ユウキョウ
「おねえちゃん、ゆきしるべ様だったんだね」
コハルの声は、あくまで静かだった。
その幼さを残す声音は、淡く、ただ事実を確認するように響い
「……おかあさんがね、言ってたの」
コハルの声は、変わらず静かだった。けれど、その静けさの中にあるものは、確かに揺れていた。
「しんじゃう前にわたしに話してくれたの」
「ゆきしるべ様にいのちを捧げれば、コウをきっと倒してくれるって……それが最後のきぼうだって」
ミナトも、シズクも、言葉を挟めずにいた。
「コウは…許しちゃいけないとも、言ってた。あんなに優しかったおかあさんが…くるしそうな顔で言ったの。怖かった。でも、ちゃんと覚えてる。おかあさんの声も、涙も、全部」
コハルは、小さく笑った。震えるような笑みだった。
「だから……おねがいします」
その言葉と同時に、少女の腕がわずかに動く。
ナイフの刃先が首元に近づいた。
「コハル!!」
ミナトの叫びと同時に、鈍く湿った音が響いた。
それは肉を裂く音。血が、彼女の服を、そして夕陽の中の世界を濡らしていく。
「やめろ!!」
ミナトが駆け寄る。シズクもすぐに後を追う。
小さな身体はもう地面に崩れ落ちていて、その胸元から赤がじわじわと広がっていた。
「なんでだよ!!なんでこんなことを…!」
ミナトは震える手でコハルの身体を抱き起こす。
シズクもすぐに膝をつき、傷口を抑えようとするが、手の中から命がこぼれていくようだった。
「ゆきしるべ様…」
コハルの瞳がかすかに揺れ、焦点の合わないままシズクを見つめる。
呼吸は浅く、声も掠れていた。
「次は…おかあさんと…おとうさんと……ちゃんとしあわせに…くらせるよね…?」
小さな手が、ミナトの袖を弱々しくつかむ。
その手は、もう冷たくなりはじめていた。
その言葉を最後に、コハルの瞳から光が消えた。
手が、すうっと力を失って地面へと落ちる。
ミナトは何も言えなかった。
ただ、腕の中で冷たくなっていく命を見つめていた。
シズクも、震える手で彼女の髪に触れ、静かに目を閉じた。
彼女の命を守るために、ここまで来た。
それでも、目の前で命を断たれてしまった。
なにもできなかった。それが、ただ重く、二人の胸を押し潰していった。
風が一度止み、まるで時間そのものが凍ったかのように、あたりは静まり返っていた。
ミナトとシズクは、コハルの身体を見つめたまま動けずにいた。
けれど、その沈黙は長くは続かなかった。
コハルの胸元から、ふわりと、霧のようなものが立ち上がった。
「……!」
ミナトが息を呑む。シズクもまた、無言で一歩後ずさった。
それは妖異降ろしで見た光とは異なっていた。
色もなく、形もない、ただ淡くゆらゆらと漂う白い靄。けれど、どこか“意志”のようなものを帯びていた。
「……これは……」
霧は、ゆっくりとコハルの身体の上を離れ、宙に浮かびながら揺らめいた。
まるで空気を探るように、形を定めず、くるくると舞う。
そして――
その霧が、ある瞬間から、少しずつ輪郭を持ちはじめた。
一本の腕のような影が現れ、それに続いて、脚とも尾ともつかぬ細長いしなやかな線が伸びてゆく。
身体の中心には、鼓動のような脈打ちがあり、それがリズムを刻みながら次第に輪郭を支配していく。
「…まさか…妖異か…?」
ミナトの声は風にかき消されそうなほど、かすれていた。
彼の視線の先には、形を得たばかりの存在が、ただ静かに佇んでいた。
しかし、それは“妖異”ではなかった。
確かに異形の姿。長くしなやかな肢体、浮遊するような身体、顔のない輪郭。
だが、その身から溢れる気配は、あの祠で見た妖異たちとは違った。
その存在は悲しげで、どこか切実に、静かにそこに“居る”だけだった
「……違う。妖異じゃない……」
シズクが呟いた。
そして、ふと顔を上げる。その表情には困惑と共に、どこか確信めいた静けさがあった。
「これは……“半妖異”…だと思う」
「半妖異……?」
ミナトがシズクを見る。
「…逝導に、古くから伝わる話のひとつがあるの」
「半妖異……そう呼ばれている存在」
「半妖異…?」
「本来、妖異降ろしは…神聖な祠でしか行ってはいけないとされているの。それは、ただ形式や儀礼のためじゃない。祠には、魂を還すための結界と、古の浄化の力があるから」
ミナトは黙って、霧のような異形を見つめる。
「でも……もしも、その祠から離れた場所で、未来への想いが溢れたまま、自ら命を断ったなら。その魂は正しく還ることができず、この世にしがみついてしまうことがある。そして…その想いが強すぎた時、魂は自らの力で“形”を持ってしまう」
シズクの声は、次第にかすかに震えていた。
「…それが、半妖異。死者の魂が迷い、なおも未来を願い、残された光のような存在。妖異と違って、破壊のためにあるわけじゃない。けれど、完全にヒトでもない。ただ……この世界に、残ってしまったもの」
ミナトは何も言えなかった。
その霧のような存在を見つめながら、胸の奥が軋むのを感じていた。
それはまさしく、今まさに、自分たちの目の前にいる存在。
コハルが、強く願い、そして逝ったことで、生まれてしまった、半妖異。
「……じゃあ、これはコハルなのか?」
ミナトの声は、祈るように震えていた。
けれど、シズクは首を横に振った。
「……違う。コハルじゃないよ…」
彼女の瞳には、はっきりとした確信と、そして深い悲しみがあった。
「これは……コハルの想いが、形になっただけ。あの子の記憶も、意識も、もうない。コハルは、もう…死んだんだよ」
ミナトは、目の前の半妖異を見つめた。
それはたしかに、コハルの面影をどこか微かに残しているようにも見えた。
けれど、そこに彼女の声も、気配すらもなかった。
「じゃあ……これは……」
「これは“半妖異”。もう、別の存在なの。コハルのように見えても、コハルじゃない。ただあの子が未来を願った証」
沈黙が落ちた。
夕焼けの残光に包まれたその異形は、ただ静かに霧のような羽衣を揺らしていた。
その姿には、怒りも哀しみもない。ただ残された祈りのような静けさがあった。
※本作はすでに完結済みの長編ファンタジーです。現在、連載形式で投稿中です。物語は最後まで投稿される予定ですので、安心してお楽しみください。




