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陽の下、揺ぐ  作者: カナメ
十章 とこしえの夜語
30/31

まだ、生きている

※本作はすでに完結済みの長編ファンタジーです。現在、連載形式で投稿中です。物語は最後まで投稿される予定ですので、安心してお楽しみください。


「……シズク」

やっとの思いで名前を呼んだ。


その声に、ようやく彼女は振り返った。

髪がゆっくりと揺れ、瞳がミナトを捉える。

けれどその表情は、どこか夢の中のように遠かった。


「…よかった…無事だったんだね」

静かな声だった。

安堵の色はあった。けれど、その奥にある痛みを、ミナトはすぐに感じ取った。


「……風、穏やかだね。空も、広い」

それは、まるで現実から目を逸らすような言葉だった。

ミナトは答えず、彼女のそばへと、ゆっくりと歩を進める。


「こんなことになるなんてね……」

唇を噛みながら、シズクは呟いた。

その手は、指先まで白くなるほどに強く握られている。

 

ミナトは歩み寄り、彼女の隣に立った。

そこから見える光景は、まるで別の星のようだった。

鮮やかな陽光の下、町は壊れ、橋も道も、家々もすべてが砕けていた。

その中心を、ミナトたちは生き延びて、こうしてここにいる。


「…ひどい、よな」

彼がぽつりと漏らしたその言葉に、シズクはわずかにまぶたを伏せた。

しばらく、言葉がなかった。


やがて、彼女は小さく息を吸い、呟くように言った。


「…あの団員の人、いたでしょ。祠の場所まで案内してくれた…でも」

言葉が詰まり、彼女はうつむいた。


「すぐそこの岩石に巻き込まれて…一瞬だった。私、何もできなかった」

シズクの視線の先、祠のすぐ脇に、大きな岩石が崩れ落ちていた。

真っ赤な血が、岩の下から滲んで、乾いた地面に染みを広げている。

指のようなものが、ひとつ、岩の隙間から突き出ていた。

動くはずもなく、ただ、そこにあった。

ミナトは返す言葉を持てなかった。ただ、彼女の顔を見つめていた。


「それだけじゃない。妖異を降ろすための贄の人たちも…巻き込まれたの」

声が震えていた。


「私…この町で、妖異降ろしをするはずだった。だけど…もう……このままじゃ、降ろせない」


「……何のために来たのかな。私」

その一言が、風に溶けた。

ミナトは、その横顔を見つめたまま、ゆっくりと口を開いた。

 

「……まだ、生きてる」

その言葉に、シズクの肩がわずかに揺れる。


「町は…壊れた。たくさんの人が、死んだ。でも、まだ…生きてる人たちがいる。俺たちも…こうして生きてる」

シズクは何も言わなかった。ただ、俯いたまま風に髪を揺らしていた。


ミナトは、彼女のすぐ隣に立ち、崩れた町を見下ろした。

陽の光が、焼けた瓦礫を照らしている。壊れた家の隙間に、かすかに動く影が見えた気がした。


「俺、覚えてないんだ。途中から、もう何がなんだか…ただ必死に、誰かを助けて、ただ……生き延びただけで」

ミナトは拳をぎゅっと握った。


「だけど、それでも…俺たちはまだ、生きてる。まだ終わってない。生きてる限り、できることはあるはずだ」

シズクは、ゆっくりと顔を上げた。

その瞳には、まだ深い影があった。

それでも、ミナトの言葉が確かにそこに届いたのがわかる。


「…ミナト」

彼女の声は、かすかに揺れていた。


ミナトは、そっと手を伸ばし、彼女の肩に触れた。


「大丈夫だ。俺が、いる」

その言葉に、シズクの目が揺れた。

そして、ようやく彼女は、ほんの少しだけ、微笑んだように見えた。


そのとき、ミナトはふと、何かを思い出したように顔を上げた。


「…ヒヨリ」

その名を口にした瞬間、胸の奥にざらりとした焦りが広がった。


「……そうだ。シズクを探してて、焦って……」

ミナトは自分の額に手を当てて、荒く息を吐いた。


「……ヒヨリ、置いてきちまった……。町に」

目の前のことに必死で、振り返る余裕すらなかった。けれど、ヒヨリはたとえ感情を持たない“存在”であったとしても、彼にとっては確かに大切な仲間だった。


「探しに行く」

そう言って動き出そうとした、そのときだった。


「あ……」

シズクの小さな声に導かれて、ミナトもその視線を辿る。


岩山の下。崩れた斜面の中腹。

陽に照らされた瓦礫の隙間、そこに、白い影が立っていた。


「…ヒヨリ」

長い四肢。滑るような白い肌。

風に揺れるように、そこに立っているその姿。

間違いようがない。ヒヨリだった。


ミナトとシズクを見上げるようにして、ヒヨリは動いた。

ゆっくりと、確かに一歩を踏み出す。

 

そして、シズクの姿を見つけたその瞬間――


「……ズ……ク……」

かすかに。けれど、確かに。


その声は、風にかき消されそうなほど小さかった。

それでも、ミナトの耳に、深く、強く届いた。


ヒヨリの顔が、どこか嬉しそうにほころんでいた。

あの無表情だった異形の顔に、初めて、明確な“感情”が宿っていた。


「…シズ…ク」

ミナトは呆然としながらも、ゆっくりと歩み寄る。

その胸に、得体の知れない感情が広がっていた。

 

シズクも驚いたようにその姿を見つめ、そして、そっと微笑んだ。


「来てくれたんだね…ヒヨリ」

ヒヨリは小さく首を傾げたあと、一歩、こちらに近づいてきた。

その動きもまた、今までよりずっと、人間らしく見えた。


ミナトはヒヨリの姿を見つめながら、ゆっくりと口を開いた。


「……さっきな」

視線はヒヨリに向けたまま、隣に立つシズクに語りかける。


「あいつ…ヒヨリが……人を助けようとしてたんだ。でかい岩が落ちてきて、何人も下敷きになって……」


ミナトの声は震えていた。思い出すたびに、あの混乱の只中で見た光景が、鮮やかによみがえる。


「俺がシズクを探すって決めて走り出そうとしたとき…ヒヨリは、その岩を押してたんだよ。あの細い体で……」

彼は拳を握りしめた。信じられなかった。


「言ってたんだ、ちゃんと。『タスケル』って……言葉になってなかったけど、確かに、そう言ってた」


その記憶は、ミナトの胸に深く刻み込まれていた。


「ヒヨリは、俺が言った言葉を覚えてたんだ。『住民を助けるぞ』って……そのときは、ただ頷いただけに見えたのに…」

ヒヨリは、今もそこにいた。

こちらを見つめ、シズクに向かって、にじむような笑みを浮かべている。

人とも違い、妖異とも違う。けれど、その表情は確かに「誰かを想う」それだった。


「…俺たちだけじゃない。きっと、ヒヨリも…この世界で、生きようとしてる」

静かに、けれど強く、ミナトは言った。


風が、またひとつ、静かに吹き抜けた。

その風の中で、ヒヨリの長い腕が、そっとシズクの方へ伸びる。

ぎこちなく、それでもまっすぐに、触れようとしていた。


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