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甘い夢の、その先へ

本話で四人の転校生編は終わりです。

「ただ、その前に。私のお願いも、もう一度考えていただけませんか?」


「……黄桃(おうとう)さん。先ほども申し上げましたが、蓮司(れんじ)君の結婚相手は、本人が決めることです。私があなたとの結婚を後押しするわけにはいきません。もちろん、沙耶(さや)の将来も本人が決めることです」


「はい。そのことは分かりました」


 秋穂(あきほ)は素直に頷いた。


「ですので、お願いを少し変えてもよろしいでしょうか?」


「……聞くだけなら」


「法律を変えるための活動に、啓介(けいすけ)さんも協力していただけませんか?」


「法改正への協力、ですか」


「はい。お仕事とは関係なく、一人の人間として」


 啓介は即答できなかった。


 法律を変えればいい。


 先ほど秋穂が口にした言葉が、頭の中によみがえる。


 常識外れの提案だった。しかも、彼女は莫大な財力と人脈を背景に、それを実現しようとしている。


 到底、簡単に賛同できる話ではない。


 それなのに、啓介の脳裏に浮かんだのは、娘の顔だった。


 ――沙耶。


 いつの間にか明るい茶髪に青いメッシュを入れ、ギャル風の格好をするようになった。


 初めは少し驚いたものだが、本人が楽しんでいるのなら、それでいいと思っていた。


 ただ、父親だからこそ知っていることもある。


 沙耶は明るく、気が強そうに振る舞っているが、本当は繊細で傷つきやすい。


 むしろ、そんな自分を隠すために、あの格好を選んでいるのではないか。


 啓介には、そう思えることがあった。


 蓮司に好意を寄せていることも、気づいている。


 しかし、蓮司が沙耶を選ぶ保証はない。


 もし失恋したら、あの子はどうなってしまうのだろう。


 強がって笑いながら、一人で傷つくのではないか。


 それならば――。


 正妻になれなくても、蓮司のそばにいられる道を残しておくべきではないか。


「…………」


 啓介は自分の考えに愕然とした。


 ここへ来る途中の車内でも、蓮司と沙耶が将来家庭を築けば、政府の保護を強化できるのではないかと考えてしまった。


 あのときは、すぐに自分を戒めた。


 本人たちの将来を、大人の都合で決めてはいけない。


 そう考えたはずだった。


 だが、今はどうだ。


 娘が失恋するかもしれないという、ただの不安を理由に、複数婚を認める制度を望み始めている。


 そもそも、沙耶自身がそんな結婚を望んでいるかどうかさえ分からないというのに。


「……啓介さん?」


 秋穂の声に、啓介は顔を上げた。


「失礼しました。少し考え事をしていました」


「ふふっ。難しいお願いですものね」


「ええ。私一人の力で法律を変えられるわけではありませんし、表立って活動するのも難しいでしょう」


「それは承知しています」


 秋穂は真剣な表情で頷いた。


 啓介は少し迷ってから、言葉を続けた。


「それでもよろしいのであれば……個人として、可能な範囲で協力しましょう」


「本当ですか?」


 秋穂の顔が、ぱっと明るくなった。


「ええ。ただし、法改正を実現できる保証はありません。それに、蓮司君や沙耶の意思を無視するようなことには協力できませんよ」


「もちろんです! ありがとうございます、啓介さん!」


 秋穂は嬉しそうに両手を合わせた。


 啓介も穏やかに微笑み返す。


 公務とは切り離す。


 そう決めたはずなのに、長年の仕事で築いた人脈や、政府が持つ情報をどう活用できるか、考えている自分がいた。


 もちろん、迂闊なことはできない。


 それでも啓介の頭の中では、すでに法改正に向けたロードマップが組み立てられつつあった。


「それでは、約束どおり教えていただけますか?」


「はい。村への出入りのことですね」


 秋穂は少し声を落とした。


「実は、月代(つきしろ)村には地下通路があるんです」


「……地下通路?」


「はい。それも一つではありません。村の外へ通じる道が、いくつもあるんですよ」


 啓介は思わず身を乗り出した。


「人が通れるほどの大きさなのですか?」


「もちろんです。そうでなければ、使えませんから」


「……なるほど」


 啓介は額に手を当てた。


 地下に別の出入口があるのなら、これまで道路を監視していても、村人の移動を把握しきれなかった理由が分かる。


「その通路は、誰が知っているのですか?」


「村の女性たちです。蓮司様……村の男性たちはご存じありません」


「……そうですか」


 ならば、蓮司君や宗一(そういち)さんが知らなかったのも無理はない。


「正確な場所も教えていただけますか?」


「ごめんなさい。それはまだ秘密です」


 秋穂は申し訳なさそうに微笑んだ。


「でも、これで胡春(こはる)ちゃんが村へ戻れた理由はお分かりいただけましたよね?」


「はい……村へ戻れた理由は分かりました。しかし、出入口の場所が分からなければ、こちらも対応のしようがありませんね」


「そうですね。でも、道路に配置されている方たちは、引き揚げさせてもいいのではありませんか?」


「……何ですって?」


「車の出入りだけなら、カメラで確認できますよね。地下の道を使われたら分からないのに、ずっと見張っているのは大変だと思うんです」


 もっともらしい提案だった。


 しかし、それを実行すれば、村への警戒を緩めることにもなる。


「配置の判断には、ほかの担当者との調整も必要です」


「そうなんですね。お疲れ様です」


 秋穂は素直に労いの言葉を返した。


 啓介は彼女を見つめる。


 この少女は、どこまで考えているのだろう。


 単に人員の負担を心配しているのか。それとも、道路の警戒を薄くすることに何か目的があるのか。


 どちらとも判断できなかった。


 秋穂は残っていたコンポートを口に運んだ。啓介もスプーンを手に取る。


 しばらくして、啓介は別の話題を切り出した。


「……もう一つ、確認させてください」


「はい。何でしょう?」


「水無瀬(みなせ)美冬(みふゆ)さんのことです」


「美冬ちゃんが、どうかしたんですか?」


 秋穂は不思議そうに首を傾けた。


「今日、神社で蓮司君の指を噛み、出血させました」


「……えっ?」


 秋穂の笑顔が消えた。


「美冬ちゃんが、蓮司様の指を……?」


「ええ。傷はすぐに塞がったようですが、だからといって見過ごせる行為ではありません」


「そんな……」


 秋穂は口元に手を当て、しばらく黙り込んだ。


「……申し訳ありません。私も初めて聞きました」


「あなたが謝る必要はありません。ただ、今後の対応については検討しています」


 秋穂はしばらく考え込んでいたが、やがて顔を上げた。


「……啓介さん。でしたら、美冬ちゃんを下手に処分したり、村へ送り返したりするのは、やめた方がいいと思います」


「なぜですか?」


「代わりに、もっと大変な子が来てしまうかもしれませんから」


 啓介の表情が強張った。


「……もっと大変な子?」


「はい。美冬ちゃんは、普段は本当に物静かで、いい子なんですよ。たまに思い切ったことをしてしまいますけど」


 指を噛んで出血させる行為を、思い切ったことで片づけられても困る。


 しかし秋穂は、本気でそう考えているようだった。


 啓介は少し考えてから、尋ねた。


「黄桃さん。少し踏み込んだことをお聞きします」


「はい」


「こちらが把握している月代村出身の同世代の女性は、あなた方四人だけです。しかし、今のお話ですと、ほかにもいるということですね?」


「はい。いますよ」


 あっさりとした返事だった。


「……何人ですか?」


「四人です」


 啓介は言葉を失った。


「長老衆のお孫さんたちです。四つのお家に、一人ずついるんですよ」


「……その四人について、詳しく教えていただけますか?」


「ごめんなさい。今は、それ以上のことはお話しできません。長老衆の家々は、あまり刺激したくないので」


 秋穂は小さく頭を下げた。


「でも、できれば東京には来てほしくないですね」


「それほど危険なのですか?」


「そうですね……すごく強引な子たちですから」


 秋穂はそこで、いたずらっぽく微笑んだ。


「実は私たち四人、穏健派なんですよ?」


「…………」


 啓介には、まったく笑えなかった。


 美冬は蓮司の指を噛んだ。


 胡春は村への帰還を当然のように求めている。


 そして、目の前の秋穂は法律まで変えようとしている。


 それで穏健派だというのなら、強硬派はいったい何をするというのか。


 啓介は眼鏡を外し、目元を押さえた。


 頭が痛くなってきた。


 政府の内部には、村へ情報を流している者がいる。


 一方、月代村でも、秋穂は長老衆を警戒し、独自の思惑で動いている。


 政府も村も、一枚岩ではないということか。


 啓介は小さく息を吐いた。


 蓮司を巡る問題は、思っていた以上に複雑らしい。


「……分かりました」


 啓介は眼鏡をかけ直した。


「少なくとも、今すぐ美冬さんを村へ送り返すような対応は避けた方がよさそうですね」


「ありがとうございます」


「ただし、今回の件を不問にするわけではありませんよ」


「はい。私からも、美冬ちゃんには気をつけるようお話ししておきますね」


 秋穂は微笑んだ。


 啓介も頷いた。


 政府の担当者として適切な判断なのか、自信はない。


 それでも、美冬を村へ送り返した結果、さらに危険な少女が現れるのなら、当面は今の状態を維持する方が安全だろう。


 そう考えると、強硬な対応を見送ることへの迷いも薄れていった。


 話が一段落した頃には、デザートの皿はほとんど空になっていた。


 啓介はスタッフに会計を頼み、約束どおり自分で代金を支払った。


 金額を見て少しばかり驚いたものの、顔には出さない。


 レストランを出ると、秋穂が丁寧に頭を下げた。


「今日はありがとうございました。とても楽しかったです」


「こちらこそ、貴重なお話をありがとうございました」


「あ、そうでした。啓介さんに、これをお渡ししておきますね」


 秋穂は小さなカードを差し出した。


「こちらは、連絡用のメッセージアプリのご案内です。黄桃家の関係者が独自に開発したもので、このコードから専用のダウンロードページに進めるんですよ。もちろん、秘匿性もバッチリです」


「……専用のアプリですか?」


「はい。一般には公開していないんです。これなら、今後も直接やり取りできますから」


 啓介はカードを受け取った。


 独自開発のメッセージアプリ。


 通常なら、安全性を確認せずに利用するなど考えられない。


 だが、彼女と秘密裏に連絡を取る手段は必要だった。


「分かりました。あとで確認しておきます」


「はい。ご連絡、お待ちしていますね」


「ところで、黄桃さん。お帰りはどうされますか? 車でお送りしましょうか」


「お気遣いありがとうございます。でも、大丈夫ですよ」


「迎えの車があるのですか?」


「いいえ。エレベーターで上がるだけですから」


「……上がる?」


「はい。私、最上階のVIPルームをお借りしているんです」


 啓介は思わず苦笑した。


「……それはまた、随分と豪華ですね」


「ふふっ。実はこのホテル、黄桃家の関連会社が運営しているんですよ」


「……そうだったのですか」


 啓介は改めて秋穂を見つめた。


 先ほど聞いた黄桃家の財力を考えれば、驚くことではないのかもしれない。


 それでも、目の前の少女の金銭感覚には、まだ慣れそうになかった。


「それでは、啓介さん」


 秋穂が右手を差し出した。


「これから、よろしくお願いいたします」


 啓介は差し出された小さな手を見つめた。


 なぜか、手のひらに汗をかいていた。


 さりげなくハンカチで拭ってから、その手を握り返す。


「……ええ。こちらこそ、よろしくお願いします」


 秋穂は嬉しそうに微笑んだ。


 握手を終えると、秋穂はもう一度頭を下げ、上階へ向かうエレベーターに乗り込んだ。


 啓介は扉が閉まるまで見送り、別の下りエレベーターに乗った。


 扉が閉まる。


 途端に、啓介の口元が緩んだ。


「……ふっ、ふふっ……ははははっ!」


 誰もいないエレベーターの中で、啓介は肩を揺らして笑った。


 自分でも驚くほど、大きな笑い声だった。


 自分はいつから、こんな考え方をするようになったのだろう。


 蓮司本人の意思も確かめず、娘の不確かな将来のために、複数婚への道を整えようとしている。


 しかも、沙耶がそんな結婚を望んでいるかどうかさえ定かではない。


 父親としても、保護担当者としても、決して正しい選択とは言えない。


 それくらい、分かっている。


 分かっているのに――。


 不思議と、悪い気分ではなかった。


 もし沙耶が蓮司のそばで笑っていられるなら。


 もし蓮司自身も、誰も傷つけずに幸せになれるのなら。


 今まで当たり前だと思っていた制度に、そこまでこだわる必要があるのだろうか。


 芽衣(めい)が聞いたら、何と言うだろう。


 きっと、呆れられるに違いない。


 それでも、今夜は考えを引っ込める気にはなれなかった。


 啓介はエレベーターの壁にもたれ、天井を見上げた。


 政府の職員として、守らなければならないものがある。


 だが、それ以前に自分は、沙耶の父親なのだ。


 誰よりも娘の幸せを願って、何が悪い。


 そう考えると、もう一度笑みが浮かんだ。


「愛が歪んでいても、平和ならば問題ないですよね」


 静かな箱の中に、独り言が響いた。


 やがてエレベーターが一階に到着し、扉が開く。


 啓介は何事もなかったように背筋を伸ばし、エントランスロビーへ歩き出した。


 そしてスマートフォンを取り出し、政府内の幹部へ電話をかけた。

いかがでしたでしょうか? 次話から新章です。お楽しみに!


……もしよければ、ブクマや評価、感想などをいただけますと幸いです。

これからも本作をよろしくお願いいたします。

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