二体目
陽が西に傾き、町の喧騒が徐々に遠ざかる中、ミナトとシズクは町の外れにある小道を歩いていた。
風が穏やかに吹き抜け、金色の光が道の先を柔らかく照らしている。
やがて、古びた石段が現れ、その先に静かに佇む祠が姿を現した。
祠は小道の脇で石畳に囲まれて建てられていた。
静寂に包まれ、町とはまるで別世界のようだった。祠は、長い時を経たような風格があり、石畳の上には何人かの人々がひざまずき、目を閉じて祈りを捧げていた。
「…いないな、コハル。ここにも」
ミナトは周囲を見回しながら、声を潜めて言った。
「…そうみたいだね」
シズクも同じく周囲を確かめながら、小さく答えた。
そのとき、祠の前で祈っていた人々のうち数人が、そっと顔を上げ、ふたりに気づいた様子を見せた。そして、目を見開くと、静かに立ち上がり、シズクの方へと歩み寄ってくる。
「…逝導様。長い間、お待ちしておりました」
年配の女性が深く頭を下げながらそう言った。ほかの者たちも次々にひざまずき、敬意を示す。
シズクはその言葉を静かに受け止め、小さく頭を下げた。
「…ご苦労様でした。では…始めます…妖異降ろしの儀を」
その言葉が祠の空気を震わせたかのように、祈っていた人々の表情が引き締まる。
風が一瞬止まり、木々が沈黙する。
ミナトはシズクの横顔を見つめ、ただ黙ってその横に立っていた。
シズクが静かに一歩、祠の前へと進み出た。
その足取りは決意に満ちており、背筋はぴんと伸びていた。
その瞬間だった。
祠の前で膝をついて祈っていた人々が、まるで合図を受けたかのように同時に立ち上がる。
誰一人、言葉を発さず。ただ、静かに、懐から小さな儀式用の短刀を取り出す。
ミナトの目が見開かれた。
「…っ」
迷いのない動きだった。
一人目の男が、自らの喉元に刃を当て、斜めに引く。
血が溢れ、音もなく倒れる。
続いて、若い女が同じように、自らの命を絶つ。
老人も、若者もそこに迷いはなかった。
ミナトは咄嗟に動きそうになる足を、自らの意志で止めた。
拳を固く握り、歯を食いしばる。
「…っ、くそ……!」
これが妖異降ろし。彼らは煌の浄化のために、必要な犠牲。
その意味を、ミナトは頭では理解していた。理解していたはずだった。
けれど、目の前で命が次々と絶たれていく様は、まるで自分の魂を削られているかのようだった。
祠の前に立つシズクは、微動だにせず、それをすべて見届けていた。
まっすぐに正面を見据え、瞳に一点の曇りもなかった。
やがて、最後の一人が倒れ、祠の前は、血と沈黙に染まった。
風が止まり、空気が重く沈む。
その中で、シズクが小さく、しかしはっきりとした声で言った。
「……現れよ」
その瞬間、シズクが手に持っていた導珠の輝きが一瞬だけ強く、陽に照らされた黄金のように輝き、やがて穏やかな光となった。
彼女はその光を見つめながら、ゆっくりと両手を広げ、深い祈りのように目を閉じた。
祠の周りの空気が震え、風が強く吹き始める。
倒れた人々の身体から淡い光が溢れ出し、やがて一つに集まるように空間を駆け抜ける。そして一つになった光から、揺らぐように赤い光が現れた。
夕陽が、ちょうど地平に触れようとしていた。
木々の間から差し込んだその金紅の光が、まるで炎のようにゆらめきながら祠を照らす。
まず見えたのは、赤い瞳だった。
燃えるような夕陽の輝きに照らされ、その瞳はまるで業火のように爛々と輝く。
知性とも狂気ともつかぬ光が、その瞳の奥に潜んでいた。
続いて、姿全体があらわになる。
その身体は白く、まるで濃密な霧をそのまま形にしたかのよう。
不自然に伸びた四肢が地を滑りながら進む。身体の輪郭は常に揺らめき、見る者の焦点を惑わせる。
ミナトはただその姿を、赤い瞳を、凝視することしかできなかった。
「…降りよ」
シズクの声はかすかだったが、夕陽に染まった空気の中に、はっきりとした余韻を残した。
手にした導珠を胸元に近づけ、そっと両の掌で包み込む。導珠は静かに、だが確かに赤い光を帯びはじめ、その光はまるで心音のように脈打ち、次第に強さを増していった。
周囲の空気が凍るように静まり返る中、赤い瞳が導珠の光を映した。
妖異は、自らの帰るべき場所を悟ったかのように、長い腕をゆっくりと伸ばす。
その動きはまるで祈るようで、しかし一点の迷いもなかった。
そして次の瞬間、導珠の光がふわりと広がった。
赤い瞳を中心に、霧のような白い身体が光に包まれていく。
不規則に揺れる長い四肢。衣にも羽にも見える霧のような外套。
すべてが淡い光に染まり、静かに沈んでいった。
ミナトは唇を噛み、拳を握ったままその光景を見つめていた。
祈るように。耐えるように。
妖異は、その身を霧のようにほどき、ひとひらの煙のように空へと揺らぎながら、赤い光となって導珠へと吸い込まれていった。
やがて、すべての光が導珠に集まり、一度だけきらりと光を放つ。
それは、どこか寂しげな終わりの合図のようだった。
その瞬間。
"ゴォォーン"
ユウキョウの町の中心にある大鐘が低く、深く、空気を震わせるように鳴った。
夕暮れの合図を告げるその音は、ゆるやかに辺りを満たし、まるで世界の端にまで届くかのように広がっていく。
橙に染まった空。金色に照らされた家々。
そのすべてが、鐘の音に応えるように、柔らかな静寂を抱きしめていた。
祠の中にも、音の波紋がゆっくりと届く。
それはまるで、誰かの魂を送り出すための鎮魂の調べのようだった。
導珠の銀の鎖が小さく鳴り、再び訪れた静寂が、空気に溶け込んでいった。
二体目の妖異は降りた。
そして、それは確かに、誰かの命と想いによって成されたものだった。
シズクはゆっくりと導珠を胸元に戻すと、ふらりと小さく体を揺らした。
足元がふらつくのを感じたミナトがすぐに支えに入る。
「…おい、大丈夫か」
「…ごめん大丈夫」
シズクはかすかに微笑みながら答えた。
けれどその顔は蒼白で、導珠の力を使い、妖異を降ろすという行為が、どれほどの負担を彼女に強いるかを、ミナトは痛いほど理解できた。
それでも彼女は、まっすぐに祠の前に並ぶ亡骸たちへと歩み寄る。
すでにその顔からは血の気が引いていたが、ひざを折り、静かに、深く、地に額がつくほどに頭を下げた。
「…あなたたちの命と、想い。たしかに受け取りました。ありがとう…本当に、ありがとう…」
その声は風に消え入りそうに小さかったが、どこまでも澄んでいた。
しばしの沈黙ののち、ミナトはそっとシズクの肩に手を置いた。
「…一旦戻ろう。町へ」
シズクは小さく頷き、二人はゆっくりと祠を後にする。
金色の光が揺れる山道を、足取りは重く、けれど確かな一歩で。
山道を、二人はゆっくりと歩いていた。
傾いた夕陽が、木々の隙間から金色の光を落とし、足元をやさしく染めている。
シズクの肩を支えるミナトの視線が、ふと前方に吸い寄せられた。
「…あれは……」
逆光の中、ひとりの少女が立っていた。
夕陽がちょうど背後から差し込み、少女の輪郭だけが眩しい光に縁取られている。
その細い肩も、風に揺れる髪も、まるで光の中に溶け込んでいくようだった。
ミナトは足を止める。
「……コハル…?」
あの佇まい。幼い輪郭。
間違いない。あれは、あの少女、コハルだった。
だが次の瞬間、ミナトは目を見開く。
少女の手元、逆光の中にかすかにきらめくものがあった。
小さなナイフ。
その刃先が、わずかに夕陽を弾き、光る。
「おねえちゃん、ゆきしるべ様だったんだね」
声は、あくまで静かだった。
その幼さを残す声音は、淡く、ただ事実を確認するように響いていた。
※本作はすでに完結済みの長編ファンタジーです。現在、連載形式で投稿中です。物語は最後まで投稿される予定ですので、安心してお楽しみください。
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