第22話 冬休みに登校してみる③
不覚を取られたまま固まっていると、先生が窓の方を見ながらぽつりと言った。
「……今日は、西日が強いな?」
「そうですね」
フォローされるなんてっ!!私は咄嗟に首元のマフラーで口元を覆い隠す。
ちなみに今の空は、どんよりした曇りである。
「今年も可愛いな?」
「新年早々クビになりますよ?」
「柊のためなら、それも縁起がいい」
「縁起のいいクビなんてありませんけど」
「愛のために職を捨て、新たな一歩を踏み出すんだよ」
「生徒に手を出して職を追われた非道畜生な元変態教師じゃないですか?」
「その通りすぎて何も言い返せないじゃないか」
そう言って、先生は机の引き出しの中から――例の退職届を取り出した。
「保留で」
「恩に着ます」
退職届は再び、静かに引き出しの奥へと戻された。
……どこからでも出てくるな、それ。ほんとに。
「とりあえず、コーヒーでも飲む? 暖房つけてないから寒いだろ?」
「……飲みます」
先生は電気ケトルを手に取り、部屋の明かりをつける。
蛍光灯の白い光が、さっきまでの静けさを一瞬で現実に引き戻した。
そのまま給湯室へと出ていく後ろ姿を見送りながら――私は、心の中で小さくつぶやいた。
――先生の、バカ。
* * *
「こっちの参考書は柊には簡単すぎるな」
「数学は基礎がちょっと怪しいから、今は広く万遍なくやった方がいい。……こっち」
「古典はこのままでもいいけど、俺が個人的に好きなのはこれ。いま推し活中」
参考書で推し活すんな。
先生はテキパキと参考書を選定してくれる。
……こういうところは、とても頼りになるんだけどなぁ。
「もしかして、生徒全員の得意不得意とか把握してるんですか?」
「そんなの無理だよ。ただ、マメに相談に来るやつと、自分のクラスの生徒は把握してる」
「……やば」
「出来る限りのことは全力でやる。ちゃんと手を抜いてサボるのは、もう少し慣れてからだな」
「いや、サボんないで」
「精神やられて休職する人も多いからな。サボるのは大切だ」
キリッとした顔で言われても。……いや、大変なんだろうけどさ。
「だからまぁ、ワークライフバランスにも気を付けようと思ってな」
「あー、趣味とか?」
「それもあるけど、やっぱり柊みたいな子と幸せな結婚生活送るのが一番だと思う」
「ふーん」
受け流す。たぶん、これが正解。
「あと、既婚男性の方が寿命長いらしいし」
「そうなんだ? 女の人も??」
「……」
「え、なに? 違うの??」
「……独身女性の方が長いらしい」
「うわ、最悪」
「俺、頑張るからさ……」
「結婚は慎重にしないとダメだなぁ……」
掃除、洗濯、料理は任せろ――とか言ってる先生の声を、私はコーヒーを飲みながら全部聞き流す。
窓の外では、冬の雲が少しだけ明るくなっていた。
* * *
「そろそろ帰るか」
「うん」
簡単に片づけを済ませて、私たちは部屋を出た。
――たぶん、二人で進路指導室を後にするのは初めてだ。
職員室で鍵を返し、そのまま昇降口へ。
ドアを開けると、冷たい空気が頬を撫でた。
「お、ミヤマンと柊じゃん。え、先生の車で送ってもらうの??」
外に出た瞬間、ストレッチ中の田中に遭遇した。
「教師は生徒を車に乗せられない。そもそも俺は今日、徒歩と電車だ」
「そういや、さっき会った時に聞いてたわ」
田中はケラケラと笑う。
「あー、俺も先生と一緒に帰りてぇ……」
「諦めろ。学校が始まったら、昇降口から手を繋いで教室まで連れて行ってやる」
「幼稚園児みたいじゃねえか! なぁ、柊?」
「教室着いたら、お姉さんがよしよししてあげるね?」
「恥ずかしいわ! ……いやでも、それ嬉しいかも」
他の野球部員たちも加わって、しばらく田中をいじって遊んだ。
最後は「したー」と見送られながら、先生と並んで歩き出す。
――挨拶にも感謝にも使える、運動部独特の「したー」って便利そうだなぁ。
* * *
「そういえば、今日は何で車じゃないんですか?」
「このあと飲み会があるから」
先生は、いつもよりもウキウキとした笑顔で答えた。
「そんなに楽しみなんだ?」
「いや、まぁ普通。それより今は――柊と一緒に帰れることが嬉しい」
「バカじゃないの」
「誰もいなければ、手も繋げるのに」
「カップルじゃあるまいし」
「んー。傍から見たら、そう見えるんじゃないか?」
「……一歩離れとこ」
「しかも今日、けっこうタメ口だったし」
「え?」
……そうだっけ?
「じゃあ今後は敬語を徹底して、距離を置くことに専念しますね」
「……寂しいこと言うなよ」
なんてことない話をしていたら、駅まで着くのはあっという間だった。
――先生、またね。




