黄色い桃は甘い夢を語る【挿絵あり】
本話は啓介視点で物語が進みます。
また、四人の転校生編も本話からクライマックスに入ります!
それでは、本編へどうぞ!
港区の高級シティホテルに着いたのは、午後六時を少し回った頃だった。
地下駐車場に車を停め、高橋啓介はロビーへ向かった。
磨き上げられた床には、シャンデリアの光が映っている。
(……随分と立派な場所を指定してきましたね)
今夜の相手は、黄桃秋穂。月代村から東京へやって来た少女の一人だ。
つい二時間ほど前、彼女から極秘で話がしたいと連絡があった。個人的な要望なのか、村の意向なのか。いずれにせよ、警戒を解くわけにはいかない。
ロビーからエレベーターで上階へ上がり、レストランの受付で名前を告げる。
スタッフが丁寧に一礼し、店内へ案内してくれた。
大きな窓の向こうには、夕暮れの東京の街並みが広がっている。啓介が通されたのは、客席から少し離れた個室だった。
「こちらでございます」
スタッフが扉を軽くノックした。
「失礼いたします。お連れ様がお見えです」
「はい」
室内から柔らかな声が返ってくる。
スタッフが静かに扉を開けると、窓際に立っていた少女がこちらを振り向いた。
片側で結ばれた蜂蜜色の髪。淡い金色のドレスに、薄手のショールと小さな耳飾りがよく似合っている。
資料で顔は知っていたが、直接会うのは初めてだ。夕暮れの街を背にした秋穂には、どこか気品が漂っていた。
啓介が室内へ入ると、秋穂はドレスの裾に手を添えて一礼した。
「初めまして、啓介さん。黄桃秋穂です。今日はお越しいただき、ありがとうございます」
「初めまして。高橋啓介です。こちらこそ、お招きいただきありがとうございます」
啓介は改めて秋穂の装いに目を向けた。
「それにしても、素敵なドレスですね」
「ありがとうございます。せっかくドレスコードのあるお店ですから、少しお洒落してみました。啓介さんも、スーツがよくお似合いですよ」
「普通の仕事用スーツですけどね」
「ふふっ。そうは見えませんよ」
秋穂に促され、啓介は向かいの席へ腰を下ろした。
スタッフからワインリストを差し出されたが、水を頼む。
車で来ているうえ、相手は警戒すべき村の少女だ。この状況で酒など飲めるはずがない。
「お料理はコースでお願いしています。今日は私からお誘いしたので、ごちそうさせてくださいね」
「いえ、お支払いは私がします」
「ですが、こちらからお誘いしたのに……」
「高校生にこれほどの食事代を出させるわけにはいきません。大人の顔を立ててください」
「……では、お言葉に甘えます。ありがとうございます」
秋穂は小さく頭を下げた。
ほどなくして、前菜が運ばれてきた。
薄切りの白身魚に、色鮮やかな野菜を添えた一皿だ。
料理を置いたスタッフが、秋穂へ一瞬目を向けた。
しかし、当の本人は気づく様子もなく、目の前の料理を興味深そうに眺めている。
(……秘密の面会にしては、随分と目立ちますね)
スタッフが退室すると、啓介は口元を緩めた。
「いささか意味合いは違いますが、国家公務員がパパ活まがいの会食とは、笑えませんね」
「……ぱぱかつ?」
「知らないままで構いません。今のは忘れてください」
「ふふっ。啓介さんって、面白い方ですね」
「……褒め言葉として受け取っておきます」
秋穂が前菜を口へ運び、啓介もフォークを手に取った。
料理は美味しい。だが、気になるのは今夜の用件だ。
秋穂から話を切り出すのを待ってみたものの、彼女は学校での出来事を楽しそうに話している。
啓介も相槌を打ちながら食事を進めた。
前菜の皿が下げられ、温かなスープが運ばれてくる。
「そういえば、私、水泳部に入部したんですよ」
「そうでしたか。学校生活も楽しんでいるようですね」
「はい。まだ入ったばかりですけど、皆さん親切にしてくださって」
秋穂はスープをひと口飲んだ。
「学校への行き帰りも、新しい発見がいっぱいなんです。今度、蓮司様に東京を案内していただけたら嬉しいです」
「それは難しいと思いますよ。蓮司君も東京に詳しいわけではありませんから」
「それなら、一緒に迷うのも楽しそうですね」
啓介もスープを味わいながら、頃合いを見計らう。
このままでは、食事が終わるまで蓮司の話を聞くことになりそうだ。
会話が一段落したところで、啓介はスプーンを置いた。
「ところで黄桃さん。今夜、私を呼んだ理由を伺ってもよろしいですか?」
「はい。お願いしたいことがあるんです」
「村からの伝言でしょうか」
「いいえ。私個人のお願いです」
秋穂は姿勢を正した。
「私、蓮司様がお望みなら、東京で暮らしてもいいと思っているんです」
「ええ。それは沙耶から聞いています」
「まあ、そうなんですね。でしたら、お話が早いです」
秋穂は嬉しそうに続けた。
「私、蓮司様の正妻になりたいんです。いつか一緒に暮らせるように、啓介さん、お力を貸していただけませんか?」
その願望は知っている。だが、それを自分に頼むのか。
啓介は思わず返事に詰まった。
目の前の少女は、まるで当然のことをお願いしたかのように、にこやかに返事を待っている。
「……私に頼むことの意味は、分かっていますか?」
「はい。啓介さんは、蓮司様のお近くにいらっしゃいますから」
「そうではありません。私の立場のことです」
「もちろん存じています。ですから、きちんとお願いした方がいいと思いました」
「……申し訳ありませんが、そのお願いはお受けできません。蓮司君の将来は、蓮司君自身が決めることですから」
「そうですか……」
秋穂は残念そうに眉を下げた。
それ以上は何も言わず、スープをもうひと口飲む。
啓介も話を続けることはしなかった。
スープの器が下げられ、ほどなくして魚料理が運ばれてきた。
二人が魚料理に手をつけたところで、秋穂が顔を上げた。
「あの、啓介さん。もう一つ、お話ししてもよろしいですか?」
「……内容によりますが」
「沙耶さんは、蓮司様ととても仲がよろしいですよね」
「ええ。娘も、蓮司君のことを大切に思っています」
「私、沙耶さんとも仲良くしたいんです。沙耶さんも蓮司様のお嫁さんになってくださったら、素敵だと思いませんか?」
啓介はナイフを止めた。
「……私の娘に、ですか?」
「はい。私は正妻になりたいので、沙耶さんには二番目のお嫁さんになっていただければ」
「第二夫人、ということですか」
「そうですね。実は、沙耶さんご本人にもお話ししたことがあるんですよ。啓介さんはご存じでしたか?」
「……いえ。それは初耳です。東京で暮らしてもいいということと、正妻になりたいというお話までは聞いていましたが……」
「そうでしたか。沙耶さん、少し照れていらっしゃいましたから」
啓介は娘の顔を思い浮かべた。
おそらく、照れていたというより、どう返せばよいのか困っていたのだろう。
「それに、ほかの子たちも一緒にお嫁さんになれれば、誰も悲しまなくて済みますよね。私が正妻として皆さんをまとめれば、蓮司様もきっと平和に暮らせると思うんです」
(……沙耶なら、今頃盛大に抗議しているでしょうね)
啓介は小さく息を吐いた。
どうやら秋穂は、沙耶のことも本当に気に入っているらしい。
悪気がないだけに、何とも返事が難しい。
魚料理を食べ終えると、スタッフが皿を下げ、しばらくして肉料理を運んできた。
スタッフが退室したところで、啓介は再び口を開いた。
「……黄桃さん。現在の法律では、一人が同時に複数の人と結婚することは認められていません」
「はい。村のしきたりとは違うと存じています」
秋穂はあっさり頷いた。
「なので、法律を変えちゃえばいいんです」
「……何と?」
「村の外でも、子どもが減って困っているのでしょう? それなら思い切って、何人もの方と結婚できるようにすればいいと思うんです」
「……少子化対策としても、随分と大胆ですね」
「ふふっ。いい案でしょう?」
啓介は返事の代わりに水を一口飲んだ。
「法律は個人の都合で簡単に変えられるものではありませんよ」
「もちろんです。時間はかかるでしょうが、当家とお付き合いのある方々にお願いすれば、少しずつ進められると思います」
「……それほどの人脈が?」
「ええ。黄桃家は先祖代々、村の外にも財産や事業を持っていますから。長くお付き合いしている方も多いんですよ」
秋穂はそこで、思い出したように付け加えた。
「それに、月代村のお金の管理も、昔から私たちの家が担当しているんです」
「村の資金も、黄桃家が?」
「はい。お母様やお祖母様がそういうお仕事をしています。私はまだ全部教わっていませんけど」
啓介は秋穂を見つめた。
これまで目を通してきた報告書に、黄桃家が村の資金を管理しているという記載はなかった。
(……調査が及んでいなかったのか。それとも、誰かが意図的に伏せていたのか)
政府側に月代村へ情報を流している人物がいることは、すでに確信している。
ならば、単なる情報不足と決めつけるわけにはいかない。
「それにしても、東京の夜景って本当に綺麗ですね」
秋穂は窓の外へ目を向けた。
「ええ。ここからだと、よく見えますね」
「蓮司様とも、いつかこんな景色を眺めながらお食事してみたいです」
「……そうですか」
啓介は相槌を打ったものの、黄桃家の話が頭から離れなかった。
(……この子、本気で黄桃家の財力と人脈を使って、法律を変えるつもりなのでしょうか)
秋穂はすでに肉料理へ視線を戻し、美味しそうに食べている。
啓介もそれ以上は尋ねず、食事を続けることにした。
食事の締めくくりに運ばれてきたのは、桃を使ったデザートだった。
薄く焼いたクレープの上には、琥珀色のシロップをまとった黄桃のコンポート。傍らには小さなバニラアイスが添えられ、蜂蜜入りのクリームが皿を彩っていた。
「まあ、桃のデザートですね」
秋穂が目を輝かせた。
「とても綺麗……。私も、蓮司様が思わず求婚してくださるくらい、綺麗になれたらいいのですが」
「……それは、蓮司君にしか分かりませんね」
「ふふっ。そうですよね」
秋穂はコンポートをひと口食べ、満足そうに頬を緩めた。
啓介もスプーンを手に取る。
柔らかな桃の甘みと、冷たいバニラアイスがよく合っていた。
そのとき、ジャケットの内ポケットでスマートフォンが震えた。
取り出して画面を確かめると、沙耶からのメッセージだった。
『パパ、今、宮坂さんが来てる。蓮司に村からの話があるんだって。蓮司が聞きたいって言うから、家に入ってもらった。私も一緒に聞くから、詳しいことはあとで連絡するね。……お茶は出すけど、あの子の分だけちょっと渋くしてやろうかな』
(……宮坂胡春さんが?)
美冬が蓮司の指を噛んだ一件があったばかりだ。
啓介は眉を寄せ、沙耶へ短く返信を送った。
『分かりました。何かあれば、すぐに電話してください』
送信を確認してから、スマートフォンをしまう。
「何かありましたか?」
「娘からです。宮坂さんが、うちを訪ねてきたそうで」
啓介は秋穂の反応を確かめようと、さりげなく名前を出した。
「まあ、胡春ちゃんが?」
秋穂は少し驚いた様子で目を瞬かせた。
「胡春ちゃん、今朝早くから村へ戻ったみたいなので、そのことでしょうか?」
「……村へ、ですか?」
「はい。用事があるとは聞いていましたけど、詳しいことは知らないんです」
啓介は表情を変えないよう努めた。
村へ通じる道路は、カメラと部下たちが監視している。
それなのに、胡春が村へ入ったという報告は受けていない。
(……どうやって?)
「啓介さん?」
「失礼。胡春さんが村へ戻っていたとは、少し驚きまして」
秋穂はスプーンをそっと置いた。
「もしかして、胡春ちゃんがどうやって村を出入りしたのか、気になっていらっしゃるんですか?」
「……黄桃さんは、ご存じなのですか?」
「はい。お教えできますよ」
秋穂はにっこりと微笑んだ。
「ただ、その前に。私のお願いも、もう一度考えていただけませんか?」




