闇に沈む
※本作はすでに完結済みの長編ファンタジーです。現在、連載形式で投稿中です。物語は最後まで投稿される予定ですので、安心してお楽しみください。
轟音。それは風の音などではない。
峡谷の頂を引き裂くような、岩が引きちぎられ、落下する凄まじい音。
ミナトが反射的に顔を上げた瞬間、頭上の狭い谷の隙間が、まるで何かが"こじ開けた"ように崩れ落ちていた。
そして“それ”は、そこから姿を現した。
黒い。巨大で、どこまでも長く、しなやかな影。
竜か、蛇か、それとも何かもっと、異形なものか。その圧倒的な存在感。
うねる体が、断崖の隙間から空を滑り出し、谷を覆うように伸びてゆく。
「…間違いない、煌だ」
ミナトの足が、無意識に後ずさる。
一度だけ、近くで見た。ヒノモトのあの海で。
あのときの、光を逆流させるような咆哮と、全てを塗り潰す力。
ミナトの体が、強張った。
何かをするより先に、全身の筋肉が勝手に固まる。
指先まで、冷たくなる。肺が、うまく動かない。
頭では動け、と命じているのに、足が地に縫い付けられたように動かなかった。
背中に冷たい汗が伝う。
胸の奥で、心臓が力なく跳ねている。
その恐怖は、あまりにも本能的だった。
あのときと同じ、いや、それ以上の“絶望”が、目の前に現れている。
ミナトはただ、その黒くうねる巨影を、黙って見上げるしかなかった。
人々の悲鳴が谷にこだまする。
峡谷の上では、布陣していた討滅団、煌の到来に備えていた団員たちが、次々と煌に斬りかかっていく。
しかし、岩が崩れ、足場を奪われ、黒い身体が動くたびに、何人もの団員が叫びと共に宙へと舞った。
「いやだあああああ!!」
「誰か、手を!うわああっ!!」
彼らの身体が、雨のように町へと落ちてくる。
地に叩きつけられ、屋根を貫き、壁に激突し、命の音があちこちで潰れる。
それでも、煌は止まらない。
ただ一度、わずかにその身をくねらせただけ。
だがそれだけで、町の頭上の岩がさらに崩れた。
ミナトの目の前で、誰かの身体が音もなく落ちてきて、石畳にぶつかり、動かなくなった。
その姿が、まるで、ただの、壊れた人形のようだった。
「……ッ」
喉の奥で、吐き気が込み上げる。
でも吐いても終わらない。目を閉じても、音も、臭いも、鼓膜に、肌に、焼きついて離れない。
地獄とは、こういうものだと思った。
崩れる空と、落ちてくる命と、終わりのない悲鳴。
全てを呑み込む、黒い竜のような異形。
それが「煌」だった。
ミナトは震える手を握り締めた。
心が押し潰されそうな恐怖のなかで、ただひとつ、思い出した。
「…シズク」
彼女の姿が頭をよぎる。
「探さないと…」
ミナトは地面を蹴った。
何かに取り憑かれたように駆け出そうとした、その瞬間だった。
――ズドン!
凄まじい音と共に、空が落ちてきた。
巨大な岩が町の屋根を突き破り、ミナトのすぐ近くに叩きつけられる。
爆風のような風圧と土煙に煽られ、ミナトの身体が吹き飛ぶ。
耳の奥で何かが弾け、世界がぐらりと揺れた。
目を開けると、土と血の匂いが鼻をついた。
あたりには、無惨に押し潰された家屋と、同じように潰された住民たち。
一人、二人……それでもまだ息のある者がいた。血を流しながらも、必死に助けを求める声が届く。
その姿に、喉の奥がひゅっと冷たくなる。
「…くそ……っ!」
だが――
ミナトの目には、もう別のものしか映っていなかった。
「今はシズクを…!」
そう思い直して走り出そうとした、その時だった。
視界の隅、崩れた家屋の脇。
ヒヨリがいた。
「……!」
彼女は今落ちてきた巨大な岩を押していた。
そこには確かに助けようという意思が宿っているように見えた。
「ヒヨリ……」
ミナトの胸に、何かが刺さるように震えた。
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