まだ、生きている
※本作はすでに完結済みの長編ファンタジーです。現在、連載形式で投稿中です。物語は最後まで投稿される予定ですので、安心してお楽しみください。
「……シズク」
やっとの思いで名前を呼んだ。
その声に、ようやく彼女は振り返った。
髪がゆっくりと揺れ、瞳がミナトを捉える。
けれどその表情は、どこか夢の中のように遠かった。
「…よかった…無事だったんだね」
静かな声だった。
安堵の色はあった。けれど、その奥にある痛みを、ミナトはすぐに感じ取った。
「……風、穏やかだね。空も、広い」
それは、まるで現実から目を逸らすような言葉だった。
ミナトは答えず、彼女のそばへと、ゆっくりと歩を進める。
「こんなことになるなんてね……」
唇を噛みながら、シズクは呟いた。
その手は、指先まで白くなるほどに強く握られている。
ミナトは歩み寄り、彼女の隣に立った。
そこから見える光景は、まるで別の星のようだった。
鮮やかな陽光の下、町は壊れ、橋も道も、家々もすべてが砕けていた。
その中心を、ミナトたちは生き延びて、こうしてここにいる。
「…ひどい、よな」
彼がぽつりと漏らしたその言葉に、シズクはわずかにまぶたを伏せた。
しばらく、言葉がなかった。
やがて、彼女は小さく息を吸い、呟くように言った。
「…あの団員の人、いたでしょ。祠の場所まで案内してくれた…でも」
言葉が詰まり、彼女はうつむいた。
「すぐそこの岩石に巻き込まれて…一瞬だった。私、何もできなかった」
シズクの視線の先、祠のすぐ脇に、大きな岩石が崩れ落ちていた。
真っ赤な血が、岩の下から滲んで、乾いた地面に染みを広げている。
指のようなものが、ひとつ、岩の隙間から突き出ていた。
動くはずもなく、ただ、そこにあった。
ミナトは返す言葉を持てなかった。ただ、彼女の顔を見つめていた。
「それだけじゃない。妖異を降ろすための贄の人たちも…巻き込まれたの」
声が震えていた。
「私…この町で、妖異降ろしをするはずだった。だけど…もう……このままじゃ、降ろせない」
「……何のために来たのかな。私」
その一言が、風に溶けた。
ミナトは、その横顔を見つめたまま、ゆっくりと口を開いた。
「……まだ、生きてる」
その言葉に、シズクの肩がわずかに揺れる。
「町は…壊れた。たくさんの人が、死んだ。でも、まだ…生きてる人たちがいる。俺たちも…こうして生きてる」
シズクは何も言わなかった。ただ、俯いたまま風に髪を揺らしていた。
ミナトは、彼女のすぐ隣に立ち、崩れた町を見下ろした。
陽の光が、焼けた瓦礫を照らしている。壊れた家の隙間に、かすかに動く影が見えた気がした。
「俺、覚えてないんだ。途中から、もう何がなんだか…ただ必死に、誰かを助けて、ただ……生き延びただけで」
ミナトは拳をぎゅっと握った。
「だけど、それでも…俺たちはまだ、生きてる。まだ終わってない。生きてる限り、できることはあるはずだ」
シズクは、ゆっくりと顔を上げた。
その瞳には、まだ深い影があった。
それでも、ミナトの言葉が確かにそこに届いたのがわかる。
「…ミナト」
彼女の声は、かすかに揺れていた。
ミナトは、そっと手を伸ばし、彼女の肩に触れた。
「大丈夫だ。俺が、いる」
その言葉に、シズクの目が揺れた。
そして、ようやく彼女は、ほんの少しだけ、微笑んだように見えた。
そのとき、ミナトはふと、何かを思い出したように顔を上げた。
「…ヒヨリ」
その名を口にした瞬間、胸の奥にざらりとした焦りが広がった。
「……そうだ。シズクを探してて、焦って……」
ミナトは自分の額に手を当てて、荒く息を吐いた。
「……ヒヨリ、置いてきちまった……。町に」
目の前のことに必死で、振り返る余裕すらなかった。けれど、ヒヨリはたとえ感情を持たない“存在”であったとしても、彼にとっては確かに大切な仲間だった。
「探しに行く」
そう言って動き出そうとした、そのときだった。
「あ……」
シズクの小さな声に導かれて、ミナトもその視線を辿る。
岩山の下。崩れた斜面の中腹。
陽に照らされた瓦礫の隙間、そこに、白い影が立っていた。
「…ヒヨリ」
長い四肢。滑るような白い肌。
風に揺れるように、そこに立っているその姿。
間違いようがない。ヒヨリだった。
ミナトとシズクを見上げるようにして、ヒヨリは動いた。
ゆっくりと、確かに一歩を踏み出す。
そして、シズクの姿を見つけたその瞬間――
「……ズ……ク……」
かすかに。けれど、確かに。
その声は、風にかき消されそうなほど小さかった。
それでも、ミナトの耳に、深く、強く届いた。
ヒヨリの顔が、どこか嬉しそうにほころんでいた。
あの無表情だった異形の顔に、初めて、明確な“感情”が宿っていた。
「…シズ…ク」
ミナトは呆然としながらも、ゆっくりと歩み寄る。
その胸に、得体の知れない感情が広がっていた。
シズクも驚いたようにその姿を見つめ、そして、そっと微笑んだ。
「来てくれたんだね…ヒヨリ」
ヒヨリは小さく首を傾げたあと、一歩、こちらに近づいてきた。
その動きもまた、今までよりずっと、人間らしく見えた。
ミナトはヒヨリの姿を見つめながら、ゆっくりと口を開いた。
「……さっきな」
視線はヒヨリに向けたまま、隣に立つシズクに語りかける。
「あいつ…ヒヨリが……人を助けようとしてたんだ。でかい岩が落ちてきて、何人も下敷きになって……」
ミナトの声は震えていた。思い出すたびに、あの混乱の只中で見た光景が、鮮やかによみがえる。
「俺がシズクを探すって決めて走り出そうとしたとき…ヒヨリは、その岩を押してたんだよ。あの細い体で……」
彼は拳を握りしめた。信じられなかった。
「言ってたんだ、ちゃんと。『タスケル』って……言葉になってなかったけど、確かに、そう言ってた」
その記憶は、ミナトの胸に深く刻み込まれていた。
「ヒヨリは、俺が言った言葉を覚えてたんだ。『住民を助けるぞ』って……そのときは、ただ頷いただけに見えたのに…」
ヒヨリは、今もそこにいた。
こちらを見つめ、シズクに向かって、にじむような笑みを浮かべている。
人とも違い、妖異とも違う。けれど、その表情は確かに「誰かを想う」それだった。
「…俺たちだけじゃない。きっと、ヒヨリも…この世界で、生きようとしてる」
静かに、けれど強く、ミナトは言った。
風が、またひとつ、静かに吹き抜けた。
その風の中で、ヒヨリの長い腕が、そっとシズクの方へ伸びる。
ぎこちなく、それでもまっすぐに、触れようとしていた。
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