気まずい朝と、友達の助け舟
翌朝。
「……おはよう、沙耶」
通学路で合流した沙耶に、蓮司は恐る恐る声をかけた。
沙耶は返事をしなかった。
ただ、蓮司が隣に並ぶと歩き出した。置いていくつもりはないらしい。けれど、その横顔はずっと前を向いたままだ。
「昨日のことなんだけど……」
「…………」
「別に、変なことをしようと思ったわけじゃなくてさ」
「…………」
聞こえていないはずがない。それでも沙耶は振り向かなかった。
(……きついな、これ)
いつもなら、沙耶はテレビで見た面白い番組の話をしたり、「次の休み、どこか行かない?」と誘ってくれたりする。毎日同じ道を歩いていても、学校に着くまで話題が尽きることはなかった。
今朝は、信号待ちの時間さえやけに長く感じる。
何度か横顔をうかがったが、視線は一度も合わない。それでも沙耶は先に行こうとせず、いつもと同じ歩幅で隣を歩いていた。
(……一緒には来てくれるんだよな)
同じ教室に入っても、会話してくれる気配はない。沙耶は自分の席に鞄を置き、すぐに廊下へと向かって行った。
思わず、ため息が漏れた。
◇
一限目は移動教室だった。
教科書を持って拓海と廊下へ出たところで、向こうから結菜と七海が並んで歩いてくるのが見えた。
「佐藤、七海。おはよう」
「あ、おはよう、御影君! 中野君も、おはよう!」
「おう。七海ちゃん、結菜ちゃん、おはよ」
拓海が片手を上げる。七海はいつもどおり笑っていたが、結菜は少し遅れて口を開いた。
「……おはよう、御影君」
拓海にも小さく会釈する。その表情は硬く、蓮司とは目を合わせようとしない。
それでも返事がもらえたことに安心し、蓮司は足を止めた。
「あのさ、佐藤。昨日のこと――」
「ごめん。ちょっと今は無理かな」
「……え?」
結菜は視線を少し下に落とした。
「……また今度、ね」
「……うん。分かった」
結菜は七海と一緒に、一組の教室へ戻っていった。
七海は一度だけ蓮司を振り返ったが、何も言わなかった。
隣の拓海も、黙って二人の背中を見送っていた。
(……佐藤にも、避けられてる)
「御影、そろそろ行こうぜ」
「……ああ」
歩き出しても、結菜の「今は無理」という言葉が頭から離れなかった。
どうやら沙耶も結菜も、自分を避けているらしい。けれど、別に喧嘩をしたわけではない。
二人とも大切な友達だからこそ、避けられるのが辛かった。
沙耶とは毎朝一緒に登校し、昼は沙耶や結菜たちと学食で食事をした。みんなでカラオケへ行ったこともある。知らない曲ばかりだったのに、あの日はずっと笑っていた。
月代村で本を読みながら憧れた日々が、ようやく自分のものになったと思っていた。
(……どうすれば、元に戻れるんだろう)
一限目が始まっても、授業の内容はほとんど頭に入らなかった。
◇
放課後、剣道部の稽古を終えた蓮司は、防具を片づけながら息を吐いた。
「御影、大丈夫か?」
隣にいた拓海が、心配そうに顔をのぞき込む。
「……分かるか?」
「ああ。昨日のことだろ」
「……ああ。拓海、ちょっと相談に乗ってくれないか? 正直、かなりきつい」
「いいぜ。着替えてから話そう」
二人は片づけを終えると、着替えを済ませ、剣道場脇の長椅子に並んで腰を下ろした。
蓮司が朝からのことを話すと、拓海は腕を組んだ。
「結菜ちゃんの方は、俺も見てたしな。……まあ、二人が怒るのも分かるけど」
「そんなに変だったのか? 夏梨と隠れてたこと」
「変っていうか、男女で同じマットに挟まってたんだろ?」
「見つからないためだったんだよ」
「それは分かる。でも、お前がどういうつもりだったかと、二人がどう感じたかは別だろ?」
「……そうか」
夏梨との距離が近すぎることは、自分でも分かっていた。けれど、その話で沙耶と結菜がここまで距離を置くとは、思ってもみなかった。
「……前みたいに話せるようになりたいんだけど、どうすればいいか分からなくて……」
「んー……だったら、一人ずつだな」
「一人ずつ?」
「『二兎を追う者は一兎をも得ず』って言葉、知ってるか?」
「ああ。二つとも追いかけて、結局どっちも手に入らないって意味だろ」
「そう。二人まとめて何とかしようとしても、焦って余計なことを言いそうだし。まず一人と向き合って、それからもう一人だ」
「……なるほど」
「別に片方を諦めろって意味じゃないからな」
「分かってる。二人とも大事な友達だから」
「よし! なら、最初は結菜ちゃんからじゃね? 高橋は話すこと自体が難しそうだけど、結菜ちゃんは挨拶してくれたからな」
「佐藤から、か……」
「七海ちゃんに頼んでみるよ。結菜ちゃんと同じ一組だし、あの二人は仲いいからさ。もちろん、結菜ちゃんが嫌なら無理には誘わない」
「……ありがとう、拓海。本当に助かる」
ほっとして頭を下げると、拓海は何かを思い出したように言った。
「そういや御影、お前、俺との約束忘れてないよな?」
「約束?」
「蓮奈さんのメアド! 聞いてくれるって言ったじゃん!」
「……あ」
「その顔、忘れてたな!?」
完全に忘れていた。
拓海が蓮司の姉だと思っている『御影蓮奈』は、新月の日に女性の姿になった蓮司本人だ。
確認する相手など、最初からいない。
……いや、いるにはいる。自分だ。
「悪い。いろいろあって……」
「まあいいけどさ。じゃあ、今回うまくいったら頼みを一つ聞いてくれよ」
「……何?」
拓海は急に姿勢を正した。
「蓮奈さんとデートさせてほしい!」
「……はあ!?」
「この前はちゃんと話せなかったし、もう一回会ってみたいんだ。もちろん、デート代は全部俺が出す!」
(……金の問題じゃないんだけどな)
「いや、姉にも都合があるし……」
「そこを何とか! 誘うだけでも!」
両手を合わせて頼み込まれ、蓮司は言葉に詰まった。今すぐ断ればいいのに、拓海が自分のために力を貸そうとしてくれていると思うと、どうにも断りづらい。
「……分かった。沙耶とも佐藤とも、前みたいに話せるようになったら、蓮奈とデートできるようにする」
「マジで!?」
「ただし、いつになるか分からないからな」
「もちろん! よっしゃ、任せろ! 必ずお前たちを仲直りさせてやる!」
拓海は嬉しそうに拳を握った。
「いや、そもそも喧嘩じゃないから」
(……まさか、墓穴掘ったか? 俺)
昇降口へ向かうと、沙耶が待っていた。
「……待たせたな」
返事はない。だが、蓮司が隣に並ぶと、沙耶は歩き出した。
拓海と話して少しは気が楽になったはずなのに、二人きりになると、やはり何を言えばいいのか分からない。
(焦るな……まずは佐藤からだ)
沙耶の隣を歩きながら、蓮司は明日のことを考えた。
◇
翌日の昼休み。
「じゃ、七海ちゃんに話してくる。お前はここで待ってろよ」
「メッセージじゃ駄目なのか?」
「メッセでもいいけどさ。俺が直接七海ちゃんのところに行けば、同じ教室にいる結菜ちゃんの目にも入るかもしれないだろ?」
「……それがどうかしたのか?」
「お前と仲のいい俺が何か動いてるって、結菜ちゃんに匂わせるんだよ」
「……匂わせ?」
「ああ」
「拓海の体臭を嗅がせに行くってことか?」
「違うわ!」
拓海が即座に突っ込んだ。
「俺たちが何かしようとしてるって雰囲気を伝えるんだよ! そうすれば、七海ちゃんから話を持ちかけられたときにも、結菜ちゃんが少しは察してくれるかもしれないだろ?」
「……なるほど」
「本当に分かってるか?」
「多分」
「多分かよ……」
拓海は呆れたように肩を落とした。
「ま、結菜ちゃんが嫌だって言ったら、それ以上は押せないけどな」
「……そうだな」
「じゃ、行ってくる!」
拓海が一組へ向かい、蓮司は教室で待った。
しばらくして戻ってきた拓海は、親指を立てた。
「七海ちゃん、協力してくれるって。あとは結菜ちゃん次第だな」
午後の授業中も、結菜の返事が気になって仕方なかった。
七海が声をかけてくれることにはなったが、結菜が話してくれるかどうかは分からない。
そう考えるたびに落ち着かなくなり、気づけば何度も時計を見ていた。
そして六限目が終わった。
蓮司が部活へ向かう準備をしていると、拓海のスマートフォンが震えた。
「……おっ。御影、七海ちゃんから返事が来たぞ」
「何て?」
「結菜ちゃん、部活が始まる前なら少し話せるって。七海ちゃんが校舎の端にある空き教室の前まで連れてきてくれるらしい」
胸が跳ねた。
ずっと話したいと願っていたのに、いざ機会ができると緊張してしまう。
「最初から言い訳するなよ。向こうの話もちゃんと聞け」
「……ああ」
拓海と校舎の奥へ向かう。
階段から離れるにつれ、廊下を行き交う生徒の姿は少なくなっていった。
その突き当たりにある空き教室の前で、七海と結菜が待っていた。
七海がこちらを見つけて小さく手を振る。結菜は蓮司に気づくと視線を落とした。それでも、立ち去ろうとはしない。
「じゃ、私たちは向こうにいるね」
七海はそう言うと、拓海と一緒に離れていった。
「……御影君」
結菜が小さく呼んだ。
蓮司は彼女に向き直る。
「佐藤。来てくれてありがとう。……オリエンテーションのときのこと、ちゃんと話したいんだ」
結菜はしばらく黙っていたが、やがて顔を上げた。
「……うん。聞くよ」
まだ何も解決していない。
それでも、ようやく話を始められる。




