいし、興味もない。
大体誰が言い出したんだろ? 田中の言葉は続く。
「って三山先生が言ってた」
……先生が言うなら、そうなのかも。
「ただ、ガッツリとかじゃなくて。例えば柊って、予備校ない時は毎日進路指導室行ってるだろ? その前に軽く運動するとかなら良いと思うんだよ、俺」
まぁ、無理にとは言わねえけど……と付け足す田中の横で、ミカは何故か小刻みに揺れてる。
今の自分が根を詰めすぎなのか、どうなのかは分からないけど……。
「……30分だけなら」
両手を上げて喜ぶミカを見ると、この選択はたぶん間違ってないと思うし、心も少し軽くなる。
……だけど。
ゆるい空気の中、受験勉強に打ち込む私だけが――少し遠くにいる気がした。
* * *
「――って事があって」
放課後の進路指導室。
キリ良く勉強が終わった所で、私は三山先生に今日あった事を話す。
机の上にはいつものようにお菓子とコーヒーが並んでいて、先生は向かいに座り……無言で私を見つめる。……長くない?
「……今、告白するとかやめてよ?」
「ああ、今はしない」
先生はコーヒーを一口啜って……ほんの少し間を空けて言う。
「一応これでも、タイミングを見計らって告白してるからな」
そのドヤ顔に、私は呆れてくる。……なんならちょっと嫌いになったかも。先生は続ける。
「柊はさ、受験生としては上位にいるんだよ」
「……はい?」
「夏終わりに成績上がっただろ? それは、他が基礎を固めてる夏休みに、柊はもう仕上がってたって事だ」
高2の時からよく頑張ってたからな、そう先生は付け足して紙袋からミカンを取り出して剥き始める。
「先月の記述模試の結果、柊はどうだった?」
「上がってましたけど……」
ミカンの筋を丁寧に取る様子を見ながら、私は答える。
「今の柊に必要なのは、がむしゃらに頑張る事じゃなくて、戦略的に勉強する……つまり『勝ちに行く勉強』をする事だと俺は思うんだよね」
先生はミカンを一房むしって……私の口へ放り込んでくる。甘酸っぱいその味は、喉から耳へ、ツンと抜ける。
「柊はもう、受験強者になってるよ。油断し過ぎは駄目だけど、高校生活を楽しむ余裕はちゃんとある」
……積み上げてきた時間は、私にそれだけの猶予をくれているのかもしれない。
最後の高校生活。全てが最後の学校行事で……。あー、そっか。最後なんだ。
その真剣な目に、何となく込み上げてくるものがあって顔をそむけた、その時。
「というわけで柊、大好きだ」
……一瞬で涙は引っ込んだ。
「……バカ」
机に置かれた辞表を、私は指先で弾き返した。




