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陽の下、揺ぐ  作者: カナメ
五章 木陽
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コハル

 

 集落の門が見えたとき、すでに空は西に傾きかけていた。太陽の光が木々の葉を透かし、集落の屋根を柔らかく金色に染めていた。こぢんまりとしたその村は、田畑と土壁の家々が並ぶ、素朴で静かな場所だった。


門の前に立つと、中から数人の村人たちがこちらに気づいて顔を上げた。シズクの姿を見るや、驚いたように駆け寄ってくる。


「…逝導様?」

その声に、他の者たちも足を止める。年配の女性が目を見開いて、手を合わせるように小さく頭を下げた。


「なんと、こんなところに……まさか、煌が?」


「いいえ、違います。少し休ませていただきたいの」

シズクはミナトの腕に抱かれた少女を見せ、穏やかな声で説明した。


「道中で倒れていたんです。怪我をしています。近くに医師の方がいれば、診てもらえませんか?」

その言葉に村人たちは頷き合い、すぐに案内を始めた。


「こっちです。診療舎はすぐそこにあります」

診療舎と呼ばれる木造の建物に入ると、中は薬草の香りと清潔な空気に包まれていた。ミナトはそっと少女を寝台に降ろし、村の医師が丁寧に診察を始めた。白髪混じりの、痩せた中年の男性だった。


「…この子、ひとりでずいぶん長く歩いたようだ。足の腫れ具合からして、数日以上はまともに寝てもいないだろう。身体もやせ細ってる。ろくに食べてもいないんだろうな」

ミナトが眉をひそめて答える。

 

「でも、どうして…?」

医師はしばらく黙ったまま、傷口に布を当てながら言葉を続けた。


「…珍しいことじゃありません。近頃はこういう子が本当に多い。親も、故郷も、何もかもを煌に奪われ…それでも生き延びた子たちです。誰も助けてくれない中、ひとりでアテもなく歩いてきたのでしょう…」


シズクは医者の言葉に静かに頷き、少女の手をそっと握った。

ミナトもその小さな手に目を落とし、口を引き結んだ。


外では、陽が少しずつ傾きはじめていた。コガネ街道が、その名の通り、夕陽に照らされて黄金に染まる刻が近づいていた。


その時、微かに少女の指が動いた。

同時に少女のまぶたが、ゆっくりと開かれる。焦点の合わない瞳が天井を彷徨い、それからそばに座っていたシズクの顔に目が留まった。


「…おかあ…さん……?」

かすれた声だった。まるで夢の続きをなぞるような、壊れやすい声。


シズクは一瞬だけ目を見開いたが、すぐに優しい声で答えた。


「ううん、私は違うよ。でも、もう大丈夫。あなたは、もう安全な場所にいるから」

少女の瞳に、すっと涙が浮かんだ。けれどその涙は零れることなく、頬の上でただ光っていた。


「ここは……どこ……?」

「コガネ街道の近くの集落よ。あなた、遠くから歩いてきたみたい。たくさん、がんばったね」

少女はうなずきかけ、ふと表情を歪めた。足の痛みが戻ってきたのだろう。シズクがそっと手を握ると、少女はその手に小さく指を重ねた。


「…なんで助けてくれたの…?」

その問いに、シズクは一瞬だけ言葉を探して、それから小さく笑って答えた。


「あなたが、生きようとしていたから。理由はそれで、十分よ」

少女の表情が少しだけ緩んだように見えた。それはまるで、やっと呼吸を思い出したかのようだった。


そのやり取りを、ミナトは部屋の片隅から黙って見つめていた。

やさしく話しかけるシズクと、弱った声で答える少女。その光景が、ふと、遠い記憶を呼び起こす。


──小さな部屋。障子越しの光。母の膝に寄りかかりながら、どうでもいい話をしていた。


「ねぇ、ミナト、今日は何を見たの?」

「えーとね、カニ。石の下に、ちっちゃいの」


「カニかぁ、捕まれた?」

「ううん、にげられた」

その会話に割り込んできた、陽気な父の声。


「なんだ、カニも捕まえられねえのか」

「だってはやいんだもん」

 

「ったく、なさけねえなあ」

母の笑い声が、畳にふんわりと響いた。


「もう、カナギリ。そういう言い方しないの」

「いやいや、だってよ? せっかく男に生まれたんだ、カニくらい…」


「カニくらい、なんなの?」

母の声が少しだけ強くなった。けれど怒っているのではなくて、ただ、ミナトを守るような、そんな調子だった。


「…まあ、次は捕まえられるよな。な、ミナト」

「うん。今度はバケツ持ってく」

そのときの自分の声は、今よりもずっと幼くて頼りなかったけれど、なんだか嬉しそうだったことを覚えている。


母の手が、そっと頭を撫でた。あのぬくもりは、たぶん一生忘れない。

そういえば、あの日の夜、父は不器用にバケツに名前を書いてくれていた。黒い墨で「ミナト用」って、大きく。ちょっとにじんでて、でもそれを見た母はやさしく笑っていた。


「……懐かしいな」

ミナトは、ふと漏れた自分の声に気づいて、口をつぐんだ。


「…ミナト?」

シズクの声に我に返り、ミナトは少し遅れて頷いた。


「…なんでもない」

ミナトは静かに答えた。シズクはそれ以上は何も言わず、目線を少女へと戻した。


布団に包まれた少女は、まだ半分夢の中のような、ぼんやりとした瞳で二人を見ていた。ミナトは少し腰を下ろし、優しい声で問いかける。


「君の名前、教えてくれるか?」

少女は少しだけまばたきをして、それから小さく口を開いた。


「…コハル」

まだ幼さの残る声だった。か細いけれど、はっきりした音。


「コハルか。かわいい名前だな」

「…うん、おかあさんがつけてくれたの」

コハルは、そう言って少しだけ目を伏せた。

その仕草に胸が締めつけられる。


「どうして、こんなところまで来たんだ?」

ミナトがそう尋ねると、コハルはゆっくりと顔を上げた。瞳の奥に、言葉にしきれない感情が浮かんでいる。


「…村に大きいひかりがきて……全部、なくなったの。おうちも、おとうさんもおかあさんも……」

途切れ途切れの言葉。でもそれは、確かに現実にあった痛みを語っていた。


「だから……いくとこなくなって。歩いてた。どこかに、だれかいるかもって…」

その声は小さく、どこか遠くへ消えてしまいそうだった。だが、最後にコハルはほんの少しだけ眉を寄せ、ぽつりとつけ加えた。


「……あのひかりのこと、しってるよ。みんな、“コウ”って言ってた…」

シズクが目を細めてコハルの顔を見る。

ミナトも、静かに息を吐いた。


「煌か」

その名前は、この世界にとってあまりに重く、あまりに大きい。


コハルは、それきり言葉を失い、再び布団の中に身を沈めた。

シズクは、そっとその額に手を当てる。温度は、落ち着いてきているようだった。


「大丈夫、もう少しここで休んで。今日はゆっくり眠れるから」

小さく頷いたような気配のあと、コハルの呼吸が静かに整っていった。ミナトとシズクはそれを確認してから、音を立てないようにして部屋を出た。


外に出ると、風がやわらかく頬を撫でた。

夕暮れが迫るコガネ街道沿いの景色は、噂どおり、まるで周囲の景色は黄金に染まっていた。

金色の葉が風に揺れ、先に広がる丘陵が、陽光を受けてゆっくりと燃えるように輝いている。


ミナトは立ち止まり、しばらく言葉もなくその光景を見つめた。

心のどこかが、きゅうっと締めつけられる。けれどそれは、痛みではなかった。


「…綺麗だな」

小さく呟いた。


「そうだね」

隣でシズクも答える。

 

「コガネ街道を通る人はみんな、夕方になると足を止めて、空を見上げるんだって」

ミナトは目を細め、ゆっくりと空を見上げた。

どこまでも澄んだ空に、陽が溶けていく。


「…シズク」

「ん?」


「…俺にも、何かできること、あるのかな」

その声は小さく、それでも真っ直ぐだった。

景色の美しさが胸に刺さるほどに、人の痛みと重なって感じられた。

ただ眺めているだけではいけないような気がしていた。


シズクはその横顔を、何も言わず見つめていた。


しばしの沈黙が流れたあと、シズクがふっと微笑み、穏やかに口を開いた。


「今日は……この集落に泊めてもらおう」

ミナトが顔を向けると、シズクはすでに医者の家のほうへ歩き出していた。


「私、先生に聞いてくる。少しだけ待ってて」

ミナトは頷き、夕陽が作り出した金色の景色の中に立ち尽くしていた。

風の音、どこか遠くで聞こえる犬の鳴き声、家々の戸を閉める音が、夕暮れの静けさに溶けていた。


 

しばらくして戻ってきたシズクは、小さく頷いた。


「部屋をひとつ貸してくれるって。ご飯も、あとで少しなら出してもらえるみたい」

「そっか、助かるな」

ミナトは肩の力を抜き、静かに息を吐いた。


「コハルも、今日は安静にできるはず。体だけじゃなくて、心も」

「そうだな」

夕陽が、二人の影を長く引き伸ばしていた。


※本作はすでに完結済みの長編ファンタジーです。現在、連載形式で投稿中です。物語は最後まで投稿される予定ですので、安心してお楽しみください。

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