オリエンテーション・後編
引き戸が開き、誰かが用具庫に入ってくる足音がした。
蓮司は息を潜めた。
二つ折りのマットに挟まれているため、外の様子は見えない。すぐ近くにいる夏梨の呼吸と、床を踏む足音だけが聞こえてくる。
「うわ、道具ばっかだな」
「ここ、隠れる場所あるか?」
「箱の裏とか?」
がさり、と何かを動かす音がした。
蓮司はじっと耳を澄ませる。
腕の中では、夏梨も身じろぎ一つしなかった。
「……あれ、奥にも何かあるぞ」
蓮司の背筋が強張った。
「マットだろ? それより体育館行こうぜ。まだ全然見つけてないし」
「そうだな。ここにはいなさそうだ」
足音が遠ざかる。
引き戸が閉まり、続いて剣道場の扉が開閉する音がした。
それでも蓮司は動けなかった。
しばらくして、夏梨が蓮司の腕を指先で軽くつついた。
「……行ったみたいだね」
「……ああ」
思わず大きく息を吐きそうになり、途中で止める。
「すごい。本当に見つからなかった!」
「声が大きい。まだ近くにいるかもしれないぞ」
「あっ、ごめん」
夏梨は口を閉じた。
少しして、蓮司もようやく肩の力を抜いた。
(……危なかった)
入口の道具箱に気を取られたのが幸いしたらしい。奥のマットまで確かめられていたら、どうなっていたか分からない。
何にせよ、初めてのかくれんぼで、いきなり見つかる事態は免れた。
「夏梨の作戦、当たりだったな」
「うん。なんとかなったね!」
夏梨が少し身じろぎすると、蓮司の腕もつられて動いた。
「……体勢、きついか?」
「ううん、平気だよ。蓮司君こそ、苦しくない?」
「平気。さっきよりは楽だし」
「よかった」
そう言って、夏梨は背中をわずかに預けてきた。
(……それは、それで落ち着かないんだけど)
もっとも、今さら離れようにも場所がない。
蓮司はマットの中で、ただじっとしていた。
◇
時間が経つにつれ、剣道場の外が少しずつ騒がしくなってきた。
遠くで誰かが走る足音がし、ときおり校内放送が聞こえる。見つかった生徒は校庭へ戻るように、という案内も流れた。
用具庫の前を通る者も何人かいたが、引き戸を開ける気配はなかった。
(あと、どれくらいだろう)
時計を見ようにも、腕を動かせない。スマートフォンを取り出すのも難しかった。
そうこうしているうちに、五限の終わりを知らせるチャイムが鳴った。
「……蓮司君」
夏梨が小さく呼んだ。
「何?」
「ずっとこのままだね」
「……そうだな」
「かくれんぼって、こんなにじっとしてるものだったっけ?」
「俺に聞くなよ。今日が初めてだって言っただろ」
「そうだった。ふふっ」
笑い声が、腕の中で小さく揺れた。
「でも、蓮司君と一緒だから退屈じゃないよ」
「そりゃよかった」
夏梨はそれきり黙った。
蓮司も言葉を探したが、何も思いつかない。マットの中では、彼女の髪が鼻先をくすぐるたびに少し顔を動かすのが精いっぱいだった。
しばらくすると、夏梨の身体から余計な力が抜けていくのが分かった。
「……夏梨?」
返事がない。
代わりに、穏やかな寝息が聞こえてきた。
(……寝てる?)
こんな状況で眠れるものなのか。
さっきまで、見つかるかもしれないと慌てていたくせに。
蓮司は呆れかけたが、夏梨の呼吸を聞いているうちに笑いが込み上げてきた。
(……大した度胸だな)
腕を抜こうと少し動くと、夏梨が寝ぼけたようにその腕を引き寄せた。
蓮司は動きを止める。
もう、ここまで来たら仕方がない。
蓮司は目を閉じ、終了の放送が流れるのを待った。
◇
『参加者の皆さんにお知らせします。制限時間となりましたので、オリエンテーションを終了します。隠れている生徒は、校庭の集合場所へ移動してください』
六限の途中、ようやく放送が流れた。
(……終わった!)
蓮司はほっと息を吐いた。
「夏梨、起きろ。終わったぞ」
「……んぅ?」
「かくれんぼ。終了だって」
「……あ、そっか」
夏梨がもぞもぞと動いた。
蓮司が上側のマットを持ち上げ、二人は順番に外へ這い出た。
「おはよう、蓮司君……」
夏梨は眠そうに小さくあくびをした。
「おはよう。ぐっすり寝てたな」
「えへへ……」
寝起きのせいか、反応がのんびりしている。
蓮司は立ち上がると、凝り固まった足を軽く曲げ伸ばしした。長い間身体を丸めていたせいで、少し痺れている。
「……うわ、固まった」
「大丈夫?」
「少し歩けば治ると思う」
夏梨は平気そうな顔で立ち上がり、制服の乱れを直した。
(……同じ格好だったのに、何でそんなに元気なんだ)
蓮司はずらした道具箱とマットを元の位置に戻してから、夏梨と一緒に用具庫を出た。
剣道場には、もう誰の姿もなかった。
「結局、最後まで見つからなかったな」
「うん! 大成功だね!」
「夏梨のおかげだよ。あのままだったら、たぶん見つかってた」
「えへへ。役に立ててよかった!」
二人は剣道場を出た。
「……それにしても、あんな場所でよく眠れたな」
「懐かしい匂いがしたから安心しちゃって」
「……懐かしい匂い?」
「うん。覚えちゃった」
夏梨は少し恥ずかしそうに笑った。
その表情を見て、蓮司は村での夜の役目を思い出した。
当時、相手の顔を確かめることはできなかった。今まで何人の女性と交わったのかは分からないが、その中に彼女もいたのだろう。
蓮司はそれ以上は聞かず、夏梨と並んで校庭へ向かった。
◇
校庭には、すでに大勢の生徒が集まっていた。
蓮司と夏梨は担当の教師に報告を済ませ、沙耶たちと合流した。
「あっ、蓮司! ……って、へ?」
手を振りかけた沙耶が、蓮司の隣にいる夏梨を見て固まった。
笑顔が引きつり、その横では結菜が無表情のままこちらを見つめている。秋穂も、少しだけ面白くなさそうな顔をしていた。
(……何だ?)
「な、なんでその子と二人でいるの……?」
「ああ。剣道場の用具庫で偶然会ってさ。一緒に隠れてたんだ」
「うん! 二人とも最後まで見つからなかったんだよ!」
夏梨が嬉しそうに付け加える。
「……へえ、そうなんだ」
沙耶はぎこちなく頷いた。
「私も蓮司様を見つけたかったです……」
秋穂がぽつりと呟く。
「黄桃は探す側だったよな。結構見つけたのか?」
「はい! たくさん見つけましたよ! 沙耶さんも見つけました!」
「えっ、沙耶も?」
蓮司は沙耶を見た。
「……うん。結構あっさり見つかっちゃった」
沙耶は悔しそうに肩を落とした。
結菜も何人か見つけたらしいが、正確な順位はまだ発表されていないという。
そんな話をしていると、校門の方から拓海が戻ってきた。
「おーい、御影!」
「拓海。最後まで隠れてたのか?」
「当然! お前は?」
「俺もだよ」
「おお、やるじゃん!」
「どこに隠れてたんだ?」
「校門の警備員室の近くだよ。敷地の内側に植え込みがあるだろ? あの裏」
「そういえば、そんなとこあったな」
「みんな校舎とか体育館ばっか探してたみたいでさ。誰もこっちに来なかったぜ」
拓海は得意げに笑った。
「言っただろ? 相手の裏の裏をかくんだって」
「なるほどな。確かにその通りだ」
「で、御影は?」
「剣道場の用具庫だよ」
「ああ、あそこか。よく見つからなかったな」
「まあ、結構危なかったけど夏梨に助けてもらった」
「えっと……祝園さんに?」
「ああ」
拓海が不思議そうな顔をしたところで、教師の声が校庭に響いた。
「全員そろったな! それじゃあ、結果を発表するぞ!」
生徒たちが前を向く。
「今回は最後まで隠れていた生徒が残っていたので、隠れる側の二組と三組の勝ちだ!」
校庭のあちこちから歓声が上がった。
「それから、発見人数の上位三名を発表する! 一位は四組の黄桃秋穂さん、二位は一組の佐藤結菜さん、三位は同じく一組の小川七海さんだ!」
拍手が起こった。
秋穂は嬉しそうに笑い、結菜は少し照れくさそうにしていた。七海も友達と喜び合っている。
教師からの連絡事項が終わり、解散までの時間は自由に話していいことになった。
「そういえば御影、さっき祝園さんに助けてもらったって言ってたよな。何があったんだ?」
拓海が思い出したように尋ねた。
「ああ。用具庫に探す側が来たとき、夏梨がマットの間に隠れることを思いついてさ」
「マットの間?」
「うん。二人で横になって隠れてたんだ」
「…………は?」
拓海の動きが止まった。
いや、拓海だけではない。沙耶も、結菜も、秋穂も、一斉に固まっていた。
「……ちょっと待て、御影」
「何だよ?」
「祝園さんと二人で、同じマットの中に入ってたのか?」
「ああ。二つ折りだったから、その間に」
「……お前、マジか」
拓海が額を押さえた。
「ちょっと、蓮司!」
沙耶の声に、蓮司はびくりとした。
「な、何だよ?」
「二人で横になってたって、どういうこと!?」
「どういうことって……見つからないように隠れてただけだろ?」
「それは分かってる! でも、なんで二人でそんな狭いところに入るのよ!」
「だって、ほかに見つからなそうな場所がなくて……」
「だからって……!」
沙耶は怒った顔で口をつぐんだ。
「……そんなに変かな?」
夏梨が不思議そうに首を傾げる。
沙耶は何か言い返しかけたが、ぐっとこらえるように唇を結んだ。
結菜も、先ほどまでとは違って明らかに機嫌が悪そうだった。
「……御影君、そういうことするんだ」
「えっ、佐藤まで?」
「……」
結菜は顔を背けた。
一方、秋穂は夏梨を羨ましそうに見つめている。
「……夏梨ちゃん、いいなぁ」
「蓮司君と一緒だったから、安心して隠れられたんだよ!」
「羨ましいです! 凄く!」
(……どうしてこうなった?)
助けを求めて拓海を見ると、彼は呆れた顔で首を振った。
「御影……お前、頑張れよ」
「何をだよ!」
まったく助けにならない。
蓮司は沙耶へ向き直った。
「なあ、沙耶。本当に変なことをしてたわけじゃないんだ。あれは夏梨が思いついて……」
「…………」
「……沙耶?」
沙耶は答えなかった。
そのままぷいっと背を向け、足早にその場を離れていった。
「おい、沙耶!」
呼びかけても、振り返らない。
(……えっ、無視?)
蓮司は追いかけるべきか迷い、その場に立ち尽くした。
初めてのかくれんぼは、思っていた以上に楽しかった。
けれど、最後の最後で沙耶を怒らせてしまうなんて、思ってもみなかった。
もしよければ、ブクマや評価、感想などをいただけますと幸いです。
これからも本作をよろしくお願いいたします。




