入学説明会
月代村を出てから、数か月。冬の寒さも和らぎ、桜の蕾が膨らみ始めている。
東京で勉強を重ね、念願だった高校への進学も決まった。四月からはいよいよ、憧れていた学校生活が始まる。
その入学説明会に参加するため、十五歳の蓮司は沙耶とともに都内の私立朝凪学園を訪れていた。
「ここが……」
正門を見上げて呟くと、隣から沙耶の声がした。
「何その反応。試験のときにも来たじゃん」
「そのときは試験のことで頭がいっぱいだったんだよ」
「まあ、それはそうか」
朝凪学園は、中等部と高等部を併設した私立の中高一貫校だ。正門の向こうには明るいベージュ色の校舎が並び、二つの棟を渡り廊下がつないでいる。
試験の日にも見た景色だ。それなのに、今日はどこか違って見える。
四月からは、ここへ通う。
教室で授業を受け、昼休みには友達と飯を食い、放課後は部活動を見学したり、どこかに寄り道したりできる。これまでは本や人づてにしか知らなかった日常が、もう手の届くところにあった。
「行かないの?」
「行くよ」
「じゃ、こっち」
沙耶が先に歩き出す。制服の上に羽織った薄手のコートの裾が、春先の風に揺れた。
彼女も十五歳になり、中等部からそのまま高等部へ進む。三年間この学校に通ってきただけあって、校内の勝手もよく知っていた。
「説明会は体育館だけど、先に受付しなきゃね」
「詳しいな」
「三年通ってるからね」
「便利だ」
「私を校内案内図みたいに言わないでくれる?」
「でも頼りにはしてる」
「……ならよし」
沙耶は満足そうに頷いた。
この数か月で、二人はすっかり打ち解けていた。蓮司の住む部屋と高橋家は近く、沙耶が顔を出すことも珍しくない。電車の乗り方から服の選び方まで、外の生活で分からないことがあるたびに世話になっていた。
校舎の脇を通ると、グラウンドが見えた。部活動をしているらしい生徒たちが、元気に走り回っている。
そのとき、背後から声がかかった。
「あ、沙耶じゃん」
振り向くと、濃紺のブレザーに淡い水色のリボンを合わせた女子生徒が立っていた。
「おはよー」
「おはよ」
沙耶の友人らしい。女子生徒は蓮司を見て、一度視線を逸らしたかと思うと、またこちらへ目を向けた。
「そっちの人、高等部から入る感じ?」
「うん。四月から一緒」
「へえ」
女子生徒の視線が、まだ蓮司へ向けられている。
「……何か?」
「いや、別に! じゃあ沙耶、あとでね」
「うん、あとで」
彼女が去ったあとも、何人かの女子生徒から似たような視線を向けられた。
「俺、何か変か?」
「変って?」
「さっきから見られてる」
「ああ。顔でしょ。あとスタイル」
「顔?」
「背も高いし、細いけどちゃんと筋肉ついてるし。顔も整ってるし」
「普通じゃないのか?」
「その普通、どこ基準?」
蓮司は答えに詰まった。
月代村では、ほかの男と顔を合わせる機会すら滅多になかった。村を出てからも、他人と自分の容姿を比べたことなどない。
「入学したら、たぶん結構見られるよ」
「そういうもんなのか」
「そういうもん」
沙耶は蓮司の顔をしばらく眺めたあと、小さく呟いた。
「やっぱ切るか」
「何を?」
「こっちの話」
それ以上は教えてくれなかった。
◇
説明会が終わる頃には、昼時を少し過ぎていた。
学校生活や校則、年間行事について話を聞き、教材や部活動の資料も受け取った。蓮司は手元の資料を何度もめくっていたが、全部に目を通すには時間が足りそうもない。
体育館を出たところで、沙耶が大きく伸びをした。
「あー、お腹空いた」
「どこかで食べて帰るか?」
「うーん……じゃあ、学食行こっか」
「今日、休みじゃないのか?」
「説明会あるから開いてるよ。いつもよりメニュー少ないけど」
「開いてるなら行ってみたい」
「オッケー」
沙耶について校舎を歩く。廊下には図書室や職員室への案内表示があり、蓮司は通りかかるたびに目を向けた。
「そんな珍しい?」
「ああ。図書室も見てみたいな」
「いいよ。そのうち案内してあげる」
「頼む」
食堂は体育館から少し歩いた先にあった。
説明会を終えた新入生や保護者で、席はそこそこ埋まっている。壁際には食券機が並び、定食や丼物、麺類の写真が掲示されていた。
「……多いな」
「これでも少ない方だよ」
蓮司は食券機の前でしばらく迷い、唐揚げ定食を選んだ。沙耶は迷うことなくオムライスの食券を買う。
「それ、よく食べるのか?」
「学食だと結構好き」
「じゃあ次はそれにする」
「もう次決めてるし」
二人で料理を受け取り、空いていた席についた。
蓮司はさっそく唐揚げを口へ運ぶ。揚げたてらしく、まだ熱い。
「うまい!」
「よかったね」
向かいでは沙耶がオムライスを食べている。蓮司はふと、その皿へ目をやった。
(あっちもうまそうだな)
「やだ」
「まだ何も言ってないだろ」
「顔で分かる」
沙耶は皿を少し自分の方へ寄せた。
蓮司は諦めて唐揚げに戻る。
食堂を見回すと、保護者の姿も多い。四月になれば、ここは制服姿の生徒たちで賑わうのだろう。
友達と一緒に昼食をとり、くだらない話で笑い合う。そんな毎日を想像するだけで、楽しくなってくる。
「学食、気に入った?」
「ああ。四月からまた来られるんだろ?」
「来られるよ」
「じゃあ楽しみだな」
沙耶が笑った。
食事を終えて食堂を出ると、廊下の掲示板に色とりどりの紙が並んでいた。
「これ何だ?」
「部活紹介。説明会に合わせて貼ってるんじゃない?」
野球部、サッカー部、陸上部、吹奏楽部、写真部。ほかにも、聞いたことのない部活や同好会まである。
「こんなにあるのか」
「説明会でも一覧もらったでしょ」
「名前だけじゃ分からないだろ」
蓮司は掲示板の端から、一枚ずつ目で追った。活動内容や練習日が書いてあるものもあれば、写真を大きく載せたものもある。
「入りたいのある?」
「まだ分からない。見学はしたい」
「どれ?」
「できるだけ全部」
「いやいや、さすがにそれは無理でしょ」
「なんで?」
「見てるうちに仮入部期間終わるよ」
「じゃあ急いで回ればいい」
「そういう問題じゃないって」
沙耶が笑った。
確かに、全部を見て回るのは難しいかもしれない。それでも、どれを見に行くか考えるだけで楽しかった。
◇
帰りの電車でも、蓮司は説明会でもらった資料を開いていた。
「まだ見てんの?」
「どこから見学するか考えてた」
「さっき全部って言ってなかった?」
「全部は無理なんだろ? だったら気になるところから回ろうと思って」
「そっか。何か気になる部活あった?」
「まだ迷ってる」
「ほんと興味津々だね」
沙耶が楽しそうに笑った。
「そんなに学校楽しみ?」
「ああ」
蓮司は資料から顔を上げた。
「学校に通うの、初めてだからな」
「……そっか」
沙耶は小さく頷いた。それ以上、何かを尋ねてくることはなかった。
こういうとき、沙耶は蓮司の過去をわざわざ持ち出さない。
一緒にいて気が楽なのは、きっとそのせいだ。




